「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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夕方、学校の友人に紹介してもらったアパートを見に行った。今は外国のご夫婦が住んでいるから6畳広さの部屋の中に生活道具はそのままだ。私が二人寝れるくらいのベッドが壁に沿って置かれていた。ご夫婦は、冷蔵庫や洗濯機など必要なら売りますと言った。私の住まいの条件はインターネット回線があることだ。聞くと、「回線はあるが、自分で設置したから譲るのに約100ドルだ」と言う。そんなまさか。ベトナム生活で飛行機代以外に100ドルもかかるものに触れることがあるなんて、想像もしないから驚いた。その他の家具も譲ってくれるという値段は、この半年の間にすっかり遠のいたドル値だ。汚れたヘルメットをかぶったまま質問していても、やっぱり日本人だからかなと思いつつ、尋ねるのをやめた。 その物を買わなければ、立地場所と広さとクーラートイレシャワー付きで、11000円は安いだろう。シンク台は欲しいが、あれば調理器具がほしくなり自然と物が増えるから、逆に無くてもいい。シャワールームは今のところより広いし、市が管理している飲み水に近い水道線を自由に使えるらしい。(そんなものがあったのね) しかし、ネックになることが二つあった。私は今まで冷蔵庫とお湯のない生活をしたことがないのだ。ないない尽くしだが、冷蔵庫のない生活がどんなものかイメージが沸いてこない。それでも外に行けば物は買えるし何とかなるということにしてみた。しかし、冷たい水でシャワーを浴びるのはどうかというと、びっくりしてかわいそうになったお尻のイメージが浮かんでくる。条件の2つ目が確定した。安さより安堵感だ。それでも、一呼吸おくことにして、「月曜日に返事をします」と伝えて家に戻った。 夜、お湯シャワーで喜んだ体でベッドに飛び込んだら、アパートのご夫婦から電話がかかってきた。 「インターネット回線買いますか?」。考えてみれば、Wifi があってもいい場所だから、回線はいらないかもしれないと一応聞いてみた。「Wifi 出来る場所?」「Wifi も準備できますが、もっと高いですよ」 私のほうは、数時間前に別の友人から聞いた情報を思い出した。「Wifi を自分で付けた時、始めに20万ドンくらいだったよ」。 どちらがどうかと自問する間もなく 20 万ドンを選んだ。真実は自分に問えばいい。私の生活に近いほうだ。 電話を切った後、ある外国の友人の言葉を思い出した。 「みんないい加減なんだから、いちいち本当のことなんか言うことないよ。」 黒い箱の中で真正直に生きて辛くなっていた自分を思い出した。今だって時々、真面目にしすぎてしんどくなる。何が大切か、今を楽しむことだ。楽しんで書いた本なら、読む楽しみも大きい。 私も時々、いい加減に出会う。そんな時は、ちょうどいい加減に対処できる自分を楽しもう。 何しろ私は、今、裕福と保護のある国から離れて生きているのだから。
昨晩は、22時には眠っていたはずなのに、5時に合わせた時計は夢の中で止めたらしい。目が覚めた時は7時になっていた。それに、咽喉より手前の辺りが痛くて頭も重い。どうやら鼻の奥にばい菌が集まってしまったようだ。今日は散歩は中止だ。寝すぎてマッタリした頭で 「朝晩冷えるからなぁ」 とつぶやき、布団の上で小さな子どものようにごろごろした。 それからBinh miを買いに出て、ついでに新聞を買った。中を開くと、あったあった。小さ2ミリくらいの小さな字で何ページにもわたって、貸し部屋コーナーが並んでいる。辞書を引き引きしばらく見入り、単語が分かってくるうちに、自分で電話をしてみたくなった。好奇心が湧き出したのだ。 夜には、家探しを頼んでいた友人から電話が入った。大学の近くで160万ドン。日本円にすると 11000 円弱だが、設備はトイレシャワーのみらしい。今の家より5000円くらい安いが、こちらの貸し家は、「ない」と言ったら本当に何もない。物を買い揃えるのはひっかかる。手元の新聞を眺めながら話を聞いた。
以前は 「環境を整えてあげること」を知らなかったから、何があってもそこにとどまろうとした。今は毎日、自分にいい道を探してつなげている。こんな私、いい感じだ。
今日は、昨日の公園とは反対の方向へ歩いた。1時間歩いてUターン。途中、市場によって、朝ごはんと Bun の麺を買った。ポットとスープのもとがあれば、家で麺類が食べられるのだ。
そういえば、昨日子ども達から手紙が来た。3つの手紙の束を取り出して中をのぞくと、紙切れが一枚。開くとそこに、長男の言葉が数行並んでいた。 「あの子だ」。 自分の感じたものを心に感じ取る前に、いや、感動している自分を自分の背中から見る前に涙が出て、部屋の中をうろうろした。泣いている自分を見て、「あれ?もう泣いてる」 と思ったから、泣いている自分は見えたのか…。 それにしても、私から返事を出してどれくらい経ったのか。時の経つのは早いと実感。しかし、焦りはない。私のまとめは、昨日よりも中身が濃くなっている。きっと、奥行きが増したのだ。
6時過ぎから池のある公園まで歩いてみた。車も人も屋台も少ない道を「この道こんなに広かったんだ」と感心しながら歩いた。空気は日中よりもきれいでマスクも必要ない。私の予想は当たったのだ。 公園に着いたのは、家を出てから50分後。体は半分満足していた。毎日2時間歩く計画だが、これでは行って帰ることになるなぁと、翌朝のことを思案した。しかし、着いてみれば、家のそばの公園より数倍広くて気持ちいい。ちょっとした森の中を歩いている気分にもなる。「明日のことは明日でいいか」と腰を下ろしたら、年配の男性に声をかけられた。しかし数回聞いても言葉が分からない。どうやら私の頭は、今、日本語モードらしい。 「すみませんが、あなたの言葉が分かりません。私は日本人です」と言うと男性は、「なるほど…」という表情をして、バトミントンのラケットを出した。 久しぶりの全身運動、体は喜んだ。年配の男性は腰をかがめることが出来なかったが、両手に持った二つのラケットで上手に羽を打った。 「カフェに行けますか?」と聞かれたが、体を動かした後はまとめ作業だ。 「明日も来ますか?」と聞かれたが、明日の気持ちは明日になったら分かるのだ。バトミントンをした。それでいいじゃないかと思う。
日中は、部屋にこもった。途中で雨が降って、屋上に洗濯物を取りに走ったが、部屋に戻ったときには雨がやんでいた。時間にすれば2分くらい。これで2回目だ。道路に雨の切れ目を見えることもあって面白い。(それなのに、毎回屋上に走る!)。
インターネットで新しい言葉を知った。「推敲」だ。 文章を吟味し練り直すことを 「推敲」 と言うらしい。「文章を書く際に、じっくり練り直してよりふさわしい字句を選ぶこと」だそう。「添削」や 「校正」とは違う言葉を捜していたから、嬉しかった。私のしていることはこれだ。
昨晩は、布団に入ったあと、浮かんできたものを書きたくてもう一度パソコンを開いた。頭を使ったせいか、再び横になった後もしばらく目がさえて、打ったばかりの文章の先を、心の中に探した。「考えるということ」は頭でするけれど、浮かんでくるのはその時の心に添ったものだ。 今朝は、完成箱に並んだ引き出しを当時生きていた順番につなげてみた。この作業は今までのひとつ先のことだ。何のために本を書くのかを問うた時、ひとつの引き出しの中に、「使いたい部分」が上がってきたことも興味深かった。 昼過ぎ、チョロン周辺へ行きたくなって外に出た。以前はバスを使ったが、今日は自転車だ。日曜日とあって車は少ないけれど、それゆえかバイクは左右から、隼のように通り過ぎていく。おまけに、地図上では通れるはずの道が行き止まりになっていた。ベトナムではあちこちで道路改良工事が行われているから、道の変更はやむを得ない。しかし私は、道路名の標識を読むのに目を使う。まとめに差し支えてはいけないと、途中で引き返した。 帰りに、初めて立ち寄る大衆食堂で、野菜たっぷりのおかずを買えた。 健康な体を維持しようとできるのは、大きな能力なのだ。
最近は、まとめをしながらオリンピックを見ている。こちらはもちろん、ベトナム語で、アナウンサーの視点も違うところが興味深い。
昨夜は夜中に2回、トイレに行きたくて目が覚めた。今朝は6時過ぎ起床。腹筋50回と、傍の空き地で素振り。アパートの管理人さんがカフェでベトナム語のプライベートレッスンを受けてたので、吹きさらしの窓から覗いて挨拶した。そういえば、私はしばらく学校に行っていない。しかし、特別困らずに生きていることを実感しているではないか。鼻歌がこぼれて手に持ったバットをバトンのようにクルクル回した。 気温は低めで肌寒かったので、朝食に温かいコーヒーを飲んだら体が喜んだ。私の体は、温めてあげたら喜ぶのだ。 10 時過ぎ、自転車で散歩に出て 12 時過ぎに帰ってきた。途中、適当なところで昼ごはんと思いつつ、大衆食堂では野菜を並べたお店になかなか出会わないのが現状だ。仕方がないので、家に向かって通った道を再び戻って、覚えのある店でお弁当を買った。お弁当のご飯はいつも、私の食事の2回分。だから、今日は夕ご飯の分も足りるのだ。 ところで、散歩に出るとき、理想は「1時間くらい」だが、いつも、あっという間に2時間くらい経っている。不思議だ。
ほぼ一日まとめ。昼に麺類を食べに行こうと外に出て、入りたいと思うお店が見つからず、スーパーへ行った。都会暮らしは田舎よりもストレスを感じる。Dong naiで撮った写真を見ると、口元が緩む。しかし私の中にはもうひとつの思いがあって、それは、心使いを受けることの感じ方の違いだ。人々・特に私よりも若い方が私の為に動いてくださる時、私の心は複雑になる。便利さを買うかどうかの選択もある。だから、今は本書きをする自分に一番いいことを自分と相談中なのだ。
ところで、今日は私の生まれた日。私は42歳になった。鏡に映る自分は始め、30歳くらいに見えた。それからしばらくすると35歳くらいに見えてきた。何歳かなぁと自分に問うと、私は42歳だ。でも何歳もいい。年齢も国籍も性別も、生きていくうえでは単なる偶然だ。 今日も、時々パソコンの動きが遅くなったので、その間に『Emile』を読んだ。ベトナムで『Emile』を読む機会を自然に得るとは…。つまり、都会にもいいことはあるのだ。ものは考えようだなぁ〜。
昨夕から、Dong nai省のお友達の家へ泊まりに行った。 バスを一回乗り換えて、ぎゅうぎゅう詰めで斜めにしか座れないスタイルのまま Dong nai 川を越えて、全部で4時間。下車後に食べた Bun bo は今迄で一番おいしく感じた。 その晩は蚊帳の中で眠りに入る。ラッパのエコーを声を聞きながら一晩過ごし、朝は市場の音で目が覚めて薪をくべてお湯を沸かす。朝食前に庭のパパイヤをちぎって食べ、昼はマンゴの木に登り、ちぎった草と捥ぎたてカボスジュースで昼ごはん。冷蔵庫や洗濯機の変わりに、全部が人の手で動いてる。懐かしさにホッとしたり、珍しさに悲鳴を上げたり、ホーチミンという町の小ささを感じたり。 住んでみたい場所のひとつになったが、住めるかどうかは未定だ。
ホーチミン市 大雨後、家の前で大渋滞。止まっているのは動かなくなったバイク。この日、バイクにぶつかって転んだ。
ドンナイ省   引越し先候補のお部屋
毛布かと思ったら鳥さんでした。卵を暖めています。その数は10個くらい
 上のものとは違う鳥だけど、お散歩風景 食肉用の牛。近寄っても大丈夫。私も草に見えたのかな。
カラスアゲハ。大きさは日本のものと同じくらい。生息地は東アジアだそう。
“オオトカゲ”泣き声も姿もすごい!全長…私の足くらいの大きさ。泣き声は、ラッパにエコーをかけたみたい。たんすの奥から聞こえるその声に「今の何?」と尋ねずには居られない。白いのは卵。飼っていないけれど、住んでいるそう。すごい!友人のご家族は私の歓声に歓声をあげておられるようでしたが、私は本当に、ワニを見ているような気分でした。
ホーチミン市一番の大きな公園。国道を走ると必ず視界に入る巨大な顔。
10時頃、家のすぐそばの Ky hoa 公園に行って遊んだ。この公園は、結婚式場を兼ねて整備されているから、自然好きな私には少し物足りないが、それでも、ぶらぶらしているとかわいらしい生き物に出会える。 昨日は、ヤモリを3倍くらいの大きさににして首の回りが太くなっているトカゲ?と目があって思わず歓声を上げた。相手のほうはびっくりしたようで、瞬く間に木の間に隠れてしまったが、その姿は本当に、襟巻きトカゲのようだった。 今日は、きれいなチョウを2種類見た。ホーチミンに来て今日までに見たチョウの数は7種類。どれも、羽の部分に光沢のある斑点を付けている。一見、日本で見るヒョウモンマダラの様態とよく似ている。 以前から気になっていた鳥も至近距離で見た。小鳥は地面に降りて草を突っついてたが、大きさは十姉妹くらいで、色はすずめと同じようだが、よく見ると尾のあたりは紺色をしている。私が近づいても逃げていかないから、私は 30 センチくらいの距離に座って観察させてもらった。捕まえてみようかとも思ったけれど、彼らから見ると強くて大きい人間の私は、彼らの邪魔をしないようにそーっと見守るところからお友達にしてもらえるのだ。 しばらくすると飛んでいったが、その飛び方は地面に沿うように飛ぶセキレイに似ていた。飛んでいく後姿を見ながら、ここにやさしい時間があったことを実感した。
本日、ホーチミン市は夕方4時過ぎから集中豪雨になった。町の中心の一部の道路では、バイクがつかるくらいに水が溜まり、町はエンジンの止まったバイクとそれをふかす排気ガスのにおいであふれた。
100%まとめモードだったのに、パソコンは超スロー。10時頃まで待っていたけれど、落ち着きがなくなったので切り替えて公園へ行った。 持って行ったのは教科書と過去のメモ書きと、2冊の本『インナーチャイルド』・『エミール』。したいことが全部出来るように準備して行ったのだ。 池の前に座って最初に広げたのは、ベトナム語の教科書。でもそれは5分で終わった。それから、過去のメモ書きに4年前の自分を確認するうちに、一番ややこしい組の引き出しのまとめてみたくなった。 しかし朝からパソコンが動かない日は、たいていお昼過ぎまで調子が悪い。しばらく遊んでから家に戻った。ちなみに、パソコンスローの原因は、ベトナム在住2年の方からの情報では、電力の節電のために周期的にこのような形で調整するらしいのだ。 自宅に着いたら、時間はちょうどお昼時。食事を済ませて早速パソコンを開いたが、午前中より少し早くなった程度。仕方がないので、『エミール』を読みながら回転を待った。『エミール』の世界はいつも面白い。待ち時間を忘れるくらいに吸い込まれた。 今日も一日、まとめをした。私はおそらく、今、まとめをする自分に依存しているのだろう。
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