「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年12月26日(金) |
もっと Mamõ ちゃん |
傷口を掘り起こして落ち込み。相手の方から出てきた単語に反応して、まるで小さな赤ちゃんのようになってしまったから仕方がありません。捉え方にずれがあることを伝えることすら出来ませんでした。 落ち込みの直接の理由は、「今度はこうしよう」と決めていたことがあったのに、それが出来なかったからです。自分よりも他者を肯定しようとした自分も歯がゆくなりました。そして過去にいつも抱えていた衝動的な思考が浮かび上がってきました。 でも、今日はそんな自分を自然に受け入れたからでしょうか。「これではいけない」とか「これは変だ」ということが分かり、まもなく自分が安心する言葉を捜せるようになりました。 「伝わらないんだ」という言葉を見つけたときホッとしました。そののち意図的に「伝わらないこともあるんだ」という言葉に切り替えました。人は私と同じようにいろいろな面がありますし決め付けてはいけないからです。 言葉探しの発想は、きっと数日前の経験が生きたのでしょう。
安心したら次の方法を見つけました。伝えるということに疲れたときは何も言わないということをすればいいのです。
よしっ! Mamõ ちゃんはもっと能力を意識して決めたことが出来る自分になりましょう。出来るかどうか分からないけど、どこまで出来るかしてみればいいのです。考えてみれば、仕事をしていた頃はたびたび社会の言葉に巻き込まれてトラウマを癒やすのに忙しい日々でした。毎日のゼロの状態に戻るのに急がしくて自分を楽しむという時限まで到達するのが大変でした。比較してみると、今はあの頃よりも成長しています。 Mamõ ちゃんはやっぱり成長しているのです。だからこれからも出来るでしょう。
午後から空が明るくなってきたので、散歩しました。夕方も散歩して昨日の分歩きました。 ここは海があって静かで適度に都会で外国の人がたくさん居て本を書くにもいい環境です。だから本当は帰国までをここで過ごしてもいい気持ちになりました。でも…それにはコンタクトレンズが足りないのです。それに Cuchi の様子も中途半端なので、荷物の整理をしに帰ろうかなぁということです。 夜、サイゴンまでのデイリーバスチケットを買いました。 来るときは寝台バスで夜の景色を眺めましたから(夢の中で…)今回はデイリーバスで昼の景色を眺めたいのです。帰る日は新年1月1日ですが値段はいつもと同じでした。 ちなみに、ダラットにも住んでみる計画でしたが、先週そちらへ行ったベトナムの人の話によると激寒らしいので、止めにしました。
目が覚めたら8時でした。今日は一日中雨模様で、時には雨粒が部屋の窓を激しく打ちました。 数日前に長袖のシャツを買って2日間着たのですが、両脇と袖口がほつれてきました。 着てすぐにほつれてくるのは2着目です。安いからいいですし、ズボンの真ん中じゃなくてよかったなぁと、着るときも脱ぐときもそおーっと動いて、ほつれが広がらないように気にしています。
2008年12月23日(火) |
Mamõ ちゃんにできること |
昨日あることを試みました。それは他者の言葉に傷ついた自分を私に傷つくことを言った当人に伝えるということをしたのです。 相手の方は最初「ごめんね」と言ってくださり私は安心しました。私の心はトラウマを受けとることになった当人に肯定され、トラウマは消えました。けれどそのあと最初の言葉とは反対の意味に当たることを言われたので、「ごめんね」の効果はなくなりました。 残ったモヤモヤは1日経ってようやく、「その人はそのようなことを言うことがある人なのだな」と捉えられるまでになりました。この言葉は私を含めた誰にも当てはまると思いますが、このように思えたときスーッと楽になりました。それと同時に、今まで私は自分を傷つけた人の言葉を肯定しようと努力していたと解りました。こんなときは少しでも相手を肯定すると自分を否定することになって、自分が辛くなるのです。 今日のことは、心のことを勉強し始めてからのち、自分が傷ついたときどのように相手に伝えるかを試行錯誤してきた私にできたことの一つです。
いつ頃からでしょうか。私はこのような経験をした時に、私が自分よりも若い人にこのような告白をされたらどうするだろうとイメージするようになりました。誰かが私に「あなたの言葉に傷ついた」と伝えてくれるのです。私の答えは一年くらい前からだいたい一定するようになりました。 私の場合は「そんなことを言ったかもしれないねぇ」です。理由は、私は自分の語った言葉とその時の気持ちを100%覚えている確立は少ないからです。そのことが済んだことで私の動きを直接左右するものでなければ、それでいいのです。 それよりもその方が私に訴えているそのままを肯定されることで私とその方に広がるプラスを想像すると…。 目の前にいる方の純粋さに私のそれも引き出されるでしょう。肯定されることの楽は次の発展をも生むでしょう。私の心には、人を傷つけることもある自分を素直に受け入れた末の素直な自分が広がるでしょう。…このように、プラスのイメージは広がって最後はいつもワクワクしてくるのです。 もしかしたら、私にそれを訴える人は私を責めているかもしれないのに、その私はワクワクしているなんて、おもしろいなぁと思います。
肯定の先に見える心の財産が計り知れないことは、私が私を肯定することで保障済みなのです。と今日もまた、自分に出来ることを発見して、「いい感じだなぁ」と思うのです。そしてこのイメージは素直で Wonder な Mamo ちゃんにこそ出来ることなのです。もちろん、言葉を選んでていねいに語る私を育てることも私に出来ることの一つです。
お昼ご飯に、昨日目に付いたレストランに入ってみました。ところが食べ物をオーダーしてしばらくして左右の足がかゆくなりました。それから両手もかゆくなりました。よく見ると私右にも左にも蚊が4.5匹。「ひゃ〜」ということでお店の人に知らせて席を移動しようとしたらそちらにも蚊が舞っていました。 お店の人が蚊取り線香を炊いてかゆみ止めのスプレーを持ってきてくれたので元の位置に座りました。お客さんは8人居たのに刺されているのは私だけのようでした。不思議に思って観察してみると、皆さんは白い服と白い肌で窓際に座っていました。私も肌は白いですが黒と紺色の服を着て竹やぶの傍に座っていたのです。全部で10ヶ所。薬を塗ってお線香に守られてご飯を食べ始めましたが、あちこちかゆいうえに蚊はまだ私の視界に入ります。又刺されないかしらいう思いもあって落ち着かない自分に気がつきました。「食事をするということをする」ことで得られる心の満足が小さくなるのはいやだったので食べかけのまま持ち帰りにしてもらいました。 一部始終を他のお客さんが見ていたので、私は皆さんと目が合いました。 「かゆいよぉ」「いやだよぉ」「こんなに刺されたよぉ」をそのまま表現した出来事でした。
2008年12月21日(日) |
ニャチャン で カット |
今日は計画がありました。それは髪の毛を切るということです。 お店の若い女の子に 「これくらい切ってください」 と言うと女の子は 「どうして?それはきれいじゃない」と言いました。短くなればいいことですが 「どういうのがきれいなの?」 と聞いてみると手で説明してくれました。私は形にこだわりがないので「どれもいいです」 と伝えました。 切り始めてわかったのは、女の子のはさみを持つ手つきがおぼつかないことでした。切る前に髪の毛を濡らしませんし、はさみの切れが悪いのでしょうか、(あいたたた。大丈夫かなぁ??) です。 でも、私よりも上手なことは確かです。心の中で (私を練習台にしてください) と言いました。切り終わってから、右左の長さを二人で一緒に確かめました。 短くなった髪の毛を結んで海に行きました。波は今日も浜の砂を混ぜて高くしぶきを上げました。天気がいいせいか、景色が澄んでみえました。 向こうの島は今日も美しいです。でも今日は、(あっちに行ってみたい)と思いませんでした。なぜなら、島を見に行くよりも楽しみなことを見つけたからです。それに、ツアー会社を何軒か歩いているうちにすっかりその島を見てきたような気持ちになって満足してしまったのです。きっと 「遊んでいいよ」 と自分に言ってあげられたからだと思います。
2008年12月20日(土) |
Mamõ ちゃんと、おかあさん |
ご飯を持ち帰りにしてもらって帰り道のスーパーで買い物をしました。 私は今日、昨日このスーパーで買った短パンを履いていました。半パンはもしかしたら男の人のトランクスかもしれないのです。いや、きっとそうなのです。でも男の人のトランクスを女の人が短パンにするのは Mamõ ちゃんの家では Good Idea です。 買い物のあと海岸に行ってご飯を食べました。それから海岸を歩きました。今日は半パンを履いているから、いつもより海側を歩きました。耳にはIC レコーダーにつながったイヤホンが付いていました。 砂浜の上下が激しいところに来ると、押し寄せた波が隣の波とぶつかるようにして、その度にもっと大きな波しぶきが上がりました。しぶきはついに私の上半身にも飛んできて、「ひゃぁ〜」と声が上がりました。耳にかかっているイヤホンが無事だったか確認して、それから(おもしろいなぁ)と思いました。 少し歩いているうちに、本を書くより遊びたがっている自分を発見しました。あちらに見える島とかバスに書かれた行き先とか、やはりいろいろと思うのです。それで今は 「遊びたいけど本を書かなくちゃ」 になっているのです。 それがわかったら 「自分を遊ばせてあげよう」 という気持ちになりました。ちょうど丸い石を見つけたので、上に高く上げて左手で捕まえました。 右手に荷物を持っているという理由で左手なのですが外れることがありません。(利き腕と反対なのに) と不思議に思い、しばらくしてからグローブをはめていたのを思い出しました。投げる高さがだんだん高くなっておもしろくなって…。
私と空との間でくるくる舞う石を見ながらこんなことも思いました。 「今までこんなに自由に、自分を遊ばせてあげたことがあったかな・・・」 次にはこう思いました。 「もっと遊ばせてあげてもいいんじゃないかな」。 「飽きるまで遊ぼう」 このように思う私は何かに守られている気持ちになりました。意識してみるとその何かは 「おかあさん」 でした。広い海を見渡して「ふぅーん」と納得しました。でもそれは、自然に守られている感覚とは少し違いました。 それなら「おかあさんって、だれ?」海?空?山? まもなく答えがわかりました。それは私自身でした。私が自分を自由に遊ばせてあげられるようになっていたのです。私の思いは再び 「今までこんなに自由に自分を遊ばせてあげたことがあったかな」 に戻り、今度は深い満足を味わいました。
しばらくして、海岸の木の下から1メートルくらいのところまで登って座りました。(経験談ですが、高いところまで登るといつも、どこからが人がやってきて止められるのです) 木の上から遠くに見えるいくつかの島を見ながら「気になるところには行ってこよう」と思いました。私は今、あちらに見える4つの島に何があるのか知りたいのです。 10分くらい木を背もたれにしていたでしょうか。急ぎ足で家に戻りシャワーを浴びてパソコンを開きました。 思いついたことをする。浮んだことを打つ。方向が決まったら「するということ」をすることです。
夕方、海の向こうの島巡りのツアーを探しに行きました。
6時半、目が覚めたらお空が快晴でした。こんな日は目の前の海に遊びに行きたくなっても仕方がないと思います。でも、私には海に行くよりも仕上げたいことがあるので、起きてすぐにご飯を食べました。7時過ぎにはパソコンを開いて…。 そうです。「早くに作業を始めて、気温が上がったお昼ごろに海で遊ぼう」という計画です。12時すぎ、丁度いい頃飽きてきたので海岸に出ました。 天気がいいので写真を撮りました。砂浜に座って遠くの島を眺めました。それから砂のトンネルを作りました。トンネルの道は下に向かって掘っていくと壊れにくいことを発見しました。向こうの出口は過去で、こちらは未来。私は今未来に向かう道に座っています。トンネルの中に居たのはいつの時代かしらと小さななぞなぞも浮びました。
出来上がったトンネルの傍に座って波を眺めました。頭の隅に汚れ物の洗濯をホテルで頼むかどうかがあったせいでしょうか。高く上がる波しぶきを見ているうちに洗剤の泡が浮んできました。アブクの中の足を見ているうちに、足がきれいになっていくようでした。 家に帰ってから、お風呂のバスタブに石鹸を入れてジーパンをジャブジャブ洗いました。
朝6時起床。8時ごろからまとめ。 昨日は日中テレビを付けていたけれど、今日はその音を消した。 静かな空間で、「本」の未来に思いをはせると新しい考えが浮んでくる。 私は雑踏の中にいたのかな。
食事の前には海岸へ散歩。波を見ているのが好き。 外は今日もうす曇。海岸に人はまばら。 茎ワカメ色を薄めた海の色はオフシーズンの証だと、今日知った。 でもシーズン中に来ていたらホテル代はもっと高いし外もにぎやかなことだろう。 本を書きに来た私にはちょうどいい環境。
寝る前にも少しまとめの文章を読む。 「してきたことがここにあるんだな」 そんなことを思ってパソコンを閉じる。
夕方停電になったので、PC の中の電気がなくなるまでまとめをして、それから海岸に出ました。 海岸は永遠に続き、海の向こうには山がいくつか重なって見えます。こちらの岸からその山までロープウェイでつながっているようです。きっと、ロープウェイの先にはガイドブックで読んだ某ホテルのプライベートビーチがあるのでしょう。 海の色は私の乗っていた車の茎わかめ色を薄めたような色で、砂浜からでは水の中が見えません。 波は向こうのほうからすーっと寄ってきて浮かび上がって丸く盛り上がり縄跳びの縄が上から回ってくるようにして降りてきて、最後は白いあぶくになります。これは自然に起こっていて、サーフィンをする人はその輪の中に入ってて…。波と一体化したときには何が聞こえてくるのでしょう。 そんなことを考えているうちに、波の中に入っている自分が浮んで、それから不思議な気持ちがしてきました。 何と言いましょうか。自分がその波に守られているような気がしてきたのです。やがてその思いは花に草に山に空に、地球から宇宙全体に広がりました。私は無限の宇宙に生きる一つの命です。自然と共に生きています。 日が暮れて風が冷たくなっていましたが、波に包まれたあたたかさを感じました。
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