「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年11月17日(月) 新しい考え

 昨晩寝る前、壁にある生き物を発見。私の手の平くらいの大きさのクモだった。 子どもの頃に見たものと同じものが私の目の前に。机の傍を飛ぶように這う小さなクモはかわいいけど、手のひらサイズになると大きすぎて怖い。けれどこの「怖さ」には子どもの頃の記憶が大きく影響していることを知っている。クモのことを知らないのに怖がっているのは本人に失礼だと思いネットで調べてみた。名前は「アシダカクモ」。私に襲い掛かったり噛み付いたりはしない。家の中に住み着き、大きいから人間に嫌われやすいけれど「ゴキブリ」を食べてくれるらしい。そういえば10区に居る頃夜中に、大ゴキブリを部屋の外に出そうとして大奮闘したことがある。この家にゴキブリは居なさそうだけど「虫退治に参加してもらおう」という気持ちになると怖さが小さくなった。
 電気を消すと、吊るした“かや”の一点に小さな光。「蛍」が止まっていた。引越し初夜は蛍に見守られて眠りに就いた。
 今朝4時、ニワトリの泣き声に目が覚めてもう一眠り。6時ごろ起きて一番に素振りをした。やっとバッドを降ったとき「ブン!」と音がするまでに戻ってきた。
 日中は「まとめ」をして夕方は牛と遊び、太陽が沈むと又、蛍が遊びに来た。
  


2008年11月16日(日) 心を大切にした場所

 今日は引越し。今日まで過ごした「始めてのベトナムの人との生活」 は安心と不便が共存した。そしてタバコと大きな音楽は私の思考の泉をさえぎった。毎日自分を伝えるということに疲れて引っ越すことにした。その前夜にしたことは、「小さなトラウマを取って移動する」 ということ。この国は新しい私が始めて一人で足を下ろした場所。たった1ヶ月とはいえ自分が暮らした場所には 「立ち寄れる場所」 として残しておきたかったから。そして、いつかはこの国の誰とも心を語り合いたいと思ったから。
 動いた結果は、ニュートラルになった私の上に一つ屋根をともにした人々の心が重なって、思わぬプラスの展開になった。プラスを残して飛び立てるように自分を導くことが出来るまでに成長した自分が嬉しくなった。
 昼過ぎ、迎えに来た車に荷物をつめてその土地を後にした。引越しの車はバイクの後ろに荷台を付けたリヤカーのようなもの。Cuchi に向かうからこそ見れる乗り物だろう。私は友人のバイクの後ろでその乗り物を誘導した。
 バイクの上で見た景色。あたり一面の田畑と草を食べる牛。木の香り。田舎に帰ってきたような懐かしさ。子どもの頃、今見ている風景と同じ自然の中で過ごしてきた。見ている景色は同じだけれど心の中は違っている。今は自分に不足していたものを知っている私が未来に向かって歩いている。そう思うと、引越し先で「原体験」が出来そうな気がしてきた。
それから、田舎のあの森を思い出して帰ってみたくなった。けれど不思議なことだ。目の前の景色は怖くないのに、子どもの頃毎日歩いたあの森は思い出すだけでも怖い。トラウマが残っているからだ。心は正直だなぁとしみじみ思う。それから「本が出来上がったら、自分の為にあの森を歩いてあげよう」という気持ちになった。あの森に帰ってみることが本当の「原体験をしに帰る」ということだろう。


2008年11月15日(土) メッセージ

 2日間続けて眠れず、寝入るときも起きて一番にも自分について考え事をしてしまう。トラウマが残っていると、心の苦しさに押されてその出来事以前にあったプラスが小さくなる。私は生きているうちにいろいろな経験をする。その中にはマイナスもプラスもその中間もある。それなのに苦しみの中だけで物事を捉えようとするのは、苦しいということを感じる自分が苦しいからだ。ひとつのトラウマに押されてその他のことが見えなくなるのはもったいない。
 そんなことを考えているうちに、「まぁ、そんなこともあるよ」と思える自分になっていた。
 今朝は4時過ぎに目が覚めた。目を覚ますように素振りをしてご飯を食べて遠くの景色を眺めた。パソコンを開けたときの第一印象は「頭が寝てる」だったけれど、コーヒーを片手に7時間机に座った。夕方市場に行ったとき、市場のお姉さんが外国人の私を発見して「仕事?勉強?」と聞かれた。今までは「本を書きに」と伝えていたけれど、今日は簡単に「仕事」と答えた。7時間机に向かった後の余韻が、この言葉を引き出したのかもしれない。そのあと何か質問されたけど、知っていること意外はわからない。わからないことを「わからない」と伝えられると楽が持続する。
 最近思うことは他者の言葉を聞くときの自分の気持ち。私は人と語り合うときその人自身を主体にした言葉を聞くと安心する。Mamoを主体にした言葉を聞くとき違和感を感じる。あなたメッセージを続けて聞くと、私の心の傷が疼き「命令されている」という錯覚が起きて不愉快な気持ちになる。こんなことを思う私は6年前よりは成長したのだと思う。なぜなら、私は自分のことを自分の気付いた分だけ私自身の言葉で語りたいと思っているから。


2008年11月12日(水) 開放

 一週間前の出来事からやっと、自分を解放してあげられつつある。
 傷ついたときの自分が感じていたことは、私は自分が傷ついたことについて人に謝罪されることを求めているのではないということ。それから信頼とか信用という言葉は自分に向けて使うものと捉えていること。こんな自分に気付いたとき「大人だなぁ」と口笛を吹きたくなった。
けれどひとつ間違いをした。それはこの出来事についてその言葉を使った人がその人自身と向きあっている姿を見たいと待ち望んだこと。だから待った分だけ心の開放が遅くなった。
 けれど、自分以外のものに関して待ったり望んだりすることが間違いだと気がついた。それに自分を変えていくほうが簡単で楽。今は自分の中にある素直さを自分で引き出す満足する自分を能力にして前を向けるようになった。私はこれからも素直な自分を引き出したい。

 本書きを試し始めて3ヶ月経った頃から「一人でどこまで出来るか」を楽しみ始めた。今まで漠然としていた「どこまで出来るかやってみよう」は自分の能力を探せる楽しみに変わった。同時に編集や校正やその他のことを自分以外の誰かに手伝ってもらわなければ出来ないという捉え方は違うのではないかという疑問が沸いた。世の中の作家が一人で本を書いていることを思えば、その答えはすぐに見つかった。すると、いろんな方法があって、自分はそれを試していいということもわかってきた。けれど、そう思っているのに評価の社会で生きてきた自分のせいで、新しいことを試したい自分を縮めてきた。
 ところが今日、3ヶ月目に浮かんだアイデアが自然に訪れた。感じたときに言葉に出来ればよかったけれど自然の風が運んだなりゆきさえ、今を生きた自分の経過だと思えている。だから今夜は自分で付けていた小さな重りをはずせたことに自由と開放を感じている。半年間のお待たせ。


2008年11月11日(火) 環境

 ネット環境を求めてついに中心地まで泊りがけで出てきた。
都会は外国の人が多い。お店に入りベトナム語で尋ねている自分を人々は不思議そうに見る。その中を日本語で話しかけられて自分も外国の人だったと自覚する。英語を使ってみると、とっさのときには英語のほうが楽だなぁとも思う。
 夕方町を散歩した。ベンタイン市場のバスターミナルから、住んでいる人として幾度も眺めたベンタイン市場が、今日は「観光の名所」として映り不思議な気持ちになる。 
夕食には田舎で食べられないものを食べようと BuiVien 通りのスパゲッティーやさんに入った。頼んだメニューが出てくるまでに20分。白い肌の観光客さんは待ち時間もパンフレットを片手に明日の旅行を思い描いて楽しんでいる。私は机にほおをついて本のことを考える。
 ミントの利いたカルボナーラを食べながら「なりたい自分になるために」をイメージする。けれどお店の音楽が私の思考をさえぎった。したいことがあったら人々と同じことをしていたらだめだ。そのことを学ぶためにはそのことに一番より多くの時間を使うこと。たしか『愛するということ』の中の一説だ。
そんなことを思いつつ、いつもと違う食事を楽しんで静かなホテルに帰った。


2008年11月10日(月) なりたい自分になれるよう

 最近思うのは、なりたい自分になるためにはそのように動く必要があるということ。一般の人と同じようにしていてはなりたい自分が遅くなる。それを思うと、私は自分の本を書く為にベトナムへ来たのだからもう少し集中してもよかったなぁと反省に近いことを思う。けれどそれも自分の人生だからいいことにした。
 滞在期間は残り3ヶ月になった。ここへ来て日本の人と、ベトナムと日本の国の違いを語り合う機会があり、お互いの経験を語りあうことが外国から見た日本を語ることにつながり、一般社会とは違う視点で生きている自分自身に心の満足を感じた。
 本については昨日やっと過去と現在のターニングポイントがつながった。本という形にするにはまだまだだけれど自分のことが目で見てわかるという安心を味わった。
 そういえば Web の中で「書く」ことと「編集」は別の頭だというのを読んだ。この二つが同時に出来ない時の自分を見て納得したあと、その文章に巻き込まれない時には出来るという経験を思い出して言い訳にならないよう意識しようと気持ちを新たにした。
 打ち出したいと思う文章を全部数えたら、改良大有りの状態だけどイメージしている文字数にぴったりで驚いた。ベトナムで印刷するということを経験してから帰りたいなぁと、帰国3ヶ月前の私は思う。ベトナムバージョンと日本バージョンがあったら比較も出来て面白い。


2008年11月09日(日) 世界

 今日は日曜日。自宅のインターネットはもう6日間もつながらない。Webがつながらないとき、ベトナム語Only のテレビを見ても日本人の私には世界が見えないことを実感する。考え方が狭くなるような気がして表に出たくなる。でも今日は家でのんびりした。のんびりと言ってもすることをしながらののんびり。
 夕方荷物の整理をしていたら、日本で住んでいた頃の部屋にあった張り紙が出てきた。「自分が誰であるかを意識することは大切だ」「感じたことを受け入れそして大人の知恵を使って動くこと」。自分は本を書く為にベトナムへ居るのだとしみじみ。 
 20 時ごろから自宅でカラオケが始まった。私は又引越しをする予定。出て行く準備の為に何も言わないということをした。


2008年11月08日(土) 思考

 この国に始めてきた頃、「人々が何を考えて生きているのか知りたい」と思った。その答えは最初から観光名所ではないところにあった。
都会では、町には看板が並び音楽が締め切ったバスの中まで聞こえてくる。食堂のお兄さんが炭焼きお肉の煙を扇風機であおって人々の嗅覚を刺激する。ナイスボディのマネキンが流行の服をまとい道行く女の子を夢の世界に巻き込む。男性の殆どはタバコを片手に歩いている。人間独特の考えるという行為を、音楽とタバコが邪魔している。生きるのに必要な感覚は自然を逸脱した刺激を受けて麻痺する。
 田舎では、澄んだ空気の中で夜空の星を数えることが出来る。小さな市場で買い物をして昼と夜はたいてい同じものを食べる。ベトナム語だけのテレビ放送の中だけで世界は見えにくい。別の社会が見えない分だけ、例えばタバコが体に悪いということを知る機会も少ない。
 これらのことは、程度の差はあっても日本と同じだと思う。そして自分も昔この世界で生きていた。
 ベトナムは日本の30年前だと言われる。今見ているものが30年前の日本と捉えるとベトナムの30年後は日本の今というようなイメージになる。日本が変化したは何故だろうか。変化があるのは、新しい考えを伝える人と聞き入れる人が居るからだろうか。
そうすると、私は今「新しいこと」を伝える人の側に居る。私は日本に居てもベトナムに居ても、過去とは違うことを大切にしている。
 夕方は、家に近くを散歩した。
今住んでいるところは、ハイウェイ道路の傍で埃はすごいけれど人が少ない分町は汚れていない。10区に居る頃は路上のカフェに入ろうとは思えなかったけれど、きれいな道路を歩いていると、「ここでご飯を食べてみようかな」という気持ちも涌いてくるから不思議。


2008年11月07日(金) 結果

 昨年2月ベトナムに来て以来、適度な学びと遊びと飲食と、適度に書くということを続けてきました。「作家」というのはこもっているとか一日中そのことを考えているとか言いますが、私の場合は体が悲鳴を上げてくれたおかげで一日中机に座っているとか、一日中そのことを考えているという生活にはなりませんでした。健康な生活の気持ちよさがわかるせいか、こもりそうになっている自分に違和感を感じて切り替えられるときもありました。先日、一般社会の側からの私への見方を知ったときは「何が何でも本を書き上げて真実を伝える」と思いましたが、そのように思う自分の心を覗いた後には、その気持ちも消えました。(もちろん自覚できている分だけですが)。本については、このような毎日の中で出来たのが11月に入るまでの分です。
 少し話はそれますが、今日2年半ぶりに会った友人が「一年で本を書くなんて、よくやってきてるねぇ」と言いました。私自身は特別なことをしている実感はありませんでしたが、他者に言われて改めてその月日を数えてみると9ヶ月という月日が経っていたのです。その数字を目にして改めて「そうかもしれないなぁ」と思いました。「どこまで出来るかやってみよう」をしていたから、出来るかできないかは思考の中に入っていなかったようです。きっと、自然に出来るというのはこういうことかもしれません。
 9ヶ月間の自分を実感したついでに、人生も本を書くということも方法はいくつかあって、どれを選んでも今の自分を大切にしてきた結果であれば、そのままを肯定できるということも知りました。


2008年11月05日(水) 不思議が二つ

 朝の涼しいうちにベランダで素振りをした。右と左と交互に全部で50回くらい。日本に居た頃より筋力は無いはずなのに腰が使えている感覚があって不思議だった。心も体も気持ちよかった。
 そのあと朝ごはんを食べて、先日買ったパソコン電源の延長コードをベランダのすぐ傍まで線を延ばして、時々空を見上げながらまとめをした。

 午後にはショックなことがあった。子どもを虐待した私は人に信頼されないと事実を思い知らされた。赤ちゃんを産んだ私は子どもを愛そうとした・虐待もした。けれど愛したいけれど愛せないゆえの苦しみがどれだけのものだったか。過去の辛さを叫ぶような気持ちで伝えたけれど心の悲鳴には瞬時に虐待したという事実がかぶさった。このことが分かったとき変な感じだった。言葉にすると「なんだ、そうだったんだ」というような気持ち。そして事実を語ってきた分だけの不思議な底つき感。そして悲痛な思いで心を伝える自分への安心。書いている内容は事実の思いだという確信だった。
 もしも今日の出来事と同じように私の書いた本を読んだ人が、過去に過ちを犯したという理由で本の内容を飾っていると受け取るのだとしたら、真実を書いているからこそ悲しい。けれど私は嘘を書いたり自分を飾ったりしていないと誰に対しても言える。お酒で呂律が廻らなくなっても死の直前でも同じことが言える。だから子どもを苛めた母だけど私は私を信頼している。やっぱり不思議な底つき感。何かに対する諦めにも似ている。それから、私はきっと社会に出て刺激されたときの予行練習をしたとも思っている。


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