「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年07月30日(水) かたち

 昨晩、寝付けない布団の中で自分を見ていたら、私の中から「一日も早くに、自分をまとめてあげたい」が出てきて、ごく自然に作業の再開へとつながりました。
望んでいるのは 「一日も早く」 ですが、心はのんびりしています。優先したい気持ちがもっと大きくなって、一番したいことをしているからだと思います。
 明日で7月も終わりです。私の予定では7月中に引き出しを完成することとしていて、今日までに3人残りました。でも、振り返ってみれば2日間のお休み以外はすることを進めていられたのです。それに、したいところから広げていったので、進め方もあっていたみたい。今日は、形になった結果を見て、その面白さを味わいました。
 残った3つの引き出しは、その一つ一つさえまとまりがありません。これからどれだけ出来るか、楽しみにしています。


2008年07月29日(火) 選んであげるということ

 研修生さんだったお友達から連絡が来て、「一緒に住みませんか?家を見に来ませんか?」と誘っていただいたので、遊びに行きました。彼女の家は大学のそばからバスに乗って約1時間。ホーチミン市で一番大きな公園のすぐそばにありました。
 家では妹さんも待っていてくださったので、3人でご飯を食べました。
 遊びに行ってわかったことは、都心から離れると都会にあるものはなくなるということです。さらに、家賃の安さを求めると電化製品はなくなりますから、優先順位によっては、便利さをお金で買うということもひとつの方法だと思いました。
 一日に何度か、先週から気になっていることが顔を出しました。その度に自分を見て、吟味して動くことを練習しています。こちらも、自分にいい方法を選んであげることのひとつです。


2008年07月27日(日) 財産

 日本の情報だが、7月27日付け産経新聞インターネット配信の『15年間DVを受けた末、夫を殺害してしまった女性の事件』を読んだ。被告女性の子どもさんは性的虐待も受けていたそうだ。
 裁判での被告人質問の内容は、読み進むに連れ、その悲惨さと反比例した社会の視点の浅さを感じざるを得ないものになっていった。
 自分を守りきれず人を殺してしまうということ。6年前まで、私にもその可能性はあった。そして、これからも、自分の心の傷を思うとき他者を傷つける可能性はゼロだとは言い切れない。
しかし今、心の傷を癒やす方法を知っていることは大きな財産だと感じている。


2008年07月26日(土) 楽しみたいという気持ち

 眠った分だけ眠れた朝。今日は外に出ようと決めて準備をしました。行き先は、昨日に引き続き公園です。でも、今日はいつもとは違う初めての公園へ行きました。車が多くて平日のようでしたが、バイクの皆さんには追い越して頂けることを願って、のんびり走りました。
 公園には池がありました。水のある場所は心が落ち着きます。今はホーチミン市の中心に住んでいますが、私は今、引越しをしたいのです。
次は、車や人の少ない変わりに自然に囲まれた静かな場所へ行きたいなぁ、という思いが、池を見てさらに大きくなった Mamo ちゃんでした。
 
 最近、チャイルドが出てきてくれることが続いて、喜んでいます。たぶん、今までよりも、能力を実感できていることやフラッシュバックした自分に気付けるようになったことが今の自分に育った要因だと思いますが、その時々で癒やすチャンスを拾えるよう、心を大切にしています。
 まとめを始めてからの私の発見は、ときに驚きに値するものもあり、「本を作ること」を単にひとつの目標として捉えていた数ヶ月前を思い起こしては、意識の違いに感心しています。やはり、この作業は私に必要なことだったのです。
 一昨日と昨日はまとめを休みましたが、その間にも浮かんだことをメモすることをして、その延長でまとめを開きそうになりました。でも、そんなときにも心に注意を向けてみると…。心の声は「まだ早いよ。もうひとつ仕事が残っているよ」と言いましたから、そんな自分に寄り添って、今日一日も自分を待ってあげました。
 その理由は、そのことが「出来る」ということと「楽しめる」ということは違うから。私は自分のしていることを楽しみたいのです。

池の傍に、“鳥小屋??”  陸のイソギンチャクみたいでした。
大空に羽ばたくところです。
 カメラを持って待っていたら、ベンチまで来てくれました。


2008年07月24日(木) 心のお昼寝

 昨晩は、たぶんハウスキーパーの女性が部屋をノックしてきましたが、私は自分を大切にして、答えずに過ごしました。先週、二人目のキーパーさんが住み込みで就職なさって、今まで働いていた女性は、来週にはここを出て行かされるらしいのです。新しい女性の仕事の丁寧さはホテル並みに思えるくらいですが、こんなに急な話もベトナムでは仕方のないことなのでしょうか。
 今朝は6時過ぎに起きました。今日は、「まとめの扉を開かないということをする」日なのです。行きたいところはないけれど、家にいるのも変化がありません。ベトナムに居るんだからベトナム語でも勉強してこようかということで学校に行きました。
 クラスに新しい子が二人入っていました。話をして面白かったし授業も楽しくて、吸い取られていたのは、現実を楽しむ余裕だったと気付きました。
 学校帰りはいつもとは違う市場まで足を運び、午後は簡単な料理を作って洗濯をして掃除をしました。「何もしないってどういうことだっけ」と思う自分を見て、「私はいつも何かをしているんだ」と気付きましたが、きっと今は生きるための最小限のことをしているはずです。
 お昼ごはんを食べた後、したいままをしていたら、日中に3回も昼寝をして、最後は夜になっていて、「私ってこんなに寝れるんだ。疲れていたのかな」と自分を振り返りました。
 そういえば、難しい文章を読み解く練習をしているうちに考えるということが止まらなくなり、そんな自分は、理由のわからない「なぜなぜ?」を探し続けた子どもの頃と同じになっていたのです。もっとも今は、くるくる巻きの自分に気付いて修正できるようになったから、切り替えられる分だけは大人になっているのです。 
 自分にゆったり生きるには、心はいつもお昼寝モードがちょうどいいのかもしれません。やっぱり私は疲れていたのです。

   昨日、Air-mail を出しました。差出人は4人の子どもの母です。
A4サイズの紙が2枚で、11500ドン。


2008年07月23日(水) とき

 5時前、夢の中で、昨日あった出来事を思い出して目が覚めました。すればいいことをしているのに心が痛む理由を探したら、私はいつも、自分を「勝ち組」に入れていたことに気が付きました。心の傷を癒やし始めて、した分だけ出来るということを知りましたが、その満足感はいつの間にか、「勝ち組」という枠の中に自分を入れる形になっていたのです。だから、起きた事を悔やむ私に巻き込まれていたのです。そんな私も 「結果もここにあるからこれでいいんだ」 と思えたら、自分に寄り添って私のペースでいこうという気持ちになりました。
 「遅れたなぁ」と思っていたけれど、この気持ちが自分への否定になるのなら、自分自身と比較することも無意味です。将来、過去になった“とき”を見て、あの時少し遅れたよと言えたら、それでいいと思います。
 自らをせかした自分を発見するとき、いつも思い出すのは、昔バイト先の救急病院で見たやけどの少女です。痛みに泣きながら、破けた腕の皮膚にもう片方の手で一生懸命水をかけていた少女の耐えようとする姿が私の心に残ったままなのです。
自分を理解することさえ、一生懸命になったら自分がかわいそう。出来た分が出来た分でいいのです。 
 


2008年07月22日(火) 未来

 少し前に、いつの間にか重りになっていた部分に気が付いて、それをはずそうとしたら、重りは、私の気持ちに後押しされたように、それ自身からも自然に外れてくれました。外れた重りを少し離れたところから眺めたら、それは、今まで自分自身でまとわり付けていたときとは違って、これからの私にとって大切なものだと感じられました。同時にその開放感も味わって、物事は、自分の心や捉え方次第でどのようにも変わるということを実感しました。
 学校が始まりましたが、今日は行かずにまとめをして、ついに30個近くの引き出しが整いました。並んだ引き出しを見てようやく、「これをどうやってつなげていこうかなぁ」というところを視野に入れられるようになり、「なんでもひとつずつ」の事例を体験したようでした。
 多くの気付きは、私独自のもので、これを本という形として残せるかもしれないことにも喜びを感じられるようになりました。
 まとめの間に、時々、6月の出来事を思い出しました。それで、その後1ヶ月を楽しんだ私は、私だったのだろうかと新たな疑問もわきましたが、きっと私なのです。何があっても、MamoちゃんはMamoちゃんだから。


2008年07月20日(日) ずれ

 日曜日。昨日夕方、重りを付けて自転車をこいだので、足が筋肉痛になりました。
 午前中は、メールの返事を書いたり日記を整理したり、でも、落ち着きのない自分を感じて、つまり「今日も気分が乗らないんだ」と思いました。
 そんな自分を整理して、午後からはまとめをしました。引き出しはだいぶ整ってきたので、根底の傷を抱えると捉えていた人格の大きな引き出しを作り、そちらを少し整理しました。
 それから、6月始めの出来事に関連して、ベトナムへ来てからの自分に問題があったのではないかと思い、そちらを思い返していたら、いくつかのずれを発見しました。
私は今を生きていたけれど、小さな自分を見落としていたのです。


2008年07月19日(土) 癒やすということ・開く扉

 今朝、興味深いことがありました。
いつものように体操に行こうとしていたのですが、「行きたくない」と感じている自分に気が付いたので、その声に耳を済ませたら、チャイルドが出てきました。その子は、小学校の夏休み、ラジオ体操のために叩かれて起こされて、行きたくないのに行かされたチャイルドでした。
 その子に「行きたくないときはいかなくてもいいよ」と話したら、話している自分自身も安心し、そしてチャイルドもそこに居て、「外に行ってみようか」ということになったのです。今朝の空気は吸う私の目は、実際には見えないけれど、穏やかだと思いました。

 日中は、昨日までの疲れのためか、PC を開いても何もする気が起きませんでした。まとめを始めてから初めての、何もしたくない気持ちです。「まぁいいか」とベッドの上で、ごろごろしながらベトナムや日本のニュースを見て過ごしているうちに、今までの「しゃにむに」は、社会の情報に興味を持つ隙間がなかったとわかりました。

 夕方になって、ひとつくらいは形になることをしておきたくなって、長女に書いた手紙の返事をコピーしをしに、自転車に乗りました。
 すると、走りはじめて間もなく、こんなことがあったのです。
 自転車をこぐ私は周りに興味のない自分を感じたので、「Mamo ちゃん、でてきてごらん。おもしろいよ」と言いました。
そうしたら、Mamo ちゃんが出てきて、でもMamoちゃんは怯えてうずくまっていて、「恐かった恐かった」と言いました。
Mamoちゃんは何回も「恐かった」と言いましたが、私も Mamo ちゃんがそう言った分だけ「恐かったね恐かったね」と言いました。それから「もう大丈夫だよ」と伝えました。やがて、Mamo ちゃんは消えて居なくなりました。
しばらくしてもう一度「Mamo ちゃん、面白いから出てきてごらん」と言ったら、又出てきて、今度は違うことを言いました。私も最初のときと同じように話をしました。
こんなことを繰り返しているうちに、風景を見ている私自身が楽しくなってきて、看板を見たり人の動きを見たり、自転車の旅を楽しむようになりました。
 用を済ませた帰り、今度は Mamo ちゃんは自分から出てきてくれました。そして、1ヶ月前のあの時のことを、「あんなことが恐かった」「このときはこうだった」「どうしたらいいかわからなかった」と、合計4人のMamoちゃんが話をしてくれました。
私はただ Mamo ちゃんの言葉を繰り返し、Mamoちゃん自身の言葉がその次の言葉を引き出せるように心を傾けていました。
ひとつの出来事に何人もチャイルドが居ると思うので、あと何人居るのかな、と語る私は誰かというと、Mamoちゃんです。
 そしてこれで終わりではないことは分かるから、コツコツ丁寧に続けていきます。


2008年07月18日(金) 新生

 約1ヶ月前の6月10日、ある出来事がありました。それは、この6年間の人生の中で一番のアクシデントでした。コツコツ癒やして落ちたはずのマイナスが再び押し寄せ、癒やした空間に育ててきた愛は消えてなくなり、自分は死んでしまったと思いました。緊張して体に力が入り、呼吸は浅くなりました。
 それでも、それまでと同じ日常をこなそうとしました。しゃにむに「まとめ」をして、そうしていれば乗り切れることを無意識に願っていました。
でも、それは振り返ってみれば、傷ついた心を感じられないまま押し込んで、「平気」 をしようとする私だったのです。だから自分を余計に混乱させ、その延長で6年間続いたページは閉じる結果を招きそうになりました。
 昨晩は、狭い部屋の中を、「これからどうしたらいいんだろう」と道に迷った末、2時間くらい寝ました。朝になったら、頭には繰り返し同じ歌を歌う自分が居たので、 「あー、自分はこんな状態になったんだ」 と自覚しました。歌の歌詞は、成人した頃のある時期好きだったもの。私は頭の中の自分と一緒に歌いました。心がちぎれそうなのは、閉じかけたページを思ってか出来事を思ってか。自分を探してみると、それは、自分を傷つけたことへの悲しみでした。それが解って安心したのか、「これからどうしようか」 を考えられるようになりました。
 「この心の痛みを置き去りにしたら本当にだめになる。今日は何もせず、自分を感じることをしよう」 と決めました。もう、本は出来ないかもしれないとも思いましたが、仮に本が出来たとしても、今を置き去りにした本なら私にとっては無意味だから、「出来ても出来なくてもどっちもいいよ」 と、傷ついた自分に言いました。
 そうしたら、1ヶ月前の悲しみが沸いてきました。ベトナムは地獄で、この国の誰とも口を利きたくないと思いました。
「私はこんなに苦しかったんだ。自分を置き去りにしてたんだ」。
 感じるままに自分を預け、泣いたり怒ったりしたあと、「Mamoちゃんごめんね」 と謝ってあげたら、一人分の肩の力が抜けました。
誰とも口を利きたくない自分に、「話したくなるまで誰とも口を聞かなくてもいいよ」 と言ったら安心して、一人分か二人分かの肩の力が抜けました。
 そのあと、このトラウマをどうすれば取れるかを考えました。起きてしまったことは変えられない。変えられるのは私のこれからだけです。
 浮かんだのは、この出来事もまとめて本にすることでした。そのためには1冊目の本が必要です。
「1冊目が出来たら今のことも書ける」 。私はベッドから立ち上がって、パソコンを開きました。
 でも、デスクトップに並んだ引き出しの行き場所は変わるかもしれません。どうしたらいいのだろうを探したら、本 『インナーチャイルド』 を見つけたので、本を開いて自分を安心させてあげました。
 数行読んだら 「すれば解るかもしれない」 という思いが浮かんできたので、本を閉じて「何が出来るかしてみよう」を始めました。
 時々、泣きたくなって、そんなとき「泣いてもいいけど手を動かそうか」と自分に言っていました。
 
 昼すぎ、洗剤を買いに外へ出ました。そうしたら、バイクタクシーの手招きや車の騒音に怒りが沸いて仕方がありません。自分は、本当は怒ってるんだと思いました。それでも、昨日よりも力を抜いて歩いているのに気が付き、自分は1ヶ月間することを怠ってきたのだと解りました。

 家に帰った時、「こわいよぉ」 とFBしている自分になっていました。アンカーしたあと、それは弟に体を触られているところを見ていた人格 「なつき」 のチャイルドが出てきました。
長い間置いてきぼりにしてきた 「なつき」 のチャイルドに、「こわかったね」 と言葉をかけました。
 机に座ろうとしたけれど体がこわばっている気がしたので、ベッドに寝転がりました。そうしたら、頭に歌が流れてきて、今度は軍艦マーチのような行進曲でした。もう一度一緒に歌ってみようとリズムを取っていたら、歌の間から 「たすけてたすけて」 という声が入ってくるようになりました。その声はしばらく続くうちに、ある一定のリズムになり、昔居た、歌う人格 「Samu」 が出てきたので、私の子ども時代は、「たすけて」と繰り返しているうちにそれがリズムになって歌になったのだと解りました。
「Samu」は、男の子のような女の子のような姿です。その子は 「たすけて」と繰り返すので、「どうしたの?」 と尋ねたら、「胸が痛い」 と言いました。
「胸が痛いんだね」 と言ったら 「うん」 と言い、もう一度 「どうしたの?」 と尋ねたら消えました。
その子は歌っていたけれど、本当は 「胸が痛い」 と言いたいチャイルドだったんだと思いました。
 私も落ち着いたので、パソコンを開いて、「よしお」 というアルコール依存のおじさん人格のことをまとめました。「よしお」 は、母から受ける性の虐待に負けないよう作られた人格のようでした。
 途中で又、悲しくなり、もう一度ベッドに寝転んで深呼吸をしました。悲しみは今度は、あの日、大切にしていたものをなくしたことへの悲しみでした。
 その時、最近の自分の言葉を思い返しました。
「今まで生きてきたから、これからだって生きていける」。そう。私はたぶん生きていけるのです。そして、今までと同じくらいかそれより少しいい程度に生きていける。生きるだけなら誰にも出来るのです。そこをどう生きるかが問題だったのです。自分は道を間違えていたと再び実感しました。
 それなら、今の私も、昨日までのことは昨日までのことで、今からどう生きるかなのです。
 再びいすに座ったとき、家を出て来る前の自分を思い出しました。あの時、子ども達に自分を伝えることのできる自分が居たから、今があるのです。
だから、ここに書いたことは、その次を見る私の 「したこと」 でした。
そして、今していることは2冊目の本を書くための 「する」 です。


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