「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年05月19日(月) 境界線

 学校の帰り、プールに行った。着替えの場所の設備は日本よりも少ないけれど、水着に着替えて階段を一つ上がったら、そこに、青いプールサイドが広がった。“水深1メートルから4メートル”、アメリカで行ったプールと同じだ。
久しぶりの水。浮いてみたりもぐったり、プールの底をなでてみたり。水深3メートルまで行くと耳が痛くなったけれど、2メートルまでは軽くいけるのだ。魚がいたらなぁなんて思いながら遊んでいた。人が少なかったこともあり、水と戯れるには十分だった。
そろそろ帰ったほうがいいなぁと思いついたのは1時間くらい後のことだ。そこへ、まだ遊びたいと私。どちらの気持ちを大切にすればいいか自分と相談することにした。
二通りの自分を探ってみたら、最初のほうはチャイルドで、後の、自分のすることを知っているのは、大人の私だった。
そして、私は今自分の望んだように動く能力があることを確認して、プールを後にした。

 午後は、この頃調子の悪いPCの中を調べながら、まとめの作業を進めたけれど、パソコンの調子が悪いので、あちこち触りながらの作業だった。
夜になって気が付いた。どんなことも、一つずつすることが大切なのだ。
私は今、いろんなことが出来る。そして、丁寧にするということを、もっと練習したほうがいい。いつも丁寧に生きよう。


2008年05月18日(日) 音色

 学校の近くのパン屋さんで休憩していたら、そばに座っていた男性に話しかけられた。「あなたは恋人は居ますか?」と尋ねてみたら、居るよと言ったので安心した。
話はベトナム語と英語だった。この3ヶ月の間に、分からない単語は英語に切り替えると話がつながることを経験し、その切り替えも早く出来るようになって来ているので、会話はつながった。今朝自分で勉強したばかりの文法の説明は分かりやすかった。
 ところが、あるときから、私の中に「つまらない。帰りたい」という気持ちが沸いて、視線は外の景色の方へ向きはじめた。
 そんな自分に耳を澄ませたら、私は英語よりもベトナム語を広げたがっていた。と言っても、私も単語も少ないのだから仕方がない。そして、使い分けるのに疲れてきたとも言えるので、席を立ったけれど、そっぽを向いている自分と会話したことで、もっといろんな言葉を知りたがっている自分を感じられたのだ。
 ところで、私は今、ある方から聞いた言葉が気になっている。それは、ベトナムで「日本人として生きる」ということ。私は今、ベトナムで生きているけれど、日本で育った人なのだ。日本人として生きるとはどういうことを言うのだろうか。
ベトナムの人と違っていてもいいことは分かる。言葉が分からなくてもいい。分からない自分を変えていこうとしていることがいいのだと思っている。
 帰り道、いろんな思いをめぐらせていたら、私の中に、凛としたものが沸いてきた。この時に浮かんできた言葉が、「凛」だったのだけど、別の言い方をすると、いつも私でいい。私が私になったという感じでもある。
「凛」という字を広辞苑で調べたら、「引き締まる」ことと書かれていた。鈴という感じもあった。鈴の「りん」の方は、やさしく感じる。
鈴つながりで、今日のタイトルは「音色」にしておこう。


2008年05月17日(土) 路地

 10時ごろから自転車で散歩に出た。大きな道路に出てすぐの赤信号で停まったとき、後ろから通過したバイクに、足を引っ掛けられて転びそうになった。信号が変わって周りに押されるように走り始めたけれど、まもなく、びっくりした自分をそのままにしていることに気付いて自転車を止めた。驚いたままの私は、「怖かったね」の言葉を待っていた。それから、「転ばなくてよかったね。気をつけて走ろうね」と続き、新しい気持ちで自転車をこいだ。
 地図の上では、2 thang 3通りから、Duong Ly Thuong Kiet 通りを左に曲がってまっすぐに行くと、どぶ川に突き当たる。そこまで行くことが出来たら、帰りは川沿いを走ってくるはずだった。ところが、道は行き止まり。空には雲が広がっている。来た道を引き返した。
 すると、行く時には気が付かなかったけれど、2 thang 3通りの手前の路地に電気製品のお店が並んでいる。電気の配線やドライバーなど、電気関係の小物もあり、買い物に来たお客さんでにぎわっていた。
 路地を離れてしばらく行くと、ドリアンが一までで一番安値の1キロ 6000 ドンで売っていたので、買ってみることにした。お店のお兄さんははじめ、[どれくらい買うの?」と尋ねてくれていたけれど、そのうちに返事をしなくなり、「売れない」と言うように首を横に振るようになった。「どうして買えないの?」と尋ねても、もう返事をしてくれない。そこへ違う男性が来たので、そちらの男性に、「6000 ドンのを一つください」と言ってみたら彼は、とげとげの皮の中から実を取り出して売ってくれた。
 そのまま帰っていたらトラウマになっていたかも知れないから、待ってみてよかった。

 午後は、まとめをした。夕方はいつもより早めに仕事を切り上げて、グローブを持って散歩に出た。近くの空き地の入り口を探して歩いたけれど、わからい。一時間くらい散歩して、ヌードルを食べて帰ってきた。
 
 ハウスキーパーの女の子に、ベトナムの人たちが使っている共同コンロを使えるかどうか聞いてみたら、ガスボンベを自分で買ってくれば使えると言ってくれた。料理が出来るかもしれない。聞いてみてよかったな〜。


2008年05月16日(金) 未来への道

 朝、出かける準備をしているところにアリの行列を発見。アリは、リュックのポケットに入れておいたアメに集まっていました。ここへ引っ越してきてからは、アリさんの大群と縁が切れていたので、ショックでした…。
ポケットの中に手を突っ込んでアリさんと対峙している私の体にアリが上ってきて、心が悲鳴を上げました。
やっと収まったときには疲れてしまって、出かける気持ちが小さくなっていました。でも、このことがきっかけで外出をやめてしまったら、巻き込まれているのと同じだなぁと心の声が言ったのです。それから気付いた自分と一緒に、外出の続きをしたくなりました。
 今日の行き先は郵便局。日本を離れる前に約束していた、姉と子どもたちにはがきを出すのです。
ところが、地図で下調べをしているとき、体に力が入っている自分に気が付きました。新しいこと・郵便局を探すことなどを緊張しながらしていたのです。そんな自分に 「楽しもうね」 と声をかけて一緒にはがきを出しに行きました。
途中の道で、郵便局の小さな看板を見つけたので入ってみたら、男の子がお店の番をしていました。彼は 「ここでは手紙を出すことが出来ない、あっちだよ」 と指差して教えてくれました。場所がはっきりしなかったので、地図を広げてどこにあるか尋ねましたが、それでもよく分かりませんでした。彼の言う“あっちの道”に出れば分かるだろうと、お礼を言って離れました。
 そうしたら、本当に彼のお店から見える“あっちの道沿い”に郵便局があったのです。家からは自転車で10分くらいのところでした。
 葉書に日付のはんこが押されて、あそこの箱に入れなさいと言われた先を見たら、外国行きと書かれた投函口がありました。私は国際郵便を出すのは生まれて初めてのこと。ついにその瞬間がやってきたのです。うれしくて、写真を撮りたくなりましたが、カメラを持っていませんでした。
局員さんに一度帰って又来てもいいですかと尋ねたら、葉書を外へ持って出てはだめだと言われました。残念ですが、仕方がありませんでした。2枚の葉書を心にしみこませて投函口に入れました。
 局を出て、自転車のいすに座り、数分前に見た葉書をもう一度思い起こしました。
それから、心の中で 「出したんだよ。約束していた人に、子どもたちに葉書を出せたんだよ」 と、私の全身に沁みこまむまで、何回も言いました。

 日本までは、2週間くらいで着くそうです。事前に聞いていた情報より一週間も長いです。だから、今日出すことが出来てよかった…。


2008年05月15日(木) ほかほか

 うれしいことに…。
今日は引越しして初めて温かいお湯が出たのです。日中は一日中曇り空だったのに、どうしてお湯が出たのか、理由は分からなくてもいいのです。座り作業の長い私のお尻は、喜んだのです。
いったいどれだけの時間、お湯を浴びていたことでしょう。温まった体でベッドに転がり毛布に包まって、至福のひと時でした。

 湯船につかりたくなりましたよー。バケツを買ってこようかな〜。座浴が出来るくらいのたらいにしようかなぁ。
 



2008年05月14日(水) 眺め

 今朝は、目覚ましが鳴って起き出すまでに時間がかかりました。私は学校に行きたくない気持ちだったのです。そんな自分に、「楽しめるかどうか行ってみようね」 と声をかけて、一緒に学校へ行きました。学校までの道のりが長く感じる上に、今日はまだ水曜日だったと、ベトナムへ来て初めて、時の遅さを感じていました。
 ところが、学校が近づいた頃、あることに気が付いたのです。それは、私は昨日から、ベトナムの国の人の通勤ラッシュに巻き込まれていたということです。一時間も早くに家を出ているのだから、急ぐことはなかったのにね。
 ということで、学校に着いてからは、朝食に肉まんを食べてみようと思い立ち、(肉まんはフランスパンより1000 ドンも高いのです)、食事の後には、朝からそれまでに感じた気持ちを整理し、教科書を広げ、隣に座った女の子と話をし、いつの間にか、朝一番の気持ちは変わっていて、授業も楽しく受けました。
 学校が終わった後、本書きのことが浮かびました。でもその時の私はパソコンの画面を見る気持ちがしなかったのです。心の声に寄り添って、キャンパスのいすに座りました。
 それから、隣に座った女の子と話を始め、後から来た彼女の4人のお友達が話をしているのを傍観し、時々その話に参加して、そんな自分を眺めて、2時間遊んだころ、そろそろ帰りたいよと言ったので、帰りたくなった自分と一緒に席を立ちました。
 のんびり自転車をこいで家の近くへ来た頃、お昼ご飯を買うためにあたりを散策し、以前食事をした屋台へ行きました。そのお店には以前話をした女の子が居て、彼女は別の女の子に「この子はここで食べたことがあるよ」と言ったので、3人で少し話をしてから帰ってきました。
 家の車庫に入ったら、ハウスキーパーの女の子が居たので、言葉をかけて、今日習ったベトナム語を使って話そうと、言葉の引き出しを開けて話をしました。5分くらいの時間でしたが、話をしている自分を見て面白かった。
その後、部屋に入り窓と部屋のドアを開放して、自然の空気を入れながら、お昼ご飯を食べました。
 午後は、夕方まで、まとめをしました。楽しい発見をして笑えたり当時の自分に感心したり時間を忘れて楽しみました。
19時頃、夕食が食べたいよと言ったので、ようやくパソコンを閉じました。
 食事と言えば、先週末、家から歩いて5分のところに、安くておいしいチャーハンの屋台に出会いました。適度な塩加減で炒めたご飯の上に、揚げたてのジューシーな目玉焼きがのっているのです。他に、ペンネと野菜をいためたもの、どちらにもバナナのデザートが付いて 7000ドン。道に並べたいすに座って、道行くバイクを眺めながらの食事スタイルは私のお気に入りのひとつ。お勧めスポットなのです。 
今日もそのお店でチャーハンを食べ、食事の後、お店の女性と15 分くらい、話をしました。
 普段、道に並んだいすに腰掛けてのんびりしている人々を見かけますが、今夜は、いつも眺めていたその景色の中に居る自分を眺めて楽しみました。
 


2008年05月13日(火) 自然のかけら

 休み時間に 「結婚しているの?」 と聞かれて、「いいえ。でも、子どもは4人、日本に居ます」 と答えました。教室の中ががシーンとして、聞いていた人は (どうして??) の表情でした。
 私の方はベトナム語も英語も少しなので、これより先のことは言葉が足りません。そんな自分もそのまま伝えて、休み時間は終わりました。
 そして、自分を語った私は…。その後、安心と開放感の中に居ました。
私はいつも本当の自分を語りたかったのです。
 今夜は、壊れていた大切なかけらがひとつ、私の心につくっついて、より自然になった私を感じた夜でした。


2008年05月11日(日) とびら

 今日は、午前中に11区方面へ旅に出ました。引っ越してきてから、買い物のしやすい市場を探していたのですが、ついに今日、そんな場所を2箇所見つけました。
 一箇所は、生地の問屋。きれいな布が道の両サイドと市場の中にも並んでいました。少量では売れないと言われましたが、カーテンの代わりになるような生地を探していたので、1メートルだけを売ってもらいました。
 生地を買ったお店のお向かいには、先日買いそびれたレインコートがぶら下がっていました。値段を聞くと、今までで一番高かったので買わずに行こうとしたところ、お店の女性が「いくらなら買うの?」と尋ねてくれたので、今迄で一番安い値段で緑色のレインコートを買うことができました。
 
 次の市場では、トマトとキュウリと、それからカボスを買いました。
 実は、引っ越してきてから食生活が変わり、私は今野菜不足なのです。今日は心と体にやさしいお昼ごはんになりました。
 カボスは何に使うかというと、暑いときに、ビールのような炭酸ものが飲みたくなるのですが、ビールを飲むと、本まとめが出来なくなってしまうので、カボスを絞って炭酸ジュースを作るのです。お砂糖を使わずに、日本から持ってきたかりん蜂蜜を入れて、体にやさしい飲み物になります。

 午後は2時ごろからまとめをしました。そうしたら、開いたファイルの中に、心の勉強をし始めてから後に書いていたらしい、別の人格だった私の日記を見つけました。3ヶ月くらいの間、同じ日に違う内容で、時には 私 Mamo ちゃんを話題にした日記が書かれていたことを今知りました。
 私は、心のことを始めてから後は当時別の自分だった私のことも含めて自分を知っていると思っていたので、そのものの存在を今まで知らなかったことに泣けました。
 そして今は、このファイルを見つけた自分に、いつか知るのなら、今知ることが出来てよかったと思えています。 見つけた自分が面白いです。


My apartment.一番上の左の部屋。地上4階です。


My room


Cho Tan binh (タンビン市場)


Cho Nguyen thi phuong


競馬場。広いです


2008年05月08日(木) プラスの歴史

 今日は、毎朝大学の前で買っている 2000 ドンの豆乳を、氷を抜きにしてもらったら 「氷り抜きは 4,000 ドンだよ」 と言われました。でも、私は豆乳の値段を知っていたのです。だから 「違いますょ〜」 と言ったら、お店のおじさんは笑っていました。
 帰りには、合鍵やさんで合鍵を作るのに、おばさんに 「いくらですか?」と聞いたら、「 8,000ドン。言葉分かる?」 と言われました。
私は、おばさんの言葉を聞き取って、合鍵は 6,000 ドンで出来ることを知っていたのです。だから、「分かります。でも高いから買いません」と言ったら、5000 ドンにしてくれました。自転車通学4日目にして、やっと、学校までの道のりを楽しむ余裕を感じることが出来ましたョ。
 
 午後からパソコンを開き、何をつまんでこようかなと私の歴史の中を散策していたら、そこに、子どもを傷つけている自分を知り、・変わりたい・自由になりたいと切望している私がいました。足りないものに押しつぶされそうな自分を知っている自分と正面から向き合おうとしている私でした。
 読んでいるうちに泣けてきて、何の涙か探してみたら、ひたすら自分を見つめて積み重なってきたことの実感と、残っていた過去の悲しみが入り混じっていたので、あっちとこっちに分けて、境界線をつけておきました。


2008年05月06日(火) アレンジ

 自転車通学3日目も、部屋に着いたらバタンキュー。運動不足だったので全身が筋肉痛。だんだん慣れていくでしょう。
 一休みしてもパソコンを開く気持ちになれなかったので、部屋の中を見直し配置換えをしました。
パソコンデスクの上に、テレビを置いて、テレビ台の上に、Waterボトルやコップなどを置きましたョ。自分の使いやすいようにアレンジするのは楽しいのです。自分の楽なように、変えていってもいいのです。


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