「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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10月末から消化器の風邪を引いて2日間寝込みました。そのあと停電と電気配線の故障が来てパソコンが使えなくなりました。 病気で体が動けなくなったときは、ベトナムの人に手伝ってもらいました。ベトナムの人は食べ物を作って持ってきてくれましたが、体がベトナムの香辛料を嫌がりました。布団の中で「吐きたいのは自然なことだよ。体がばい菌と戦っているんだよ」と何回も切り替えました。 でも、いつもは平気なことが大変になり、元気になるためのリンゴも一人で買いにいけないと分かった時、心底心細くて日本に帰りたくなりました。 元気になったあとに配線の故障が分かって、Cuchiに余暇に出ました。その時、ネットがつながらなくてもパソコンがあれば本は書けると思いました。 今日は久しぶりにファイルを開けました。 することとしたいことがいっぱいの Mamo になりました。
市場で初めて卵を買った。自転車で行ったから、帰りは片道2車線の国道をバイクの間をぬって横切るのに大変だった。まっすぐな道まで来てからは 「卵と体では体が大切」 と言いながら、道のでこぼこを避けて走った。卵を買えたことがどうしてこんなに嬉しいのかわからないけれど、私は嬉しかった。家に帰ったら、大家さん家族の夕食も卵焼きだった。
いよいよ、「これをなくしたら泣いちゃう」 というほど貴重に思える10 ページが出来てしまった。なくさないように慎重に扱おう。
先週末に遊びに来た友人の言ったとおり、今週に入ってから蒸し暑くてたまらないという日がなくなり、夜になると部屋を閉め切っていても扇風機が要らない。私の布団はゴザの上に綿を敷き詰めたような布団なのでタイルの冷たさで目が覚めるようになった。大きなマットはきっと腰が痛くなって使わなくなるから、適当な暑さの布団を探し中。 この頃は印刷をどうするとか引き出しの順番はどうするとか、未来のことを考えて幅広く使える道具をダウンロードしたり、いろいろとすることが多い。今日は二つの引き出しをくっ付けようと文体を変えて編集しかけたけれど、半分くらいのところでどうしてもつながらなくなって元に戻した。 17 時半ごろから食事をかねて外出。ここはトラックが多いハイウェイどおりのせいか、大衆食堂は特大盛りご飯とお肉一品が主流で値段は平均15,000ドンとホーチミンの中心よりも高い。それに、おこわや焼き芋やとうもろこしなどが売っていないから、軽く済ませるということが出来なくて困っていた。ところが、今日やっと10,000ドンの食堂を見つけた。それに、昨晩も今朝も台所で食事をつくった。健康な体の為に、食生活も大切にしている。 しかし、この頃の仕事時間を計算してみたら、引っ越してくる前より少ない。適当に散歩していることも大きいけど、一番の原因は朝起きるのが1時間も遅くなったから。 仕事にするにはあと2時間は時間を使うのが理想デス…。ということで、明日は目覚ましを掛けて早起きすることにして、お休みタイムに入る。
日本で暮らしたことのあるベトナムの友人が 「日本に行きたい。日本には仕事とチャンスがある」 と言う。ベトナムで暮らす日本の人は、「日本は暮らしにくい。この国にはチャンスがある」と言う。私はどうかなあと考える。今は収入がない本書きの仕事だから、経済的にはベトナムの方が自由が利く。ベトナムだから出来ているとも言える。越南して4ヶ月経った頃、この国は私の夢をかなえる夢の島ではないと、心にしみる出来事もあった。 今はベトナムに住んでいるけれど、今の仕事が出来上がったら、違う国で生きてみたい。私は、生きるということを基準にすると世界中のどこに住んでもプラスとマイナスがあると思っている。そして今は、ベトナムの人の家で暮らしている。この生活を楽しみたがっている自分を実感して、布団に入った。 すると、夜中の2時半に目が開いて4時前まで目眠れなかった。ベランダに出てみると、頭上にオリオン座。びっくりして周囲を見渡すと、空一面に初めてとも思える数の星が輝いていた。しかも距離が近く感じる。お月様は透き通ったような三日月。感激ひとしお。時を忘れて見入った。
今日は朝からうす曇り。10時頃になって、散歩しやすい天気だと気付き外に出た。少し遠くの市場までの道をのんびり歩いた。30分歩いたところにある市場を一周して帰宅。 いつもそうだけど、サンダルを履いて長く歩くと足に赤い斑点ができる。浴びているのは自然のお日様だから、いつも日に当たらない足がびっくりするのかもしれない。
夕方再び外に出た。今日は全部で3時間くらい歩くことが出来た。運動すると体が喜ぶ。私も嬉しい。家主さん家族との会話がスムーズになってきた。こちらも嬉しい。いろんなことは、してみると自分にも出来るということがわかる。
夕方まで外に出ず。涼しくなってから、Tan Binh 区方面へ自転車をこいだ。工場とお店がいっぱい。あの地区は工場地帯なのかな。 出版に関しては、こちらの事情を探し中。ベトナムでの印刷事情が分からなければ、日本でしたほうが便利で簡単な気もしている。 本の文字数とページ数をもう一度検証。800字×300枚でほぼ決定。15mm の厚さになる。
夕方涼しくなってから、自転車でスーパーへ行った。スーパーは中心に向かって20分位のところにある。お店の中には日本の大手スーパーのように軽食を食べるスペースもあり、今まで見た中で一番充実して見えた。 食材を買って帰り、夕食を作った。と言っても、いつも作っているスープにお豆腐と日本の稲武で売っているような「柔らかきのこ」を追加したのみ。でも、いつもと違う食材に心が満足した。
朝8時前から停電が始まった。保証はないけれど一日中停電になる予感。どこへ行こうかと考えた末、パソコンを持っておなじみの場所に出張することにした。 いろいろしているうちに時間は10時。暑い中、自転車で行くと帰るのが嫌になる。バスを使って、ベンタイン市場から目的地までは歩いた。ご飯を食べたり買い物をしたりで昼過ぎに到着。コンセントが開くのを待って、全部で4時間まとめをした。帰りは渋滞になってバスが動かず。家に着いたのは18時すぎ。町には明かりが戻っていた。停電はいつ復活したのか知らない。私もよそで仕事が出来たからよかった。うやむやだったところがつながっていくのが嬉しい。
7時半頃起床。ご飯を食べて執筆に取り掛かった。今私は、『インナーチャイルド』の本に出会う前の自分をまとめている。「今は分からない」という理由で閉じていた扉が又ひとつ開いた。当時の自分の心に触れ、あの頃も生きていたんだと実感。軽く丸めた手の中で心を暖めたような気がした。 昼過ぎ、自転車で運動に出た。膝の具合はまずまず。家の横の小道がどこにたどり着くのか気になって、走ってみた。しかし、水溜りのあるデコボコ道で私の自転車には向かないうえに、標識がないクネクネ道。迷子になる前に自転車を返した。家の近くに市場が3箇所。食事をするところもたくさんある。公園という名の場所は目に付かないけれど、家のベランダから見渡せば町全体が公園のようなもの。
日曜日とあって、数日前から「引越し先に遊びに行くね」とメールをくれる人が数人。今は友人と会うよりも大切なことがあるから会えない。それでも夕方、2年ぶりの友人と会った。こちらは引越し前に私の方から連絡した友人だから、遠方まで来てくれたことに感謝した。断ることも承諾することも、いつも私の心に添っている。
午後豪雨が2回。部屋の床に水が溢れて私の雑巾では足りないくらいになった。水はコピー機の入ったトランクに届きそうになっていた。家主さんに手伝ってもらい床を拭いて、窓際においていた荷物を濡れない場所まで移動させた。家に居るときに雨が振り込んでくれたから荷物も濡れずに済んだ。何かあると、こんなこともあるということが分かって助かる。 引越しして4日目だけど、1日に1回、たいてい夕方に大雨がやってくる。雨雲が去ったベランダに出て、どの雲が雨を落としていったのかなぁと探すのも楽しい。ここは風が強いところだけど、雨雲は風が運んでくるのかなぁという疑問も沸いてくる。私はこんなことを知らない大人だったということにも気付く。 日中は膝の具合を見て静かにしていたので、夕方は用事を兼ねて少し歩いた。用事というのは、昨日事故に遭った場所にもう一度行って、その時の自分を整理してくることだった。私は自分を守るということをもっと丁寧に教えてあげる必要があるから。 ゆっくり歩いているうちに、昨日は気付かなかったところに気が付いた。その道は狭くて路肩の整理が出来てないうえに、バイクは歩く私の傍を、国道を走るのと同じような速度で通り過ぎていく。うっかり手を横に広げたら通り過ぎるバイクに当たって怪我をする。渋滞時間になっても10区のように溢れるほどのバイクはなかったけれど、10区と同じくらいに危ない通り。 何が起きても自分の責任。「自分に意識を向けて生活しよう」と気持ちを新たにした。 夕ご飯をバスターミナルの近くの食堂で食べたら野菜のすっぱいのがたくさん付いてきた。外食は野菜不足になりやすいから、嬉しかった。 帰り道に空を見上げた。今日は新月だからお月様は見えないけれど、星を二つ発見。きっとひとつは金星だと思う。金星はベトナム語で「ngoi thuy」と言う。「thuy」という名前のベトナム女性を二人知っている。
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