「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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ベトナムの人に、独りで生きているというと、寂しいねぇとか大変だねと言われます。そのたびに、一人は寂しいって誰が決めたのかなぁ〜と思います。 孤独の世界も楽しいのです。一人でいても誰かといても、私に私独自の世界があることは同じだから、そこに他者がいる時といない時があるのみなのです。集団の中で、自分を感じている自分を見るとき、自分を生きている感覚を楽しむことが出来ます。そして、時には、人々と会話を楽しみたい私も居るのです。
それにしても、 「孤独」 という言葉はマイナスのイメージがあるのは何故かなぁと、「孤」 と 「独」 の漢字源を調べてみたら、「孤」 には 「みなしご」 とか 「一人だけ離される」 の意味が、そして、「独」 には、 「他が動いても独りでその状態を守るさま」 の意味がありました。 ということは、「孤」 という字の中にマイナスのイメージが入っているのですねぇ。私は、世の中の漢字がすべて、プラスのイメージになったらいいなあと思いました。
今日は、性の虐待を受けた自分をまとめました。 時々、巻き込まれて辛くなりましたから、そんなときは外の景色を眺めて能力を意識しなおして、自分を見守りながら進めました。 そんな中、面白い自分を発見しました。それは、自分より力のある何かに守られたいと感じている自分です。でも、一人で生きているのに守られたいと感じる自分は不思議です。すると今度は、“見守られたい自分”にたどり着きました。 小さな子どもが、ちょっと遊んでは戻ってくる。だんだん距離が伸びていってそのうちにお母さんの見えないところでも遊べるようになっている。そんなイメージが私の中に広がりました。そして、自分を見守ることなら、私にも出来るのです。そんな自分に安心しました。 ありのままの自分から、発見が発見を呼び、次の楽につながって。今私は、明日の自分にもワクワクしています。
| 2008年06月14日(土) |
In the futuer . tương lai |
今日は、朝7時 40 分からまとめをはじめたのですが、お昼ごはんと休憩をはさんで、気が付いたら夕方5時になっていました。時計を見てびっくりしましたが、一日続いた理由はすぐにわかりました。それは何かというと、数日前から自分の中に、「こんな形にするといいのかなぁ」 と方向性が見えてきて、散歩に出ても、頭の中にアイデアが浮かぶようになってきて、こんな自分にワクワクしながらまとめを進めているからです。 私は近い未来、ライターになるのかエッセイストになるのかわかりませんが、今は、書いている自分が楽しいのです。
首が疲れたとき、何をしたと思いますか?私はついに、部屋の中でも壁投げが出来るようになりました。壁につけたポイントめがけてボール投げをしたのです。
Tương lai Mamo muôn tăc gia.
この頃まとめが楽しいので、もう学校には行かないでおこうかなぁと迷いつつ、今日も学校に行きました。 始めは、学費を払っている分は学ぼうという気持ちで行っていたのです。でも私は、高いお金を払っていても楽しくなければ行きません。どうして行くのかなぁと自分に問うたら面白い発見をしました。 私には、学校に行きたくても行けなかった過去。行きたくないのに行かなければならなかった過去。 勉強したくないのにさせられた過去。勉強したいのに止められた過去が入り混じっています。それに、学校にいい思い出はありません。 ところが今、授業で自由に発言する自分が面白いのです。少し前「わからなくて出来ません」と伝えた内容は、今はなくなり、「むつかしいなぁ…」とつぶやくと「どこ?」と問い返して説明を繰り返してくれる。最初のうち、シーンとしていた教室内で、Teacher に質問する人も増えて…。 感じたままに伝えることが出来て、わからない私もわかる私も受け入れられて、行っても行かなくてもよくて、それはいつも私の意志で決められる。何より私は、誰かに受け入れられるためではなくて自分のために行っている。こんな自分がうれしくて、自然に、過去のトラウマを取りに行っていたのです。 ちょうど今、まとめの方で、娘が学校に行かないことをし始めた頃の日記を読んでいるのですが、あの頃は今の感覚を知りませんでしたから、自分の心に気が付かないまま子どもの気持ちを受け入れようとすることに一生懸命でした。そして、今は自分の経験から感じたことを元に見守ることができる。心を基準にしてよかった。自由な心は自分を肯定することから生まれるのだと、心に感じます。
今日はひとつ発見をしました。それは、過去5年間のまとめを始めて以降、時に別の人格であった自分と語り合ってきた事実を大切にしてきたことが、今日になって、「私に複数の人格が居たのは、自分が壊れるほど傷つけられたからだ」というところへたどり着いたことです。 このことは、5年前の私も頭ではわかっていたけれど、これまで道理がわかったに過ぎなかったことを、今日、心に実感したのです。 こうしてみると、今を知っている私は私の一部分で、実際には、まだ日陰に入っている私がたくさんあることも感じさせられます。 こんな気づきが楽しくて、もっと自分を意識して過去を見たくなりました。
2003 年6月9日は新しい私の出発の日でした。あの日からまる5年が過ぎ、私探しの旅は6年目に入り、家を出る前から数えると6年5ヶ月目になります。 そんな私の数日前の淋しさは、子ども達に会いたさからでした。でもね、すぐに分かったのです。 私は、淋しさや憂いの中で生きたら、将来彼女達と向き合うことが出来にくくなるのです。物理的には今でも子どもに会うことはできそうですが、心を基準にする私には思いつきません。と、書いた私は、自分の未来をプラスに導いてあげられたのですねぇ。 6年目の私も、明日を見て、過去より楽な自分を楽しみ、どこまでできるか、自分を試していくのです。 私の未来が広がるよう、出来ることをしながら新しい自分を育てます。こんな自分を見るのは面白いのです。
朝6時半にパソコンを開いて、時々お茶を飲みながらまとめをしました。今はメモ書きを整理しているのですが、ノートの端っこに書かれた一言に、当時分からなかった自分が見えて興味深いです。それに、今日の気付きは明日の自分につながると思うと、まるで、過去に残した小さな点を集めているようでした。 15 時ごろ、プールに行きたくなって外に出ました。 この頃は日中暑さが増しているのですぐに汗が噴出します。途中の公園で自転車を止めたら、目の前に、腕を回しても手が届かないくらいの大きな木がありました。地面には、はみ出た根っこが蛇のようにうねっています。 その根っこを見ているうちに、木の肌に頬をつけてみたくなり、木肌の感触を私の細胞の一つ一つに沁みこませました。 再び自転車に乗り、上を見上げたら、木の葉の間から太陽の光が差し込んでいました。
なんだか淋しい。感情が膨らんで心が痛いよ。気分転換の散歩に出たのに、誰か私に話かけてくれないかなと思ってる。淋しいってどういうことだろう。 淋しいときにやさしくされるとうれしい。安心したり体の力が抜けたりする。やさしくされて力が抜けるのは、それまでは力を入れて生きていたということだ。やさしさは、淋しい人がいると発揮されるんだ。だから、憂いという言葉がつながるんだ。 今の私はどうなんだろう。何故、淋しいんだろう。太陽は遠すぎて手が届かない気さえする。自分は一人を楽しんでいるのか、そうすることを余儀なくされているのか、分からなくなった。
淋しいって、どういうことだろう。 淋しいを辞書で引くと、心が満たされていない状態と書かれていた。そのとおりだと思う。枯渇して死んでしまいそうな自分。満たされていないよ。 でも、何に満たされていないの?今私は自分で自分を暖めてあげることが出来るのに。ということは、これはチャイルドの叫びなの。子どもの頃、放っておかれたから、心に残っていた淋しさがあふれ出た。 道を歩く人々は、私の不足部分を満たしてくれる親とは違う。代理の親とも違う。私は自分で自分を満たしてあげよう。
何をすれば楽しいだろう。今日は3つ目の日記をまとめるのが楽しくて、時間を忘れた。他に何をしたら楽しいだろう。この間はベトナム語の世界地図を見て遊んだ。私は楽しみを探すことが出来る。大きな能力を持っているョ。私は自分を愛する方法を探しているんだ。
夜、ベトナムの友人から、田舎へ遊びに行こうとメールが届いた。私には大切な仕事があるから、明日の自分のために、お断りした。
今日は、代理の Teacher で、殆ど、Teacherと私達との会話形式でした。 質問の答えを真剣に考えるクラスメイトに、「答えは何でもいいの。ベトナム語を話すことをしているのだから、答えは1でも2でも3でもいいのよ」と伝えているのを聞いて、うなずきました。最後まで楽しかったです。
昨晩、ベトナムの友人に聞いた夜市に行ってきました。場所は家から歩いて 15 分くらいのところで、車がやっと通れるくらいの広さに、夜7時ごろから出店が並び、夜中の2時過ぎまで賑わっているそうです。私が行った時には、まだ準備段階で、テントや品物が道にあふれていました。開店を待ちながら歩いてみると、出店の端から端までゆっくり歩いて 20 分くらいでした。品物は衣料品が殆どで、途中に Pho のお店がありました。 準備の出来たところからお客さんが集まり始め、私も白いTシャツを2枚買いました。
エアコンの調子が悪いので、もう一度大家さんにお願いしました。今日は部屋の中で修理です。午後2時に始まって、終わったのは夕方5時過ぎでした。私の部屋のエアコンは、形の識別が出来ないくらいに古いのですが、日本で捨てられたものだと教えてくれました。日本で使えないと思われるものも、実際にはまだ利用できるものがあるのですよね。 日本人の私は、3時間もかけて修理してくれたベトナムの人を前に、少し恥ずかしくなりました。
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