「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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朝6時半 NhaTrang に到着しました。 昨日の出発のときからいろいろと楽しみましたが、一番楽しかったのは本日夕飯を買いに行った帰り道の出来事です。 ホテル傍の曲がり角に来たとき、耳元で「*****!」と大きな声がして、本当にびっくりしました。私のびっくりはそのまま、いつもよりも大きな声の言葉になりました。それから、驚いたとき思わずするしぐさのように手を胸元に当てました。 声の主はベトナムの男の人で、その人も 「お〜びっくり〜」 ともちろんベトナム語で、けれどその人は “〜” のマークのとおり、遊んでいるように笑って通り過ぎました。私も続けて歩きながら 「びっくりの時はやっぱり日本語だ」と思わず出た自分の日本語に納得しました。 話はここまでですが何が面白かったのかというと、過去の自分と比較して今日の自分の反応がおもしろかったのです。
HCM 市に初めて一人で来たとき、今日と同じように目的の場所を探して道路を行き来しました。実はそのときも今日と同じようなことがあったのです。 でも過去の私は「男の人が私を驚かした」とか「私は男の人にからかわれやすい」とか思って「からかわれないように、ちゃんと歩こう」と自分に力を入れたのです。それなのに今日の私は、びっくりをそのまま言葉にした自分を笑ってその場を通り過ぎたのです。それから付け加えになりますが 「あの人もびっくりして言葉が泳いだんだ!」 と今度は自分にふざけて言ったのです。 ですから、過去から比べて楽になっているその変化がおもしろかったのです。そして今日楽しめた自分のおかげで過去のトラウマも取れたのです。
つまり、いつも楽しんでいいということですよね〜。
朝ご飯のあと外に出たら、生まれて一ヶ月と少し立った子犬の赤ちゃんが外に出て遊んでいました。少し前から、子犬たちのお母さんはもう、一日中子ども達の前にいることをしなくなっているのですが、子犬達は皆自分達で遊んでいます。犬の赤ちゃんも愛で満たされたら、辺りを冒険することができるようになるのかしら。 私が近寄ると私の手を噛みに来ます。「遊びたいのだねぇ」と彼らのするままにしていますが、まだ歯が生えていないので人間の赤ちゃんと同じように「歯の生え始めで、かゆいのかしら。 と子犬の成長も楽しんでいる Mamõ ちゃんですが、今日からしばらく Cuchi を離れるので、今度帰ってきたときにこの子犬たちがどのようになっているのか楽しみにしているのです。
午前中は荷物の整理をしました。再びバックパッカーに変身でパソコン持参は前回と同じですが、今回はパソコンを入れる手提げを買いましたから荷物は前と後ろに二つです。
又、気の向くままの旅。私はいつも「自由に生きる私を全身に感じられる旅」を重ねます。
午後、家の庭で友人のお姉さん夫婦と野球ごっこをして遊びました。二人とも始めての遊びだと言っていましたが、私のバットをブン!と振りました。お姉さんの夫は(二人とも私より年下ですが)途中から真剣な顔になって田んぼのずーっと向こうまでボールを飛ばしました。田んぼは草が生えていて泥になっているところもあって履いているのはスリッパで、おかげですぐそこに来たボールにも手が届きません。1回だけ山なりで飛んできたボールがグローブに飛び込んでくれましたが、ボールを追いかける私の姿はきっと「ドジョウすくい」だったことでしょう。
田んぼの中に直径1メートルくらいの穴が開いています。これは大きな木を切り抜いたために開いた穴です。残った根っこはその3メートルくらいを地上に顔を出して八方に広がっていますから、手が回らないくらいに大きな木だったことでしょう。 今日、その穴をぴょんと飛び越えて遊ぶ私にお姉さんが木を切った理由を教えてくれました。木が切り抜かれたのは私の使わせていただいている部屋を作るとき。つまり切り抜いた木を板にして、私が毎日寝ている床に使ったと言うのです。毎日上り下りする階段も手に触れる壁も全てそうだったのです。自分が寝ている木の板が少し前まで庭の木として生きていたなんて想像も出来ませんでしたから、本当に驚いて歓声を上げました。改めてこの部屋に自然のあたたかさを感じました。私が9時過ぎると眠たくなるのは、きっと自然の木の眠りに導かれているのでしょう。 日が暮れかけた頃、3姉妹と私で散歩に行きました。赤土の道で手をつないだり、ベトナムの人の歩き方・アメリカの人の歩き方・日本の人の歩き方などなど、面白いことをしました。最後は友人が犬の歩き方をして大笑いになりました。 日本の歌を歌ってと言われましたが、ベトナムの歌は浮んでくるのに日本の歌が浮んできません。ベトナム語が話せるわけでもないのに、頭が歌に切り替わらなかったのです。 まもなく日が暮れて辺り一面真っ暗になりました。通り過ぎるバイクと少し離れた民家以外は電気がありません。道幅が ところが小さい道に入ったとたん、黒い闇に舞う小さな光が視界に入りました。蛍です。田んぼの中に数え切れないくらいの蛍が飛んでいたのです。その可憐さに又、歓声を上げずにはいられませんでした。
こんな一日を通して、私はそうしている自分を見ることを意識しようとしていました。「意識しようとしていました」なので「意識していた」とはすこし違うのです。 田んぼの中でボールを追いかけた自分、姉妹のような女性に囲まれて冗談を言いあったりふざけて触れあって遊んだ自分。実は、今の自分がどこまで自由に楽しめるのかを知りたくて意図的にその環境に自分をおいてみたのですが、「意識しようとしていました」になったのは時々チャイルドが顔を出していたからです。そしてそれが解ったのは夜になってのことでした。ついでに、ここ数日「意識するということ」が「お行儀よくする」という感覚になっていたことも知りました。ですから今夜は、「お行儀よくしなくていいよ」と自分に語ってあげました。そうしたら、心がぬくぬくしてきました。 もうすぐこの環境ともお別れですから、私は今、ここに居るから出来ることを探しているます。いつもプラスを残していくのです。
今日は NhaTrang へ行く寝台バスの予約をしに HCM 市に行きました。 月曜日の夜8時半のバスに乗ると火曜日の朝6時に NhaTrang に着きます。 夜の道を走るので外の景色は見えませんが、私が寝ている間に行きたいところまで運んでくれますし、夜のうちにバスに乗れば早朝のバスに乗るために市内のホテルで一泊する必要もありませんから時間も値段も合理的なのです。それに、寝台バスなんて生まれて初めて乗る乗り物なのです。 HCM の町は、クリスマス模様に変わりつつありました。ベンタイン市場前の広場には白い世界を形作ったモニュメントのようなものを準備して、お店のマネキン達はサンタクロースの服を着ていました。 でも、雨季が終わって蒸し暑くなってきたせいでしょうか。私には暑い国ベトナムと雪国の世界を合わせるには無理があるように思えるのです。世界共通の「新しい年」を喜ぶのとは違っているようにも思えます。額の汗を拭く視界に入ったマネキンさんも三角の帽子をかぶって暑そうに見えるのです。ここは、雪とは無縁の国ですから、きっと商戦に載せられているのでしょう。 それを知っている私は、南国の白い世界に嵌らない大人を生きているのだなぁと、汗を拭き拭き心の満足を感じました。
今朝は、布団の中でうつらうつらしていたら8時になってしまいました。こんな時間まで寝ていたのは初めてですが、こんな時間までゆっくり出来るようになったという見方もしました。なぜなら、今週に入ってから毎朝4時頃のニワトリの泣き声に気が付かなくなっていたからです。そんなことを回想したのも起きたての布団の中ですから、「ゆったり」とか「のんびり」とかそんな言葉も浮びました。心が成長した分だけ「ゆったり生きる」を楽しむことができるようになる、と自分の経験を通して感じています。
夕方、Cuchi の郵便局のポストから、日本に居る子ども達に向けて手紙を出しました。これで私が暮らした場所から一度ずつ手紙を出したことになりました。 最近、夜9時を過ぎるとまぶたが重くなります。朝は自然の目覚ましで6時半ごろには起きますが、この頃は自転車にも乗らず、素振り以外運動とは無縁の生活を送っているのに、どうしたことでしょう。 一日中頭を使っているから、体よりも頭の方が休みたがっているのでしょうか。不思議なことですが、眠くなったら寝るということをするのがいいのです。
夕方、停電が来ました。Cuchi に来て初めての停電は 30分くらいですが、電気がない間も家のお母さんは月灯りの下でココナッツの実を割っていました。私は光のない夜空に浮ぶつきを指差して、「あそこに電気がある」と言いました。 都心に居た頃より回数が少ないのは人口密度が関係しているのでしょうか。 帰国が近くなって時の流れを実感するようになり、これから2ヵ月半の計画を立てました。それに伴って子ども達にもベトナム最終便になるかもしれない返事を出すことにしました。 浮んだ未来と未来を浮かべられる自分にワクワクしています。
夕方、大きな引き出しが一つ完成しました。そのページ数は約 200ページ。もう一度目を通す予定ですが 200ページを家で印刷することは出来ませんし消したり貼ったりの作業もありますので、明日も又、お目目と相談しながらコツコツ作業の続きです。 でも、今日はどういうことでしょう。一つのまとまりが出来たということが今迄で一番嬉しいのです。 きっと、このような気持ちを達成感と言うのでしょう。
家の中では、私はこの頃殆ど話をしません。ベトナム語の思考が働かないのです。でも、今はこれでいいと思っています。ちなみに、休み時間には豚さんや他の生き物達に会いに行きますが、彼らとお話しするときは日本語なのですョ。
今日は昨日から始めたアイディアを進めましたが、思っていたよりも大変だったのです。 午前の終わりにはベランダに立って、「出来ることをする」というところをもう一度確認しました。それから「この章では何を言いたいのかな?」と自分の意図を捜しました。 すると、自分は何をしたかより何を感じてどう動いたかが大切だということになり、まずはそれが伝わる方法ならどれもOKというところへ辿り着きました。 それで、午後からは今日のこと以前にしていた方法を再開しました。あっちをしつつ、こっちをしつつですが、「出来ることをする」ことが盲進を避けるための方法です。楽しんで出来ることが一番いいのです。 夜、自分は何を伝えたいのかをもう一度整理しました。書き出しているうちに、ワクワクしてきました。
夕べは早い時間に横になりました。 Cuchi という場所はホーチミン市のベンタイン市場からバスで70 分位です。私は一気に帰りたかったのでダラットからホーチミンを経由して直帰しましたが、遠出するには途中で休憩をしたほうが体にやさしいです。でも、おかげで朝までぐっすり眠ることが出来ました。 今日は、朝7時からまとめを始めました。 私の部屋はドアがないので、時々人が入ってきます。集中したいときには人々の動きに思考を遮られることがあります。でも今日は、人々は床に座ってキーボードを打つ私の前をつま先足で静かに通り過ぎていってくれました。 まとめは又少し方法を変更しました。「やっと変更できた」という表現のほうが正しいです。そうすることができたのは、私が私自身の人生の流れに乗れているからでしょうか。 その中で新しく決めたこともあります。でもそのことはもう少し整理してから書くつもりですが、自分がすることの理由を確認して歩くと今まで気付かなかった自分が見えて、次の Step になります。自分を知るたびに楽になるので面白いです。
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