「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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最近腰が痛い。そのせいか、昨晩はマットレスと仲良くできず硬くて冷たいタイルの上に寝転んでそのまま朝になった。散歩して朝ごはんを食べた後、机に向かったけれど体が同じ体勢を嫌がる。引越しも近づいてそちらも気になる。本の構成のほうも気になり始めている。パソコンを閉じて外出モードにした。 本作りの情報を探して歩いた。歩き始めてまもなく、腰が喜んでいるのも分かった。全部で2時間くらい歩いたかな。運動するのがメインだから2時間の長さも苦にならない。普段見逃す小道を発見したり、途中でチャイルドと話をしたり、面白い旅だった。 自分に寄り添うのは面白い。今の自分に寄り添ってあげると、今の私として過去を見据えられる。
長女から手紙が来た。彼女は今年高校受験生。偏差値のことが書いてあったけれど、偏差値という言葉の意味をよく知らないのに気付き、ネットで勉強した。親はこのようにして、育つのだなぁ。
文章を総入れ替え。上から下まで一度に眺めたい気持ちになって、コピーやさんへ走った。 外に出たついでに探すのは、印刷やさんとタクシーの車体の大きさ。引越しのとき、自転車も一緒に積んで行きたいのだけど、出来るかなぁ。
夜はスクワットをした。数をベトナム語で数えているうちに、前日よりも長くなっていた。数は数えられたけど、スクワットになっていたのかなぁ…。
久しぶりに 「なお」 の引き出しを開いた。性の虐待を受けていた「なお」そして私。 日付をはずして纏めなおしているうちに落ち着かなくなってきた。丁度その時、こちらの友人から自転車のことでメールが届く。しゃにむに返事を送る私を見た。自分の感じているものを感じられなくなっている。巻き込まれた自分だった。 時間も夕方だし切り替えが必要。そう言い聞かせて引き出しを閉じた。 「こんな時は何が必要かなぁ」と相談しながら外を歩くうち、自然と出来たことを探す自分になっていた。これまでの体験を思い出す。それから今日のまとめの中にその効果が出ていたことを発見した。 そうなんだ。そうなんだ。これまでの経験がこれからの自分をより自由な方へと導いているんだ。今度は嬉しくなってきた。 考察も添削も心が基準になる。こんな貴重な体験をして、ありきたりな言葉を使うけれど幸せを感じた。
「死にたかった自分」 のまとめ。 文章が纏まるように整理しようとするけれどうまくいかない。当時のことを整理出来ていない自分を知る。今こそ蓋を開けたばかりだから、仕方がない。 纏めることにこだわると時間が足りなくなる予感。残っている文章を纏めるということを意識した。この時、私はきっと優先順位を選ぶことをしたのだろう。 過去の記録の中に、当時の自分が書いたと思える遺書の一部を見つけた。と言っても本当かどうか分からない。けれど私の感性が 「そうだよ」 と教えてくれた。整理を続けよう。 夜、少し早めにパソコンを閉じた。ベッドに寝転がって天井を見上げ、「自分は今、やさしい生き方をしているかな」と問う。 ここはベトナム。ベトナムにもひとつの社会がある。 周りの人と歩調を合わせて生きることならいくらも出来る。日本語や心のことなど自分の能力を利用して豊かに暮らすことも出来る。 そして私は、それらのものよりも貴重な私自身の心を一番大切にしよう。 独りで生きるということは、どこに居ても自分の信じるものを大切にしていることだと思う。心を基準にしたら、日本語もベトナム語も、道具の一つになる。私は今、自分を信頼して生きている。
新しい家が決まった。場所は12区。今の家の近くのバス停から40分くらいの距離にある。 今日は、前回家主さんと交わした言葉を文章にして確認するという丁寧の積み重ねをしてきた。 ベトナムの家庭に入る私。コミニュケーション手段は99 パーセントベトナム語だから、まるでホームステイをする気分。 引越しは約2週間後。本書きとベトナムの家庭の暮らしを楽しみにしている。
心友に案内されて1区の船乗り場から船に乗った。乗っている時間はわずか3分くらい。着いた先は4区。自転車で行くと15分位の距離を3分くらいで行ける。ここで貴重な体験をした。
昨日の夕方、出掛けようと玄関に降りたら心の父が立っていた。びっくりして言葉が浮かばない。久しぶりの再開。嬉しさよりも、日本に居ると思っていた人がすぐそばに居ることの不思議さのほうが大きい。しばらくは、時差ぼけならず土地ボケになっているような気分だった。 私は行きたいところがあったから、二人で出掛けて夕食を食べた。誰かと食事するのも久しぶりだけれど、それが心の父だとは…。 ひょっこり現れてくれた 心友 and 父 のおかげで、私にとって日本とベトナムはドアの向こうの距離になった。
朝6時、所用を兼ねて散歩に出た。曇り空で日差しは弱いけれど蒸し暑い。きっと今日は雨が降る。 歩いているうちに上着を脱ぎたくなった。この頃、着るもので暑さをしのげることを知ったから、上着の下はピンク色のスリップみたいなもの。日焼け前の白い肌と下着の紐とスリップの紐が重なった。自由になった肌にそよ風が触れて、思いのほか気持ちいい。 男の人の視線を気にしていた頃、肌を出して歩くなんて出来なかった。 でも、今の私は少し違う。服装や外見が人の視線を引くこともあるだろう。けれど、道を歩く自分に興味を持っていれば、それは小さな問題になる。
ちょうど昨日、性の傷をまとめている中でこんなことを思った。 日常は楽しく過ぎている。そして、傷ついた自分の時間はそこで止まっている。だから時々、トラウマ目線で判断しようとしている自分がいる。トラウマは長く持つほど呪縛になるという証明のようだ。そして私は、自分が何をすればいいか知っている。毎日、自分を解放してあげよう。自分に楽な方法を探してあげよう。愛する自分に、よりやさしい環境を提供してあげよう。 私は、傷を癒やしたぶんだけ自由になっている。昨日より自由な自分を感じている。
今日は壁と仲良し。タイルに足伸ばしてせっせとまとめ。小さい箇所を入れ替えると全体が纏まる面白さ、いつの間にか「読みやすさ」につながっていた。 夜、HPのタイトルが改めて視界に入った。自分は心の傷を癒やして独りの人として生きられるように時間を使ってきたんだと、自分のために生きた満足感が心に浸透した。 数日前にも、自分の中に似たような気持ちを聞いた。 「満足したョ」。それは「優合」について気付きを書き出し後だった。声の主はN1のチャイルド。彼女は心の叫びが声になるのを待っていた。 その時私は、「よかったね」と答え、それから安堵した。
今はきっと、半分来たところ。本のタイトルはHPのタイトルと同じにしたくなった。
今日は、人格のつながりを発見。満足感ひとしお。
正午過ぎから、歩き40 分バス40 分で、少し遠出。 バスはセンターから端っこに向かい、広くて車の少ない道を快速で走った。自転車だと1時間半くらいかな。お散歩には遠いけど、引っ越すときは自転車で走る。新居になるかもしれない場所。
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