「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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昼過ぎに市場へ。家から一番近い市場では、この頃、私は日本人だと知る人が増えて、スーパーよりも高いことがある。 先日、日本の人達と3人で大衆食堂に行ったが、この辺りでいつもの 1.5倍 の値段になった。3人で話をしながら歩けば人々は振り向く。私達は日本人だとすぐに分かる。町の中心なら外国の人は多いが、この辺りでは珍しい。細い路地の市場にも外国人値段が広がる。一人で歩くほうが安いというのが感想だ。 私は市場に行くと、値段が分かるまではマスクをしたまま黙っている。そうすると現地値段に出会える。面白い知恵だ。 市場では、マンゴは1キロ7,000ドン。スーパーや知っている市場の中でも一番安い場所だから、私は今日も、うなぎのベッドを散歩する。 子ども達の手紙に返事を書く。そのまま受け取りそのまま答える。その人の語った言葉の中で話をする。この練習が面白い。Simple が身に付けば、これからの私の財産になりそうだ。 人間は時々、言い過ぎたり間違えたりする。そんなとき、大人は別の言葉をかぶせる。「大人は間違ってはいけない」と教え込まれたからだ。子どもは「あれ?」と自分を見る。子どもは、ありのままだからだ。どちらが楽かは、顕著だ。 私も時々間違える。私は、今は、言い過ぎも言い間違いも認められる自分を、興味を持って眺めている。私はもっと自分を認められる大人になろう。それが自分に楽な生き方だ。自分も他者も大切にすることにつながる。
種類の異なる引き出しが大きく二つに分かれる。どちらの引き出しを頭に持ってくるのか。
全体の構成を考えていてあることに気がつく。 今まで、Mamo という人格は、自分の中の、孤立した自分だった。他の人格とは違う存在だ。だから、「別の人格になったときは FB したときだ」と言われても、ぴんと来ない。「何が?」という感じだ。 しかし、どうやらそうでもなさそうだ。複数の引き出しの延長に私が居る。私は、全体だ。 そうすると、「N」の引き出しも、他の引き出しの中のひとつに過ぎないのか。しかし傷ついた自分に気がついた原点は、あの引き出しの中にある。ゆえに、「N」の引き出しは、他の引き出しとは違う感がある。 ひたすら書く時がある。「過去のことを書いているけれど、過去の思考で書いてはいけない。プラスの思考で書くこと」。この言葉を意識できる自分の存在は大きい。半年前とは雲泥の差の自分だ。この本は、私の本か「N」の本かと泣いた自分が懐かしい。 Mamo の引き出しもそれらと同等なのか。いや、それは違うはずだ。 違うことを勉強してきた。6年間宇宙に居た形跡がある。
最近、毎日が楽しい。日常はいつもと同じだが、自分の変化を楽しんでいる感がある。それゆえか、家探しも遠のくくらい、今の環境が好きになった。「ルームシェアしよう」とか「狭いけど家においで」と言葉をくれる友人達に、「今は書きものに集中したい」と伝えた。2月までに完成させて帰る。本を持った自分がそこに居る。ベッドに寝転ぶと、「こんなに楽しくていいの?」と、独り言が出る。 夜、ある景色が浮かんだ。 それは、出来上がった本を、東京のとある駅で手売りしている自分だ。 足元に本が数十冊ある。立っている私の傍には、私が一番言いたいことを大きな字で書いた紙が貼ってある。本の厚みは…まだわからない。 しかし私はその駅で、ある場所に電話をする。
人々は毎回、市場に行ってその時食べるものだけを買う。冷蔵庫を使わない人々を見て、自分を見る。 食事は何のためにするのだろう。改めて、別人格だったタケシの事が浮かんだ。 子どもの頃、お腹が空いても食べ物をもらえなかった。 しかし、空腹の辛さにばかり心が行っていたが、お腹が空いていることの苦しみより、愛を注いでもらえないことの苦しみのほうが大きかったのだ。 タケシは、辛かった。そしてそれは私だ。 こんな私に、新たな感覚がよみがえったのは午後のことだ。タケシのことがわかってから、私の中に沸いた新たな感覚。 体が欲しているよと言う。その感覚に添って取り入れる。辛いものや濃すぎるものは、体が嫌だと知らせてくれる。 食事とは、食べたいものを食べたいときに食べるものだ。 栄養のある食べ物探しは、感じることの次にすることだ。 しかしそれすら、体の欲求に添っているうちは、おのずとバランスの取れた食事になっている。自分は今まで、なんと脅迫的に食事をしていたことだろう。 私の中に新たな感覚が目覚める。この感動をどうやって表せばいいのか。 気付きとは、なんてステキなことだろう。 感覚で生きるとは、なんてステキなことだろう。 私はこんな自分のことを頼もしく思う。 体の真ん中からワクワクが溢れる。 この喜びを、どのように表現すればいいだろう。
朝7時半、食器を洗い終わった直後、町の電気が消えた。停電ではインターネットも使えない。公園に向かって自転車をこいだ。 2時間ほど外出して帰宅する。しかし、家の前のホテルではまだ自家発電機が回っている。長丁場になりそうだ。公園には電気がない。カフェに行けばパソコンは使えるが、飲み物代がかかるうえに、クーラーで体が冷えるから長居は出来ない。電気も Wifi もある大学へ行ってみることにした。 キャンパスに、環境は揃っている。しかし、まとめを開いてまもなく、人の動きが気になって考えが浅くなるのを実感した。切り替えて、子ども達への返事を書いた。前回は二人分だったが、4人分で封筒も膨らむ。送る方法を思案する。その後は、友人と話をして時間が流れた。 3時ごろ帰宅したが、町の様子は同じだ。アパートの中は、冷凍庫の氷が水になって足元を濡らした。手を洗おうと水道栓をひねると、蛇口はカラカラ音を立てて水が1滴も出てこない。 ベトナムの人の多くは、自宅にドラム缶のようなタライを置き水を貯めている。ここで生きる人の生活の知恵を実感した。 私の部屋の飲み水は、樽の底から10cm。少ない水をやかんに移して買いに走った。しかし水屋さんにも水がない。このまま夜が来るのかと少し不安になった。すると、ベトナムの女の子が、「夕方4時か5時頃には戻るよ」と言った。 部屋の窓から外の景色を眺めた。電気や水が止まっても、町や人々は動いている。小さな不思議が沸いた。女の子は電気が戻ってくる時間をなぜ知っているのだろう。私の頭には、昼間見た工事の様子が浮かんでいた。 夕方5時。彼女の言う通り電気が戻ってきた。散歩に出ると、大通りの工事は終わっている。まるで、工事のために止まっていたような気分だ。 アパートの前まで来ると部屋に明かりが見える。電気と水のある部屋にホッとした。 もう一日が終わる。今日は一日つぶれた。こんなこともあると分かった。今日もいい一日だ。
8時からまとめを始めた。昨日に引き続き、私は没頭している。 つなぎの文章が浮かばない。お手上げ気分で過去の文章を読んでいるうちに、使えそうなものをいくつか見つけた。 私は自分に何を言いたくて本を作るのだろう。過去の状況をつらつら書くだけでは無意味だ。過去の怒りや悲しみを表すだけのものはマイナス効果とも言える。世の中は情の世界だからだ。 私は自分に何を言ってあげたいのか。「あなたは悪くなかったよ。自由でいいんだよ」 何をまとめるのか。「文章をまとめるのではなくて、心をまとめるんだよ」 そうしているうちに、もうひとつ引き出しが浮かんだ。 今度は「自分に言葉をかけてきた自分の引き出し」を作るんだ。
お昼前、ベトナムの友人が「10区にあるおばあちゃんの家に遊びに行こう」と誘いに来た。私は本書きモードだ。世間があったことすら忘れている。断ろうかと思ったが、ただいま家を探し中。情報があれば嬉しいこと。遊びモードに切り替えた。 彼女のおばあちゃんの家は、私の家からバイクで10分くらいの近距離だ。 家族がたくさんの家。ビールで会食。ひとつのコップでビールを回し飲み。私は途中から断り続けた。それでもコップは回ってくる。「ベトナムの習慣です」 と言うお兄さんのお友達。どうしてもコップをまわしたいお兄さん。お兄さんをたしなめる仕草の友人。 友人の妹さんが「口をつけるだけでいいよ」と言うので、してみた。しかしこれでは飲んでいるのと同じだと実感。私は日本人です。その前に、その習慣には参加出来ません。心で言いながら断り続けた。 若い人が帰り、おばあちゃん夫婦と私達数人だけになった。おじいさんが話し始めると皆はしんとした。お酒を飲んで話す大人。うつむく家族。ベトナムにも日本と同じ光景があったのだ。 時計が気になり始めた頃、カラオケに誘われた。私はもう、本書きモードになっていた。 夜、一つの引き出しを開いた。2004年作った当時のタイトルは「命ふんわり」。心の傷を癒やした私がプラスの感覚で書き溜めたものだ。過去を書く自分も居て、プラスを書く私も居る。読み返しているうちに、やさしい気持ちになってきた。 つなぎに入れてみる。最初のうちはいいけれど、人格が分かれるところにつなげられずに手が止まる。 明日は、「心の傷を癒やして心の壁を薄くした」ところをまとめよう。
1区にあるイミグレにビザの延長をしに行った。しかし個人では出来ないと言われる。自分のことが自分で出来ないのは不思議だ。係りの人に聞いてみた。 「私は今ベトナムに住んでいます。これは私の Visa です。それなのに、何故出来ないのかわからない」。 係りの方は、英語とベトナム語がごちゃ混ぜの私に怒った表情になりながら紙とペンを出して説明してくれた。自分で本を書いているとも話してみるが、「会社に所属しないで本を書くこと出来ない」と返事をもらう。 どうやら身元不明な人は取り扱ってくれないらしい。会社か学校か観光会社か、つまり私の身元を証明する他者が必要なのだ。 確かに犯罪を防ぐひとつの方法である。そして中間マージンでお金が動くのだろう。納得はしたが、すぐに帰る気持ちになれず、デスクに座ってしばらく休んだ。 こんなことを言ってみた。 「本が出来上がったらベトナムで売るかもしれない。それでも駄目ですか?」。「駄目駄目。もう帰りなさい」。 係りの人は笑っている。私も笑えた。 在住暦の長い日本の人に「個人では無理だよ」と聞いていた。本当かどうか、出来ない理由も知りたかった。楽しいひと時だった。動いてみて正解だ。好奇心が、鵜呑みにしない自分を手伝った。
午後、帰国した研修生さんに会いに空港へ。 市バスを使おうと思ったが、今日は暑くて歩く気がしない。バイクタクシーに乗り20分。早めに着いた時間を利用して空港内を散策だ。 空港を訪れる回数も数え切れないくらいになったが、空港内に市バスが入っているのを見たことがない。国際線の雰囲気に市バスは似合わない感もあるが、ベトナムの方も使うはずだから市バスが来ないのも妙だ。 目を凝らして道の向こうを眺めていたら、緑色のバスが見えてきたではないか。バスは敷地内の道をぐるりと回って、国内線駐車場の一番奥に停まった。初めて空港行き市バスを使った時のことが思い出された。あのとき降りた場所は、「降ろされた場所」だったのだ。 帰りは市バスを使い、途中で降りて30分歩いた。時間的にバイクのお兄さんの呼び込みが多いが、最近は歩くことも楽しめる私だ。 途中でパソコンやさんに入ってみた。お店の中は平日にも関わらず、買い物客でいっぱいだ。通りの靴屋も洋服やも人ごみになっている。 そういえば、空港ではきれいなワンピースを着た少女が父の帰りを待っていた。この国の人も、高級な生活にステイタスを求めている。家を買い庭を整え、きれいな服を着て歩く。人々は商業ベースに乗せられている。
夜、こんな思考が浮かんだ。子ども達は母の私を待っている。私はまだ成長途中だ。子どもの名前を知らない自分が残っていると感じるうちは会ってはいけないのではないか。同じ間違いを繰り返すのは避けたいからだ。 しかし、どうだろう。私は何もしなかったのだろうか。いや、してきたはずだ。虐待した自分も居たけれど、初めての赤ちゃんをこわごわ抱きお乳をあげる喜びを感じ、何年か後には子ども達の心を知ろうとした自分が居た。当時は別の私だったとしても、それでも、してきた私は私だ。何とかしようとしてきた自分だったのだ。あの頃の私にも先を見る自分がいたのだ。そうだ、きっとそうなんだ。 そう思えたら、勇気がわいてきた。6年前までの自分が何をしてきたのか、もっとページをまとめてみたい。展望台に乗って人生を眺める。明日の自分が楽しみだ。
朝、少し遠い市場まで行こうと外に出たら、3分の2くらい歩いたところで空模様が怪しくなった。2日前に天然シャワーを浴びたから、雨はしばらく遠慮したい。引き返して近くの市場に向かった。市場に行くのはドクダミを買うためだ。日本では視界に入らなかった食べ物は、今では毎食並ぶ野菜になった。 市場を出ると、晴れている。今日もまた面白い天気だ。行こうとしていた市場が浮かんだが、早く机に座りたい。「まあいいか」と家路に向かった。 日中は、一日まとめだ。お昼は外に出ようかと思ったが、また空模様が怪しい。夜まで書くことにして、再び机に向かった。 今日の作業は、精神科の門をくぐった私のことだ。病気はある日突然なるものではない。子どもの頃、心に乗せられた負の爆弾は、大人として社会に出た時に、否が応でもそれを使って生きなければならない苦しみに負われる。すべては、子どもの頃から蓄積させられたものが弾けてあふれ出たものだ。しかし、その後の人生を考えれば、体が信号を発してくれたことは幸いだ。 こんなことを書いて残せたらと過去の文章から言葉を捜すが、今沸いてくる気持ちが一番新鮮だと感じたりもする。しかしそれでは過去に書いたものがもったいないと、もう一度過去のページを開いてもみる。 ちょっと休んでいる間に浮かんだことを、後で書こうしても思い出せず、書き留めなかった自分を反省する。プチライターにとっては、頭に浮かぶ小さな一言も新鮮だったのだ。 あっという間に夕方になった。パソコンを閉じたら、体がマッタリしているのに気が付いた。頭も疲れている。初めてあの引き出しを開いたからかな。 生活にはリズムが必要だ。今日の作業は終了!散歩に出た。
夜は子ども達への返事を書こうかと、息子の手紙を改めて読み直す。別れる時に保育園だった彼は、今、小学生の高学年になっている。やはり、時は流れたのだ。紙の上で、「○○君」と言うより「あなた・君」と呼ぶほうが、「息子」と言うより「彼」と呼ぶほうが相応しい気さえする。 そして私の中には時の流れに混乱する自分が居る。私は私に、自分が生きてきた道を実感させてあげることが先だ。「自分に一番丁寧にしていこうね」と声をかけて、手紙を閉じた。
自殺未遂を繰り返していたときの自分をまとめた。今までで一番冷静な私。すべては過去のことだ。出来てしまえば、多くの引き出しの中のひとつに過ぎなかったことを実感する。やっと切り替え上手になれたのかもしれない。 引き出しの中で順番を待っている自分もこれから、引き出しの中の小引き出しに収まっていくだろう。 一つ出来て、そのまま次に移ろうとしたが、何かしらの直感が働いた。「ちょっと待て」だ。パソコンを閉じて立ち上がったら子ども達からの手紙が視界に入り、手にとって開いた。しかし、これも今は違う。手紙を戻してまとめた自分を思い返した。 「そうだ。出来たんだ」。今日自分がしたことは、今まで一番したかったことなのかもしれない。そう思うと、満足感が広がった。
そういえば昨晩、「私に何を求めてる?」という言葉を元に、「自分は人に何を求めているのだろう」を探した。すると、ある一定の場所において、「どんな自分も肯定されようとして苦労している自分」がいるのに気がついた。「なぁーんだ、そうだったのか」と心底納得した。過去に作った神話を求めた自分だ。自分以外に 「どんな私も肯定される場所」は、「自然」という場所以外にあるだろうか。 大人には子どもの頃に掴まされた要素がいっぱい詰まってる。大人は子どもの頃からの歴史を持って一人の大人になる。 そして、大人には大人としての役割がある。大人だから出来ることがあり、大人だからこそ求められるものもある。大人は、子どもとは違うのだ。 私が今いるのは、大人の集団だ。(子どもさんも居るが関わりは少ない。)どんな自分も受け入れられようとするのは傷ついた私のすることだ。それも一時のことなら許されよう。たとえ三億人の中の一人にそのことを求めることだって大変だ。自分の為に止めたほうが懸命だ。 私は私を信じている。私を肯定されても否定されても、私は私だ。 私の信じているものは、私の感性だ。私は自分の感性を信じている。 過去は感性はつぶされたまま頭ばかりが働いた。今は頭を使うと疲れる自分に育っている。私は感性のある自分を知ったんだ。 私は私の感性に添って書きたい。もう、ペンの先に自分を閉じ込めた時代は終わった。 この夜、心の中でこんな言葉を聞いた。 「Mamoちゃん、自由に書いていいよ」。 あー、ついにこの時がやってきた。私の感性に添って、感じるままに書くことが出来る。
パソコンが動かない日曜日。雨降り前の空模様だが、思い切って外出モードに切り替えた。 バータンハイ通りをしばらく行くと、バイクのみんなが道に止まっている。何かあるのかと思ったら、みんな合羽を着始めていた。向こうの空は灰色のレベルだ。準備の早さに感心しながら、現地の人の知恵を見習うのは私の知恵だ。合羽を着て走り始めて数分も経たないうちに豪雨が襲ってきた。 通りはあっという間に水がたまり、雨しぶきが飛んでくる。こんな雨の中、私はどこへ行くの?!しかし帰ってもパソコンが使えない。見れば、雨で頭を洗うおじさんも居る。雨の日に外でもいい。今日は外の日だ。 しかし道には迷わず動きたい。目的地を、前回断念したビンタイン市場に決めてゆっくり走った。 途中2回左折したら、ビンタイン市場に着いた。でも今日は中には入らない。珍しいものを見ても買って確かめることもしない。市場の周りをぐるりと回ってホーチミン市5区の町並みを観察した。実は、今度はこのあたりに住んでみようかと思っているのだが、市場の回りは野菜くずなどが散らばっている。ということは、大きなねずみが多いだろうと改めて思う。 帰りは川沿いを走った。この道もそのまま行くと知った通りに出る予定だが、ふと見ると、川の向こうにさっき見たばかりの景色が見える。いつの間にか違う道に入り込んだのだ。 3回に分けて道を尋ねた。道の名前を聞いているつもりだが、少しも通じない。こんな場合、自分の尋ねたこと以外のことを聞こうとするとさらに路頭に迷う。「家の方向に近づいていればいいか」 と分かるところだけチョイスした。 3回目の男の人は、「三つ目の十字路を左に曲がると小道がある。でも小道は行かないで、大きな道をまっすぐに行くと着くよ」と教えてくれた。「今度は合ってる気がする」。お礼を言って走ると、本当にその道に着き、庭のエリアに入った時の安心感は今までの「お尋ね人」に関するトラウマを解消した。 市場に寄ってお昼ご飯を買い、次に自転車に乗ったままのスタイルで牛乳を買ったら、牛乳屋さんは牛乳を自転車のかごに入れてくれた。水溜りの道をそろそろ走ってようやく家に着いて、ちょっとした小旅行の満足感を味わった。 ところが、自転車を駐輪して荷物を持ったら、買ったばかりのご飯がない。少ない荷物をひっくり返しても、ないものはない。お金を払った後、かごに入れたところまでは覚えているから…。「持っていかれたんだ!」 ついに私にもこんなことが起きたんだと、今の今まで自分にはあり得ないと思っていた自分を感じながら、市場の様子を回想すると、普段より人が少ない市場にずぶぬれの自分は油断していたことに気がついた。 財布と携帯を確認するのは癖になっているけれど、わずか10分の間にお弁当を確かめるのは怠ったのだ。 しかし、原因は分かっても自分のために何かしたい。お昼ごはんもない。もしかしたら買った場所に忘れてきたのかもしれない。私は再び市場に向かって自転車をこいだ。牛乳屋さんでお店のおじさんと目が合った。私の心の中には「誰が持っていったの?」があるままだ。おじさんを見たまま視線をそらせずにいたら、おじさんは立って家の中に入っていった。それから、ご飯を買ったところに行って、お姉さんに聞いてみた。「さっき買ったごはん、忘れていませんでしたか?」お姉さんも知る由はなし。私は食べたかったものをもう一度買った。「カバンの下に入れてね」とお姉さん。本当にその通りだ。私はお弁当をカバンの中に閉まった。 牛乳屋さんの前を通ったら、おじさんの代わりにおばさんがいた。ここで何度か炭酸を買ったことがあるから、おばさんは私が外国人だと知っている。「ちょっと待って」と言って、ペンと紙を持って来てくれた。「かくかくしかじか。私はご飯を置き忘れていないか探しに来たんです。おじさんに聞きたいんです」 おじさんはどこへ行ったか分からない。おばさんは商品の間を見て探してくれたがご飯は出てこない。私のほうも戻ってくるという予想はない。しかし自分に出来ることをしてあげたかった。おばさんにお礼を言って、帰ってきた。気持ちは、2回分の値段で食事をしたと思えていた。 そういえば今日、ヘドロの前に洗濯物を干す人々の家の前を通った。ひどい臭いに、「自分はここには住めない」と思った。この国は日本とは違う。だから治安が悪くていいとは思わないがスリが横行することにも納得する。物がなくなっても、体が残っている。健康な体があることはひとつの能力だ。 家に帰ったらパソコンが目に入った。電化製品でなくてよかった。財布も携帯電話も自転車も、今まで離れず手元に残っている。今のアパート暮らしも3ヶ月過ぎ、この場所に慣れてきた私に、「気を引き締めて・メリハリをと付けて」と声をかけてくれたんだ。知らない誰かさんにお弁当をご馳走した気分になった。
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