「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEX|past|will
吸い込まれるようにまとめをして、うれしい気付きの一日を追え、「寝る前にもう一行」 とまとめをしていたら、ある事実に気が付きました。 今まで、自分の一部だから否定しにくいと思っていたマイナスの人格を、否定しにくいと思うことこそが過去の捉え方だと気が付いたのです。 人格を知ってからの経過に視線を移して、長かった6年間のことが浮かび、体に戦慄が走りました。 「ついに、こんなことが出来たんだ!」 私は彼女を断ち切れる。 この喜びを誰かに。私のことを知っている誰かに伝えたいと、心は躍りました。 それから、その思いを自分に向けて、こんなふうに言ったのです。
「もう大丈夫だよ!見えてきたよ!」
もう少し早い時間に作業を始めたいと思い、5時半に起きました。それから、足の運動をしたかったので重りをつけて、30分かけて気になっていた市場に行ってきました。帰ったら7時半。そのまま机に座りました。 10 時半ごろ、首が疲れてベッドに寝転び、天井を見上げ、昨日から気になっていることを引き出したら、“点”という言葉が浮かびました。 今も、点だと解ったら、体の力が抜けていき、これから続く私の道を形は違っても大切にしようと思えてきて、それから再び、体の力が抜けていくのを感じたのです。 「あーたぶん、これでいいんだ。無理をしていたんだね。もう、自由になろうよ」と、浮かんだ言葉に、心はうなずきました。 頭に、腰につけていた重りが外れる風景も浮かびました。 重りは外側から外れたのか、自分ではずしたのか。自分で外して、そして自然に外れたと思いました。重りは呪縛です。 しばらくして、再び「すること」を引き出しました。 これも、“点”だなぁと思いつつ。
気になることがあって、気にはなっているけど「する」ということをしました。この頃、歩いて外出するときには、お手伝いの女の子も一緒に行きたいと言い、私も気分転換と勉強をかねて二人散歩をすることが続いていたのですが、今日はそれを遠慮させてもらって、一人で歩きました。 夜、長女の手紙に返事を書きました。長女の命をお腹に感じたときのことを思い出しました。今日の私は、手紙に答えられる自分であることに、安堵しました。
昨日の朝は、朝ごはんの変わりに食べようと思っていたアイスクリームがなくなっていました。節約生活の中の贅沢を持っていかれて、ショックが大きかったので、管理人さんにメールをしました。管理人さんは、午前中にアイスクリームを持ってきてくれました。でも、それを頂いても、これからの私の心の安心にはつながらなかったので、 「冷蔵庫に、日本語とベトナム語で張り紙をしてもらえますか?」 とお願いしてみたら、肯定してくださいました。私は、私のアイデアを受け入れていただけたことにお礼を言いました。 日中は、部屋のガラスの修理やさんが来ることになっていたのですが、業者の方は 17 時になっても来ませんでした。それで再び管理人さんにお尋ねしたら、夕方には行きますと言いました。「 “ベトナムの夕方” は何時なんだろう」 と思っているところに管理人さんの友人が修理に来ました。
今日は日曜日ですが、私の一日はいつも同じでした。公園の前で野菜を買って、壁投げをしてご飯を食べて、仕事に入りました。 まとめの方は、その内容に惹かれてあっという間に時間が過ぎ、ベッドにもぐりこむこともなく、気が付いたら夕方になっていました。 このベトナムという国に生きる私。今私は、小さな出来事がいくつもある毎日の中で、戸惑いを置き去りにしていた自分に気が付きました。 本を書くことは優先順位のトップですが、毎日自分の心をその時々で丁寧に向き合い整理することは、それよりも大切だと認識した日曜日でした。
朝の市場で買った野菜を、やかんで野菜をゆでてみました。私のやかんは中に電気を通す管が入っている特殊な形で、中が汚れたら洗うのが面倒だと思っていたけど、してみると面白かった…。それに何ヶ月かぶりに食べた茹でたての野菜、感激しました。 まとめは、ひとつの引き出しをたどっていたら、再び新しい日記を発見しました。そのまま読んでいたけれど、 戸惑いと 「今まで知らなかったのはなぜだろう…」 があったので、集中できず、いったん P.C を閉じました。 でも、解らなかった理由を探しても、そこに留まっているうちはきっと解らないのです。今は原因を探すよりもそのことをどうするか考えたほうがいいと思えて、もう一度 P.C を開いたら、今度は「今日、新しいページに出会ったんだ」と、ワクワクしてきました。 こんな時、以前なら戸惑った自分を否定していました。否定からは否定が生まれやすいです。戸惑った自分を見るということをして、アイデアが浮かんできた自分を嬉しく思いました。 「する」 ということをしているとき、心は軽く、すがすがしい気持ちです。 今、どうするかを考えることは、今を生きていることだと、してきた分だけわかってきた今日この頃です。
ところで…まとめとは別のことですが、夜うれしいことがありました。 内容は日本に帰るまでは書けませんが、こちらも、続けると出来るようになるんだと実感した出来事だったのです。 きっと、私は自分をありのままに認めると、いいことがあるのです。 私は自分を肯定するのが好きです♪
昨晩10時頃には眠っていたので、今日は6時前に目が覚めました。ちなみに、毎日バイクの音で目が覚めるので、目覚まし時計は要りません。 この頃、朝の運動が気に入っています。公園の空気も気持ちいいです。公園内に壁投げ出来るスペースを見つけて、素振りと壁投げを交互にしています。 でも、バットを振ったときに「ブン!」と音がなりませんから、まだまだ。筋肉が付くのはこれからです。 朝ご飯は路上の屋台でフォーを食べました。ベトナムの人は、朝からお肉を食べていますが、私の体にはさっぱりした麺類がちょうどいいです。 家に帰って、パソコンを開いたら再び超スロー回線で、つながりを待っているうちに、あっという間に1時間が過ぎていて焦りました。 待っている間にも本につながる何かをしようということで、私は具体的にどの時期に本を仕上げたいのかと、年間カレンダーを作りました。 そして、今作っている引き出しが今月中に出来上がることを目標にすることにしました。新しい目標が出来て、気持ちが新たになりました。 それなのに、過去のものを読んでいるうちにその出来事の中に入って自分を探していたり、読むのが辛くなったり、キーボードを打ってはいるけど楽しくありません。 「あ〜あ。つまんない」とベッドに寝転んだとき、自分を完全に知ろうとしている自分に気が付きました。完璧を求めたら疲れて興味が沸かなくなっても当たり前なのでした。 そんな中でも毎日小さな発見をして、重なる発見が確信になるよう動いていると思えています。変化は小さくても変化なのです。
夕方は、縄跳びをしに行きました。ホテルのガラス戸に自分を写して30分くらい飛びました。途中でホテルの方が来て、ビデオの早送りのような速さで縄跳びをする真似をしたので、笑えました。
家に帰って、ご飯を食べて、シャワーの前に軽く運動して、寝る前にもう一回パソコンを開いてまとめをして、今日もまとめの一日が終わりました。
今日は朝早くに雷雨が来て雨音で目が覚めました。ちなみに、私の部屋は、雨がたくさん降ると床に雨水がたまるのです。雨水は天井から降ってくるようでも窓から侵入するようでもないので、タイルの目地から染み出してくるのでしょうか。床の下にも部屋があるのですが…。とにかく不思議です。
今日は日曜日です。この辺りは、日曜日は電圧が上がるのか、パソコン本体に熱がこもって、動きが遅ーくなり、文字変換さえままならなくなります。それを、ただ待っていると嫌になるので、その間テレビを見たり勉強したり、軽く運動してみたりします。部屋の中でもすることを探せるのでいいのですが、集中力に欠けるのです。 そんな中、「まとめること」「傍観すること」を意識しなおして、一日を過ごしました。
ところで今日は、改めて決めたことがあります。私は本を書き上げた後にしたいことを決めました。そのことが出来るように、やはり、本書きを最優先することにしたのです。 体のために運動を取り入れて。「運動・栄養・本書き」、この3つのことをする自分をすることにしました。
午後、研修生さんだったお友達が遊びに来ました。本の話になって、「どれくらいの本?」と尋ねて下さったので、「これくらいかなぁ」とシュミレーションしたのは、B5サイズの600ページでした。 他に、紙の質の話や出来上がってからのことにも広がって、点が近くなったのを実感しました。
最近、言葉の勉強を兼ねて、テレビをよく見ます。 見るテレビはラブストーリーのドラマと、子どもさん向けの番組が多いです。ドラマは内容よりも普段の会話の中で使える言葉が出てくるので面白いのです。子どもさん向けは、言葉が分かりやすいので好きなのです。 それで、今日は「Tom&Jerry」を見ました。 Tomは猫でJerryはネズミです。猫はネズミを捕まえようとしますが、ネズミは体は小さいのに、頭を使って逆にいたずらするのです。「ネズミが猫に噛み付いたっ。あべこべだ猫じゃらし」と、歌の歌詞にもあるように、どっちが誘っているのか分かりません。 そのネズミJerryの奮闘振りとしっぺ返しにあうTomの間の抜けた(ごめんなさい)お顔を見ているうちに、私の中にチャイルドを癒やす時のイメージが浮かんできたのです。私は今、プラスの知恵を使って生きていますから、その私の中にいるチャイルドも自分よりも大きな大人をやっつけられるのです。こんな自分が頼もしくなって、とうとう1時間、2匹のやり取りを見てしまいました。 テレビがこんなに面白かったなんて、初めてかもしれません。
朝一番、バットを握ったら手のひらの “まめ” が破れてしまいました。洗って清潔にしたほうがいいのでいったん家に帰り壁投げをしに出ました。ところが、いつもの場所に車が止まっていて、壁が使えませんでした。端っこのほうで投げていましたが、ついに球がそれて排泄物のにおいのする辺りへ入っていきました。はぁ〜。球は汚れずに済みましたが、汚れてしまうと嫌なので、壁投げも止めました。 そこへ氷やさんが現れました。壁の端っこの倉庫に氷をたくさん収納していて、それをバイクに積んで方々へ売りにいくようです。 感心したのは、倉庫の中はトタン貼りで特別冷却されているのではないのに氷が解けないことです。運動は出来なかったけれど、面白いものを見せてもらったので、満足して家に帰りました。
午後はまとめに入りました。この頃はパソコンのデスクトップに並んだ 「心の引き出し」 を見て喜んでいます。 それから、今日も新しい発見をしました。それは人格についている名前のことです。今まで、それぞれの名前の由来を気にしたことはありませんでしたが、今日、一人の人格の名前は、実際にその当時人に呼ばれていた名前だったことを思い出したのです。 さらに、夕方には、同じ日に6つの引き出しに分けられた日記を見つけて、悲鳴をあげました。能力を意識しなおしてもう一度デスクに向かいましたが、読んでいるうちに混乱してきてベッドにもぐりこみました。しかし、こんなことも心の傷を知るきっかけになりました。 水脹れの“まめ” はつぶれましたが、“まとめ” は進みましたから、“まとめ” をするには自分を“こまめ”に見るといい、というのは私の “まめ” 知識です。“まとめ”の “と”を取ると “まめ” になるのですね…。そういえば、私は毎朝 “豆乳”を飲んでいます。
ちなみに、辞書を広げてみたら、食べる“マメ”はカタカナで、水脹れの“まめ”とまじめの“まめ”はひらがななのでした。文章で遊んでいるうちに豆知識も増えました。
今日は、朝起きてすぐに、公園へ素振りに行きました。久しぶりなので、手にマメが出来ています。つぶれると痛いので、温存できるように大切にしています。 しかし、バットが重たくて…。それから、腰の筋肉も使うのでちょうどいい加減で止めました。(というより、出来ませんでした。) 素振りを止めた後、空手の形の練習をしました。体が喜んだのがわかりました。
午後、同じ大学に通う日本人の女性3人と食事に行きました。久しぶりにレストランというところに入り、最初は自分の来る場所ではないようで落ち着きませんでした。 お店の中は清潔で、お料理は大衆食堂よりもきれいでおいしかったけれど、料理がなくなってお腹が満たされると同時に話題も尽いたような雰囲気を感じました。二人の方とは初対面でしたので、心の本を書いてると言うと「ふーん」と返事を頂いて次の話題に移りましたから、皆さんの関心と私のそれは違うことがわかりました。 食事の後、皆さんはカフェに、私は家に向かいました。私もコーヒーが飲みたくなったので、ベンタイン市場のバスターミナルでカフェを買いました。帰り道に考えたのは、「こうして、自分にいいものをチョイスしていけばいい」ということでした。
いつもよりもたくさん食べたので、夕ご飯は入りませんでした。
|