「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEX|past|will
今朝、向かいのパン屋さんでパンを買った時、「Binh mi khong、ある?」 と聞いてしまった。「ある?」 だけ日本語の声が自分の耳に届いて笑えた。でも、お店のおじさんはわかったみたい。 ベトナム語って面白い。Binh mi に卵をサンドしたら 「バインミー卵」。パンだけを買う時は 「バインミーない」。何も挟まないからだと思う。だから、上の言葉を全部日本語にすると、「パンない、ある?」 になる。ちなみに、何種類かある大豆の呼び方は「大豆黄色」「大豆黒色」「大豆青色」。簡略化されていて、外国人にやさしい。 今日は、終日書きモード。こんなに集中していたのは初めてだろう。文章というのは、読めば読むほど味が出るみたい。
「やさしい社会が出来るとき」 プラスの自分は感じたままに、自由に動く。だから、自由な自分は自由に遊ばせておいても大丈夫。その、自由な自分の足を引っ張るのは、心に傷を抱えたままの自分。傷ついた自分に寄り添い耳を傾けてあげると、自由な自分の足を引っ張ることが少なくなり、自由が広がる。 学校の教室で、社会で、一番ゆっくりな人に合わせることができたら、やさしい社会が出来る。私にも、自分の中の一番傷ついた自分に心を向けられる自分がいたら、やさしい自分が広がる。足を引っ張られる回数が減る分、プラスをしようと頑張らなくてもすむ。 そういえば、「これ以上無理だ」と思うことがあった。あの時自分は頑張っていたんだね。そして今はそんな自分を肯定している。真に肯定するとは、こういうことだと思う。 社会が傷ついた大人でいっぱいになっているのは、大人は大人同士で、今を否定するから。自分の今と他者の今を否定する。 「ない・でも・逆説」。少し出来ると、「もっと」。世の中には、マイナスの思考が溢れている。大人は、自分を肯定する方法を知らないことが多いから、仕方がない。 でも、大人社会でも大人どうしが、肯定しあえる社会があると、自分に心を向けられる。そして、自身に傷ついた自分も居ることに気付くきっかけになる。自分を変えるということを、楽に出来る。 そうは言っても、私もマイナスに巻き込まれることがある。それは、私自身の傷ついた部分が反応するから。こんなときは、そのものから目を剃らそうとしたり、逆に近寄りすぎたりする。自分に気が付けないまま他者を見ている間は投影だから、自分の解決にはならない。 私の中の傷ついた自分は、私自身を徹底的に否定した。この頃感じているのは、マイナスの自分に寄り添うには、より大きな、そしてより自然な能力が必要だったということ。それから、当然傷ついたままの自分を肯定できた分だけ楽だということ。 8月半ば、「メッキ」や「上辺の世界」を吟味していた頃、N1の人格を見ながら、「日本で勉強した6年間は、マイナスの自分と向き合う能力をためる時期だった」という見方もした。「時期が熟して今がある」という言葉も浮かんだ。しかしそれは、プラスの見方を探した結果で、同時に自分への言い訳ではなかろうかという思いも浮かぶ。プラスの見方が出来た自分を喜びつつ、自分観察した。 私が今の私をありのまま肯定できたら、他の何もかもをありのまま肯定できる。プラスの私が広がる。ありのままの自分を肯定するやさしい大人が集まれば、やさしい社会が出来る。私は今、そう感じている。
朝から外出。ネットで見つけたオフィスへ Viza を届けに行き、帰りに7区へ出張。昨日バスの中から見た景色をもう一度見たかったのです。 7区は、4区を過ぎてサイゴン川につながる、Kinh Te という川を越えた場所にある。記憶を頼りに自転車を走らせて、大きな橋の真ん中まで来ると、向こうのほうにショベルカーの先っちょが顔を出し、橋を降りて50メートルもすると、中央分離帯付きのきれいな道路が広がった。 道の向こうには空き地と、南国特有の大きな木が見える。この辺りは都会と自然が適度に共存している。昨日の感は当たった。今は7区が面白い。 きれいで走りやすい道を散策して、友人の家の近くまで来た。そろそろ引き返そうと辺りを見た時、分離帯のあるところは反対車線に渡れないことに気が付いた。道は永遠に続いている予感。まっすぐ行っても、たぶん帰る方向には行かない。仕方がないので、自転車を担いで、花を植えている分離帯を乗り越えて、来た道を戻った。 ふと見ると、来るときに通った橋が上にある。今度は、このまま行っても着きそうだけど、初めての場所は来た道を帰ったほうが無難に思える。もう一度、自転車をひっくり返して橋に上がる大きな段を飛び越えた。 目の前にサイゴン川の水の流れがある。夜は、橋のライトアップが水に反射してきれいなことも知っている。この町に住みたい衝動が沸いてきた。 再び橋の上まで来たら、橋の下に貸し家の看板が見えた。藍色をした外壁。一番上の部屋が開いてるように思える。私は7区に住みたい。三度、自転車をひっくり返した。 敷地に入ると、中からおじさんが出てきた。家賃は私の基準の5倍で、今は満室。外国人も住めると言ったけれど、残念ながら、お値が高い。 おじさんは私の相場を聞いてきた。「100万ドン」と言ったら、「とてもとても」というように首を振った。商談は成立しなかったけれど、見に行った自分が楽しかった。 私はこの場所が好きになった。広い空き地が10区にはない開放感を感じさせる。家探しに来たい。100万ドンという金額は、友人の家の家賃を基準にしている。今度はもう少し基準をあげてみようと思う。 しかし、住んでいる場所からは自転車で約 50 分かかる。半日仕事になりそうだから、友人の家に居候して捜し歩こうかなぁという案も浮かんでいる。
夜、外出から帰ると、私の部屋の階だけ水が出なくなっていた。フロアでは管理人さん達が集まって修理の話をしている。しかし、水は一晩出そうにない。お手伝いの女の子が部屋のシャワーを借してくれると言うので、お言葉に甘えることにした。 ところが、栓をひねって1分も経たないうちに水が出なくなった。あるのは 10 リットルのタライの水だけ。頭にはシャンプーの泡が…。「これはまずい」と、とっさに顔にも泡を伸ばした。水を流すときには体を縮めて、泡が一度に落ちるように工夫した。ベトナムの子達の水を汲む様子を思い出す。頭に流れる冷たい水が、気持ちよかった。 これで、バケツの水でも体を洗えるようになった。いろんなことが面白い。ほんとに面白い。
今日は外出モードだったから、まとめは3時間くらい。二種類の引き出しがつながらなかったのは、つなぎが二つあったからだと、昨日分かった。 違う角度から見た文章のどちらを使うかは、私の心と相談するのだよね。
川の先は1区 7区 4区 ショベルカーがいっぱい。開発の様子が面白い。 この先は7区です。
朝6時。ベッドの上で、上半身が「動きたい」と言った。 Ky Hoa 公園で壁投げ。帰りに、甘い豆腐やさんに寄ると、何時もと違う女性。一袋が何時もより大きい。値段も少し大きい3000ドン。 N1の文章のことが頭にある。過去の思考と今をはっきりさせて、まとめに入った。と言ってもパソコンが動かない日曜日。しかし、今日はいいことに気が付いた。つまり、パソコンも日曜日なのだ。「たまには休みたいよね」。パソコンに話しかけ、片手間に仕事をしながらまとめをした。
午後は約束があった。預けた Viza を受け取りがてら、先日すれ違った友人の家へ行くこと。家を出てすぐに、友人から 「もう駅に着いたよ」 と連絡が来た。一瞬、急ぎ足になったけれど、時間は約束の1時間前。私は散歩を楽しむつもりで早めに出て道を歩いている。天気もいいし、散歩は楽しい。自分の予定をそのまま進めた。 友人の家は、4帖とロフト3帖くらい。クチの生活を見たせいか、家の中にトイレがあるだけで、いい家だと思える。同居のベトナムの子は、トイレの傍にある水道水で食器を洗っている。こんな光景も違和感はなくなった。いろんな場所を見て歩いていることは大きい。それに、友人の家のトイレがきれいだったことも関係しているだろう。 私の場合は、食べ物や食器を洗う時、廊下の共同洗面所を使う。日本の男の子は、「よくあそこで料理出来るなぁ。すごいよ」 と言う。別の子は 「生野菜は食べないほうがいいよ」 と言う。そうは言っても、私は私の体ちゃんが食べたいものを食べさせてあげたい。体にやさしい生き方をする時、きれいな水があれば、洗う場所はどこも大丈夫になる。私は、行った先の国で、その国にあるものを利用して生きるほうが楽に生きられる。こんなとき、私の頭にはインドが浮かぶ。外で食べる野菜よりも自分の洗ったものの方がきれいなこともある。今では、廊下の洗面は私の台所になっている。だから、時々掃除もする。 この国の野菜、特にトマトには、白い粉が付いている。たぶん農薬だと思う。市場によっては、売り場に薬の臭いがしたり、洗っても薬臭さが残るものもある。食べるときに臭いがすると食べられないけれど、それ以外は、たいてい生で食べる。 いつも思うことがある。この国の野菜の農薬が、本当に人々が言うくらいに多いとしたら、この国の人はみんな死んでいる。きっと、新しい命も生まれていない。でも、この国の人は生きている。 健康寿命が低いことに食生活が関係あるだろう。けれど、健康を意識して生きることと被害を恐れて食事をすることは意味が違う。 生きた年齢とその人の人生の充実度も違う。行きたい国の飛行機の中で人生が終わるのなら、その人は喜びの中で死んでいくことになるだろう。 こう書いて、私は書いた本を持って乗った日本行きの飛行機の中で死んでも大丈夫かとイメージしてみた。しかし今は、せっかく出来たのだから、 せめて東京のとある駅で手売りしてからにしたいと思っている。でも、実際に書き終えて飛行機に乗ったときには、それもいいと思っているかもしれない。
友人の家では、ベトナムの女の子が水道水を使って、料理をしていた。水道水が料理に使えたらなぁと思っていたから、現地の人が使っているのを見て嬉しくなった。 そういえば、先日、日本に住む友人から 「氷は食べれる?」と聞かれた。こちらに住み始めた日本の人からも同じ事を聞かれたことがある。 私は越南してすぐの頃、暑さのあまり水道水を飲んでしまった経験があるせいか、氷のことは気にしたことがなかった。 結婚していた頃は、中国産の野菜は大丈夫かと気にしていたのに、人間は、経験した分だけ変化するのだな。
5月ごろ、文章遊びを楽しむ中で、自分の日記を、自分のためというよりは他者に向けた文章のように感じたことがあった。丁寧な表現や文体を意識するということは、つまりそういうことだと思う。 その時私は、自分のためにあるはずのものが、他者の存在が視野に入っているというのはどうかと疑問を持った。その日の自分を整理するだけなら、ノートやメモ用紙に書くだけでも十分だから。
この頃、自分の本は誰に何を言いたいのかを探しているうちに、5月の思いとリンクした。私は日記を UP する時には、人に向けて書いているという意識がある。書くときに頭の片隅で、毎回そのことを意識している。 本というものは、読む人が居るということが前提にある。本を書く人は皆同じだと思う。私の本も、自分の書いたものを読む人が居るという前提がある。5月の疑問は、これはこれでいいのだということになった。 どんな人に呼んでもらいたいかと浮かべてみると、最初は傷ついた心を持った人々が浮かんだ。それから、「大人」になった。 私は、社会の大人に自分の本を読んでもらいたい。 と、獲らぬ狸の…。狸を飼っている身で、つぶやく。
今日はいい日。いや、今日もいい日。でもやっぱり、今日はいい日。
この頃、蒸し暑い。まるで南国に居るみたい。クーラーと扇風機が競争する。暑いと、お腹に汗疹のような湿疹が出来る。頭髪の中も痒くなる。 湿疹は食べ物のせいかと生活を観察したけれど、やはり暑さと関係がありそう。痒いと汗疹だと分かって安心するけれど、痒みもないからちょっと不気味。関節の内側は痒いぶつぶつが出来る。これは痒いから汗疹に違いない。「海に行けたらなあ」が浮かぶ。でも本書きをしたいから。 時々、塩水で洗ってみようかと思うのに、シャワーの時間になると忘れる。ベトナムの人達はどうして汗疹ができないのかなあ。 頭髪の中が痒いのは、毛じらみじゃないかと気にしたけれど、これも暑さと関係がありそう。シャワーをまめに浴びるから、長い髪の毛がジャマくさい。短く切ろうかとも思ったけれど結べるほうが涼しいから、据え置き中。 でも、最近いいことを思いついた。シャワーのとき、髪の毛をUPに結んで地肌だけ濡らす。地肌が洗えればいいのだから、なかなかの名案。面白がって濡らしすぎて、ついに全部濡れることもある。 時々、暑さを忘れて、まとめに集中する。体がもぞもぞしてきてお知らせマークになる。そのあと、「あつい!限界!」という言葉が飛び出る。それなのに、足元はタイルで冷たいから靴下を履いている。ベトナムの人は不思議がる。 この間、寝る前にエアコンをつけた。寒くて目が覚めたら朝の4時。電気料金が100倍になった気分だった。「えーっ、ずっと付いてたの??」と自分に言う。全部、独り言。その声は、隣の人に聞こえないくらい、大きい。 大きいと言えば、ベトナムの歯ブラシは毛の部分が大きい。あんまり大きいから長さを測ってみたら長さ3センチ、高さ1.8センチ、幅が1.4センチもあった。初めて使ったとき、「まるでカバみたい」だと思った。それ以来「カバの歯ブラシ」と呼んでいる。大きくて使い辛いから子どもサイズを買ったら、今度は小さすぎた。初めて使ったとき、まるでリスになったみたいだった。いつもの3倍ブラシを回転させた気分だった。二つともシャワーのところに置いてあるけれど、最近はカバの歯ブラシを使ってる。だんだん大きさに慣れてきたなあ。どんなことも3ヶ月すると慣れるんだ。
今は、前髪を切りすぎて、ちょんちょんカット。最近はめがねで過ごすことが多いから、めがねをかけたわかめちゃんみたいになっている。 お腹は、一時期、珍しいものを食べ過ぎて、鏡で見ると愕然とした時期もあったけど、たぶん戻った。体重コントロールが出来るのは能力のひとつ。 今日は朝からジョギングした。昼は自転車で30分全力疾走した。全力疾走は、必要があってそうしたのだけど、いい運動になった。そういえば、足で羽を打つバトミントンがある。若い人も年配の人も上手で、ついつい見とれる。いつかはしてみたいスポーツ。 毎日楽しい。今日もいい日。今日は昨日よりいい日。私は少し大人になったのかな。身長154センチ。体重は生まれた時より多い。
なーんて、海で泳ぎながら書いたような本日のDiary。
朝ごはんを買いに市場へ。「お姉さん、何欲しい?」「お姉さん、朝ごはん食べた?」毎日の生活の為にある市場にウィンドーショッピングならぬ市場ショッピングはない。ウィンドーショッピングとは、時間のある人の楽しみの一つだと改めて知った。 最近は買い物に行くとき、買うものを決めていくことが定着しつつある。私の中の成長した部分。嬉しい。いつものようにマンゴを手にしたらそこに立っていたのは、もと研修生さんのご家族の一人だった。本当に、お知り合いが増えてきちゃった。 お昼になる頃、最初の章の一つが出来て、満足感を味わった。楽しみの延長でお昼を食べつつ、頭の中に次を広げて喜んだ。しかし午後からの作業は停滞。どうしても、種類の違う文章の繋げ方がわからない。思いつくことを書いているうちに行が増えていく。手を止めて読み返すと、だらだら書きになっていることがわかった。何かが違うのだ。 ここで、自分の全体を見ることを意識して、「起承転結」を勉強した。すると今度は、ある疑問が沸いてきた。私の「結」は何? 私はまだ途中…。ノンフィクションに「結」はあるの? 頭をシャッフルする気分で、もう一度、「振り出しに戻り」。 私の持っているものは何だろう。自分は何を言いたいのか。過去の思考になったら言いたいことはいくらでも浮かんでくる。しかしそれは、すでに引き出しに収められている。そのことを自分に言い聞かせて、そして何が言いたいのかを自分に問う。 文章にはメリハリも必要。自分のしてきたことを書くだけのものも違う。いや、それより、私は本当に、誰に何を言いたいのだろう。あ〜。 あっという間に夕方になった。もう終わり。買い物に出た。今宵は、昨日のように意図的にならなくても、心が「本書きモード」を求めていた。 家に帰りつく頃、私の「結」は「起」につながって、まーるい円になった。ベトナムで本を書こうと決めた自分と本当に書いている自分。でも、これ…いいのかな。今は、分からない。まぁいいか。
子ども達の手紙を出した。昨日は一人ずつ封筒を分けようかという案も浮かんだ。その思いを持っている自分を検証してみると、子どもの頃、一人の人として扱ってもらいたかった自分が居た。ということは、傷の中で考えていたことになる。届いた形で返すのがいい。ひとつの封筒にA4用紙約6枚。27,500ドン。 手紙は今回で2往復した。
家賃を払う。この2ヶ月、レートが安定している。 午後、Visaを持って、昨日の友人を尋ねて大学へ行く。 キャンパスで、スコールが去るのを待つながらご飯を食べたが、雨は止まない。手持ち無沙汰になって、ノートを開き午前中のまとめの続きを意識してみた。すると、今日は自分の世界に入れる。隣では友人が日本語の授業をしている。ベトナム語の雑談も笑い声も聞こえる。そして私は私の世界に居た。 実はこれは、最近意識し始めたことだ。作家の生活とはどういうものかと知りたいから。 「入り込む」という言葉があるけれど、入り込むとは、何をしているときも頭にそれがあるということか確かめたい。自分を作家に想定する。道を歩きながら、お風呂に入りながら、回想モードを意図的に引き出すことをする。すると出来るから面白い。今回は、道で出来るのだから大学でも出来るはずだと、笑える。
友人は、相変わらず「うちの家においで」と言う。彼女はベトナムの女の子と二人で一軒家に住んでいる。日中は二人とも出かける。冷蔵庫のない生活は出来ると分かった。台所があるから、お風呂のときはお湯が沸かせる。道上でも回想モードになれる。今日は、家賃を払ったせいか、気持ちが少し傾いた。
長い間放っておいた自分が居る。 「今までほうっておいてごめんね。気が付かなくてごめんね。」 チャイルドに会えたとき、いつも自然に出てくる言葉だ。今夜もそれはごく自然に、心から沸いてきた。 やっと出会えた。やっと、N1のチャイルドに出会えた。自分の変化が興味深い。楽しい。それに付随して、ここまで来ても分からなかった20代前半。一人目の結婚のこと。その出来事を持っていたのは、N1さん。…だったなんて。自分のことだけど、驚いた。まだ確信は少しだけれど、浮かんできたからきっと、そう。 まるで、土の中からつるに付いた芋が出てきたみたい。
Viza の更新を頼んだ日本人の友人が引越しをしたので、頼みごとついでに遊びに行くことにした。「せまいけどおいで」と言う友人宅への興味もある。 ベンタインのバスターミナルで11 時に待ち合わせ。時間より早く着いて辺りを眺めながら友人が来るのを待つ。約束の時間より少し前に、「ちょっと送れる」のメール。この国の“ちょっと”は私にとっては長い。それでも、マンウォッチングや回想を楽しんでいるうちに、あっという間に30分経った。 日本の友人は、「ベトナムの待ち時間は、1時間は4時間だ」と言う。時間に縛られて生きていた自分を思えば、その捉え方は楽だ。しかし待つ側の場合、それでは相手が主体ではなかろうか。今の自分は誰が主体かと自分に問うた。 さらに30 分。しかし待ち人は訪れず。流れはどっちに向いているかと自分に問う。いつも自分が主体のほうがいい。私も、本を書きたくなり、連絡を入れて家に戻った。 途中でガムを買おうとして、物売りの女性に値段を尋ねた。しかし高いから買うのをやめて、商品を置く。立ち去る後から女性の大きな声がした。振り向くと物売りの女性はガムを持って何か言っている。人々は私を見た。物売りさんは、「買わないのなら触らないで」と言っていた。 商売は面白いと思う。先日、バスに乗ったとき、「ここで降りたい」と言うと、若い女の車掌さんは舌打ちして、「次で降りて」と言う。私は嫌な気分がするうえに降りたい場所で降ろしてもらえない。こんな時は言葉の分からない私のトラウマになる。買い物をしてもご飯を食べても、気持ちよさや安心を味わった場所にはもう一度行きたくなる。丁寧や心地よさにお金を払うのはいい方法だ。 昨日クチでご馳走になった友人の料理は、又食べたいと思う。友人の丁寧な下ごしらえを見たからだ。丁寧さをお金で買ってもいいだろう。 自分も商売が出来るかと想像してみる。丁寧さが仕事になるのなら、丁寧にすることで自分も食べていけるのなら、よく生きることをする私にとっては一石二鳥だろう。私の丁寧を買ってくれるお客さんが居るのなら見てみたい。丁寧を仕事にする自分もいい感じだ。
| 2008年09月01日(月) |
クチの暮らし・私の暮らし |
昨日からホーチミンの端っこ「クチ」の友人の家に遊びに行った。 迎えに来てくれた友人のバイクに乗って、国道22号線を走った。家を出てから2時間後、すでに日は落ち周囲の景色は見えないが、中心地にはない静けさと虫の声が、広がる農地を想像させた。 今朝6時。家族の朝自宅で目が覚める。原っぱで草を食べる牛も家族で散歩する鳥も、私の中では当前の景色になった。その私に、お姉さんが声をかける。「豚を知っていますか?」 お姉さんの手の平には、調理中の豚肉が載っている。「豚?豚肉は知っています。でも、生きものの豚は、ベトナムでは見たことがありません」。 後半は冗談のつもりだが、お姉さんは豚肉を置いて、私をある場所へ案内した。「鼻をつまんで」。一晩を経過し慣れた香りに、改めて鼻をつまむ。 私達は四角いセメントの建物の前に立っている。この中に何か居るんだ。え?もしかして…。 扉が開くと、そこに豚さんが3匹重なるように横たわっている。大きさは、私の体の4人分。上に乗っかられたら起きれない。大きい!一瞬の想像に声が上がった。 お姉さんは少し離れた建物に行き、「これは私の豚です」と説明した。もうすぐ赤ちゃんが生まれる。お肉として売る為に飼っているそうだが、私が4人分の豚はいくらで売れるのだろうか。 たまたま家を建築中の家では、近所の若い男性と友人のお父さんがレンガをひとつずつ積んで外壁を作る作業をしていた。女の人達は、朝ごはんが終わると、お昼ご飯の準備を始めた。庭の草をとり、たらいの水で3回洗う。大きな豚の耳の毛をかみそりの刃で丁寧にとり、荒塩を刷り込んで揉み洗いする。ご飯自宅が整った頃、男の人達は高い塀の上から降りてきた。 役割だ。男の人は力仕事を、女の人はご飯自宅を。日本で昔から続いている役割が、この国にもある。 食事に、豚の耳をご馳走になった。ついさっき見た豚の耳とお皿に乗った豚の耳がLinkする。ここで暮らす人々は、生きるために生きている。 豚の耳はコリコリしておいしい。時間をかけて毛を剃る友人の丁寧さを思い出し、おいしさが増した。 食事の後はお昼寝タイムだ。ハンモックに揺られて空を見あげると文明社会が浮かんだ。昨晩はベトナムで始めての夜空に広がる星空を見て感動した。友人は 「いつもはもっと見える」 と言う。そう言われると、「もっとたくさん」 を見たい気持ちもわいてくる。しかし、私のしたいことは何か。 星空はきれいだ。木に揺られ花の香りも心地いい。だが、自然と戯れて喜ぶ時代は過ぎたのではないか。私は自然があることを知っている。そして、次を求めている。頭に、今こそ広げようとしている新しい世界が浮かんだ。 帰りはバスで帰る予定だったが、バスステーションの下調べを忘れた。家族の誰も知らない。中心に行けば分かるはずだが、「町の中心」の意味が伝わらず、最後は苦笑い。 家から2時間で来れる距離だ。バスで来ることもできる。国道22号線を友人のバイクで戻った。
ザクロ 「割る」と言われて、割ってみる。黄色い薄皮に囲まれた中に淡いピンクと透明の粒が並んでる。一粒の真ん中に薄ピンク色の種。まるで宝石が並んでいるみたい。その一粒をつぶれないように摘み取る。 かじると、しゃりっと音がして、甘酸っぱい水分が、口の中にこぼれた。
| 2008年08月31日(日) |
自分を信じるということ |
「心をつなぐ」 まとめの文章の大半は、Nグループの一人が、日本に居る間に「本を書くようになったら…」と書き溜めてきたものだ。8月半ばの数日間、私はそれを整理しようとして巻き込まれ、N1が現実を生き始め、しばらくの間、流れが変わった。 N1は、毎朝能力のリストを紙に書いて取り込んだ。能力が全身にみなぎる感覚に感動し、もっと感じたいと人にも語った。否定された時には怒りを顕にした。 これまでと同じ方法をとるのなら、こんな時はマイナスで「切り替え」をする。でも、私は今回、N1を、マイナスとひとくくりにすることが出来なかった。6年間してきた結果の今。これまでと同じにしていていいのかという疑問も沸き、ベトナムへ来てから後、いくつかの疑問を持っていたからだ。 疑問のひとつは、「マイナスは本当にマイナスか」ということ。多重人格と言われているビリーミリガンの中には、「好ましくないものグループ」がある。ビリーの別人格が自ら分けたものだ。そのグループの人格達は、別人格に押さえ込まれたままビリーの中に埋もれたとされている。 私の中にも「好ましくないもの」が居た。自分を傷つけることをしていたからだ。マイナスに足を引っ張られる時、私は立ち止まる。マイナスはマイナスになる。でも、その人格達はもともと、過去の虐待の中を生き延びるために存在した。過去ほど辛いことは起きない今もまだ、その自分が生きようとするのは何故か。私は、私を生き延びる為に居た人格達の行動・言葉の意味を探したかった。 6年間の記録では、最初の2年間で、すべての人格はそれぞれの状態からそれぞれのレベルで成長している。そこには「あるがままを肯定する」がある。それから4年。N1は今までと少し違う。好奇心で動いている。そんなN1に好奇心も沸く。 二つ目の疑問は、Akariの言葉にある。「現実に出ている時だけ成長できる。」。私自身も実感してきたことだった。 私の経験では、他の人格の持っているものを知るのは、その人格が出ているときだけだった。6年間の後半は、プラスを生きていても他の人格のしたことが分かる方法を探した。能力も足りなかった。自分で思い出すことが出来ていれば壁は要らなかったという事も浮かんだ。それでも、私は今、自分の中に、自分を傷つけることをする「好ましくないもの」が居るとは思えない。 私は、否定されて怒るN1にさえ寄り添うことを選んだ。
N1は淡々と引き出しを開けた。白いメモ帳にはするどい感覚の言葉が並んだ。 私はN1を見ながら、今までの自分は何だったのかと問うた。メッキとか上辺のことという言葉も浮かんでくる。今の自分を、二つの言葉でくくるには、してきた自分も嘘のようで、あんまりではなかろうか。 自分に否定されて埋もれたものは、過去の傷を疼かせて埋もれさせられたまま、そこにあったのではなかろうか。 Akariの言葉の意味は、その自分も肯定してこそ、事実を知り癒やすことができるということではなかろうか。 自分は今、「肯定する」ということそのものをしようとしているのではなかろうか。私のしてきたことは社会の言葉とは違うはず。メッキやうわべとは違うことをしてきたはず。感性が訴え、私は信じた。
数日を得た昨日、あることに気がついた。「命」だ。 N1の「自分探し」は、古く遡ると、母が自殺しようとしたときから始まっている。マイナスとくくってきたもう一人の私N1は、過去のその時から自分の「生」の意味を探している。それは、N1の打つ言葉の行間に、したためられている。私の足を引っ張ってきた人格の一人は、生きる意味を探している。「生」への執着はここから来ているのかと納得もした。ただし傷を抱えた分だけ間違った見方になりやすい。「生」は執着するものではないことを思い浮かべれば、はっきりする。 けれど、切り替えて埋もれさせるだけでは同じことが起こる。子どもをいじめた自分は肯定の中で自分を見つめた。人を傷つけた人にさえ、そんな自分をも受け入れられる環境があれば、自分を見つめられると思うのは、誤った見方だろうか。 私は今、迷っているようだが、迷いから脱している。私の感性がそれでいいよと言い、私はそれを信じているから。 私は今、自分を信じるということをしている。
|