「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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この頃、自分の文章の校正や編集のことを考えています。 過去の日記を読んでみると、書いた当時はOKだと思っていたのに今は「もっとこうしたら…」と感じる箇所がいくつもあるのです。ということは、私には手伝ってもらう必要があるということです。 校正や添削や編集はたぶん技術の一つで、その技術を持っている人は世の中に一人以上居るのでしょう。 そこで、どんな人に手伝ってもらいたいかなぁを考えてみたら「私の文章に心から興味を持った人」とか「心を大切にして文章を書いている私に心から興味を持った人」いう答えが浮かんできました。世の中に、心を指先に変えて書いた文章に興味を持って「面白そうだから手伝ってみたい」と言って下さる人が居たらそのやり取りはどんなに楽しいことでしょう。もしもその方がその技術を知らないとしてもそれは私も同じですから、新しいことを二人で探す空間はどのようになるでしょう。技術を心でカバーすることもできそうですし興味の中から出てくるものは何かなあと考えるとクワクしてきます。もしもそれが子どもさんだとしたらどのような発想が出てくるのかなぁと考えると、私はまたまた無限の可能性を秘めた宇宙の世界に行ってしまいそうです。 もしも私がイメージしているように心の満足の中で本が出来上がったら、技術とは別のところで、いつ読んでもどのページを開いてもその一行に心満たされる本が出来そうです。
なんて、理想論かなぁと思ったり願えば出来ると思ったり…。一番大切にしたいのは「私は本を作るということを楽しみたいということ」です。
でーきたできた。ひとつできた。 でーきたできた。ふたつできた。 でーきたできた。みっつできた。 ほんとは ひとつだけ。でも いいのだよ。 ひとつできたら いいのだよーん。
6時起床。 布団の中で「タイプを打ちたいと感じている自分」を面白がりました。 この感覚は、理屈ではなくただ私が「そのようにしたい」。小さな衝動のような、私の中に眠っている本を書くための思考が今こそあふれ出てきそうな感覚です。 土の中から小さな新芽が出てきた感覚でもあります。私は今、自分の中から湧き出した感覚に添って動きたくて仕方がありません。
ところが昼間に2005年10月の日記を読んでみたら・・。
「書く」という作業をするときは「話す」ときとは違う部分を使っているようですし、私は今(集中したい)とか(この思考を維持したい)とか思っていて、独自の世界に入りたくなっているのです。けれど、2005年の文章を読むと当時のほうが今の私よりも心に余裕があるように思えたのです。それで、(今は大丈夫かな。ゆったりになっているかな)と自分に問いました。 今感じていることは、たとえば私が一つ目の本を書くためのある一定期間のために集中するということなら、この思考を維持し続けることは出来るでしょう。でももしも私が物を書く人として生きる自分を育てているのなら、今の意識では長く続きません。これは今の感覚から感じ取った小さな確信です。嬉しい気付きを経て、心はそれまで以上に自由になりワクワクが広がりました。
ワクワクの中で散歩に出ながらこんなことを思いました。
(頑張っても頑張った分だけだという気がする。つまり自分の力量以上のものは書けない。私に書けるのは私が体験して解った私のことだけ。 それに、背伸びをしたり頑張って集中して書いた文章で本を仕上げたら、私はその本を開くたびに背伸びをして頑張らなくてはいけなくなる。だからやっぱり、今感じたままのことを書けばいいんだね)
気になっていた田んぼの小道を歩いていくと公道に出ました。その公道がいつも通っている道だと気付いたときには「フフッ」と声が上がりました。 傍に用水路のようになった川があって流れる水が透き通ってきれいです。川沿いにも小道が、今通ってきた道と同じようにずーっと向こうまで続いています。 (明日はこの先を行ってみよう)と、昨日の夕方と同じことを思って今来た道を戻りました。
最近日記を更新していないから、何か書いておいたほうがいいかなぁと思いつつ、書かずに日にちが過ぎました。 実は、2009 年になってからの心の様子は、もうすぐ開かれる本の中身に移行したくなっているのです。
夕方の散歩道。 Cuchi の夕焼けは、大きなヤシの木の間を縫うように見えるオレンジ色の空に背高の大きなヤシの木をさらに大きく浮き立たせ、NyaTrang の海岸で見る夕焼けとは違った世界を演出します。どこかまで歩けばあの夕焼けに手が届くかしらと、子どものような発想も浮かびます。 そういえば数ヶ月前まで、感銘を受けたものはすぐに写真に収めていましたが、今日は時間を追って色濃くなる景色をただ眺めて満足している自分に気が付きました。それで、いろんなものを写真に収めた自分は何故かなぁと問いました。その理由は、私は美しいものや心に響くものはすぐに、私の前から消えてしまう気がしていたからでした。 自然はいつもそこにあるのですよね。そして今日の私になれたのは、過去6年間ある日は青い空を見ながら又ある日はオレンジ色の夕焼けを見ながら、「今はもう私から私を奪っていく人は居ないよ」と心にしみこませていたからだと思います。私の感覚がそのようにすることを望んだのです。 家に着いた頃、辺りは真っ暗になりました。空には半月と金星が輝いていました。
帰宅日の朝は豪雨の音で目が覚めました。カーテンを開けると、外は前の民家が倒れるのではないかと思うくらいのすごい風です。けれど幸いにも雨は小降り。7時にホテルを出て乗り場まで歩きました。 新年の朝、バス乗り場に集まった人はみなさん旅の人。旅人は1年の始まりも普段と同じことをするようです。私も人生の旅人として普段と同じことをしています。 バスが走り始めて出入りした何軒かのレストランが見えると、いくつかのエピソードを思い出しました。 (蚊に刺されたなぁ。あのお店ではスープを持ち帰ると言ったらビニール袋に入れてくれたなぁ。あのお店のお兄さんは道端ですれ違ったとき私の名前を呼んでくれたんだ)。思い出すのはどれも楽しいことばかりでした。 バスは宿泊したホテルの前も通り過ぎました。ホテルでは小さなハプニングがいくつかありました。言いたいことが伝わらなくて泣きそうになったこともありました。 昨晩ホテル経営者の女性が「人々がいろいろ言って悲しかったでしょ?」と私に言いました。私は「だいじょうぶです。どんなことも私の人生の勉強です」と答えました。 ありのままの自分を生きることが出来たからでしょうか。ニャチャンはもう、私の新しい故郷のようなのです。窓の中からベトナムに出来た新しい故郷に(又ね…)とあいさつしました。
バスがニャチャンから離れた頃、心は「対」ということを考えていました。 昨日は自分と他者を並べて「対」を考えました。今日はそれとは違う形が浮かんできました。違うのは対象が自分になっていることと、私は自分と「対」であればそれでいいのかもしれないということです。 自分と「対」であるということは、心の中の自分と外の自分が同じであるということで、つまり 「ありのままの自分」 ということだと思います。このような発見は昨日よりもしっくり私の心に馴染みました。
「ありのままの自分」を探求しているうちにこんなことにも辿り着きました。 それは“私はこの頃誰と話をしていても同じ自分のような気がする”です。 「42歳日本人。今ベトナムで心の本を書いている。離婚した。子どもが4人日本に居るよ。もうすぐ日本に帰るの。滞在?1年。又来るかどうか?分からない。理由? いろんな国を見てみたいから」 私は少なくともベトナムに来た 2008 年の2月から誰に聞かれても同じことを語っているのです。そして、私はそんな自分を知っているのです。もしかすると、このようなことを自分が一定していると言うのでしょうか。
浮かんでくる思考と相談しているうちにバスは休憩地点に着きバスの外に出ました。足元には珊瑚礁のかけら。私は「ファンティェット」という町の砂浜に、生まれて初めて足を下ろしたのです。 視界には透き通る青い海 「カーナ海」 が広がりました。 心には 「アイデンティティー」 という言葉が広がりました。
今日は Nhatrang に田舎がある女性の友と会う約束があったので、いつもより早起きしてまとめをして、それから彼女と会いました。ベトナムに来てすぐの頃に2度会ったきりでネットを通じて話はしていましたがお顔を見たのはほぼ8ヶ月ぶりです。 彼女は日本語が少し話せるので私も楽に話が出来ました。彼女は私の日本語を一生懸命聞き取ろうとしていました。私も彼女の目を見て言葉を選びながら語りつつ、自分よりも力の小さな人に合わせようと意識することが出来ている自分を見て安心していました。安心の理由は、そうしている自分は 「人としてやさしい」 ように感じたからです。 そのうちに 「対」 という言葉が浮かびました。私は自分よりも力の小さい人と会話をするとき、私がその人の語ることに合わせることが出来て、その人が自分を語ることでご自身の言葉の面や心の面を深め、それらが彼女の心の満足につながるとき、私達は育ちあっているような気がしました。そして私はその人と私との年齢や性別や持っているものの違いを降ろした世界で「対」を感じることが出来ると思いました。 うまく言えないのですが生きるのに不必要なものを全部降ろして 「人として対である」という意味でいいのでしょうか。それはもちろん私の中にこの上ない心の満足として浸透するのです そういえばいつ頃のことか忘れましたが、あるとき 「力の小さい人が生きやすい社会が広がるとやさしい社会が出来る」 と感じたことがありました。 今、たまたま日本で生まれた私と外国の人との心を通した橋は、私の中で4つになりました。それらは心を基準にして生きる私の 「楽」の中で自然に出来た橋だと思っています。 本 『インナーチャイルド』 に 「人と人とを結ぶ橋は母親との関係の中で作られる」 というようなことが書かれているのですが、心の勉強を始めて間もない頃は「私にはこの橋がない」と悲しい気持ちになりました。でも今は、私の心を大切にしている分だけ、橋が出来ていると思えています。これからも増えていくといいなぁと思っています。
明日はサイゴンに帰ります。耳を澄ませば波の音が聞こえてくるこのホテル。寝付けない夜は、子宮の中で眠ろうとする私を手伝っててくれました。
今朝は雨の音で目が覚めました。 朝食を済ませファイルを開いて「こんなこと出来たら便利だなぁ」の思いで Word の勉強をし始めたら、あっという間にお昼になってしまいました。 お昼は運動と食事を兼ねて1時間くらい歩きました。でも料理が出来るのを待っている間に本のことを考えていたら早く帰りたくなって、帰りは急ぎ足で帰りました。 午後、再びパソコンを開いて言葉探しに辞書を開いたら、又あっという間に夕方になりました。 夜は、連絡を絶っていた姉に家を出てから初めて出した手紙を読み直しました。 家族の関係を絶つということをした自分を「そうしたのは何故だろう」とか「そのあと何をしてきただろう」とかの答えを改めて探すように、姉と居た頃の様子を思い起こしました。 パソコンを閉じたとき、時計は23時を回っていました。今日もまた一日があっという間に過ぎました。 布団の中で(日々の景色は通り過ぎる風のようだと思いました。それから(ベトナムで暮らした10ヵ月も、心のことをしてきた6年間もあっという間だったのだ)と思いました。それから、その中で日々新たな発見を重ねてきた自分に満足して部屋の電気を消しました。
「自分に一番やさしく生きる方法」とは、自分を他の人と比べたり自分のことを社会の基準に当てはめて判断したりしないことだろう。自分を飾らずあるがままをそのまま認めることだろう。 例えば外国の人に話しかけられて緊張することがある自分。英語で会話するということに慣れていないのだよ。そんな自分も大丈夫。そのままを語ればいい。 「外国の人と話をするのは慣れていないから緊張するの」って。
会話するのに緊張した自分と数日の出来事を振り返って思う。 私はまだ受身で生きているのではないかなぁ。「自分は今こう思っている」とか「自分は今こうしたい」とかを上手に表現できない大人なのではないかなぁ。 海や空と会話するときにはいつも私が主体なのに、人々と会話するときには少し違ってくる。 傷ついた自分が残っていることは理解しているけれど、具体的に何が私を受身にさせているのだろう。 もっと素直に心の声を言葉に出来たら、どんなにステキなことだろう。いつも誰にも心のままを語れたらどんなに自由なことだろう。 私はもっと人々との関わり方を勉強したい。いろんな人と自分を主体にした会話が出来る大人になりたい。 それなら、なりたい自分になれるようなアイデアを探そう。なりたい自分になれるように勉強しよう。 そうだ。これは私の成長途中なところのひとつだったんだね。そしてこれから出来るところの一つだったんだね。 こんな気付き嬉しくて「気付かせてくれてありがとう」と自分に語った夜。こんな取り組みも自分に一番やさしい自分を生きるための技術の一つになる。
2008年12月28日(日) |
Mamõ ちゃんにいいこと |
今朝は6時前に1度目が覚めて、隣の人の声で2度目に目が覚めて、3度目に目が覚めたとき9時でした。こんな時は頭の回転もいつもよりゆっくりです。 まとめの最中には、日々の出来事で感じていることが浮かびました。気になることがあるとまとめに集中でないことに気が付いたので一つ用事をして、それから再び自分のすることを意識しました。 今の私が感じる「私のいい状態」とは、「自分の中からつなぎの文章につながる発想が自然に湧いてくる状態の私」なのです。
帰国が2ヶ月を切って、日本に帰ったときのことが浮ぶようになり、先日ある人と「人生の色」という話をしました。 私がもし本を出す前に子ども達に会ったら。 それは、今ではすぐにも出来そうなことですが、それでは私の人生の色濃さが変わってくるということです。
日本を離れる前子ども達からの手紙が来たとき、その喜びは階段を踏み外すほどでしたが、「本を書いてから会う」という選択肢は変わらずありました。その後、出発までに感情の中での幾度もの迷いを経て、最終的には私の心の声に添って動きました。 このようにすることがいいのかどうか分かりません。でも私の心がそうしたいと言っていますから、私は私の心の声に添うのが一番いいのです。
11時ごろから外出。今日は、ニャチャンの観光地の一つになっているダム市場まで散歩する計画を持っていた。 行くとき (シクロに乗ろうか) と思ったけれど歩いてみたら近いもの。街中を歩いて40 分で着いた。 市場の入り口あたりは両サイドから円を描くように小さい商店が並び、その真ん中に市場本体があって一見 「ドーム」 のよう。店先に腰掛けている売り子さんたちはベンタイン市場のように声をかけてこない。ドームの中は2階建てになっていて上に上がると全体を見渡すことも出来た。品物の値段は、私のガイドブックには通常の3倍と書かれていたけれど、私の見たところではそのような印象は受けなかった。 帰りは雨に打たれながら海岸を歩いた。雨粒は大きくて強かったけれど雨も海も同じ水だと思うと気にならない。いつもより茶色い波をざぶざぶけって歩いた。 昨日人々が掘っていた1メートルの穴は、今日はもう50 センチくらいに縮まって、大きなヤシの木が一本、私の通り道を塞ぐように横たわっている。 砂浜はいつも、前の日とは違う形になる。ううん、砂浜だけではない。自然はいつも前の日と違う形になる。私達もいつも前の日とは違う形になる。 1秒先は、1秒後には今になり、もう1秒後には過去になる。
家に帰り着くとすぐにパソコンを開いた。それからこんな言葉を打った。
自分にていねいに出来るっていいなぁ。自分を守れるっていいなぁ。 自分を守れるということは、今以上自分を傷つけずに済むし、人をも傷つけないことになるんだ。 危険な目にあっても、自分を守るということをしていたらそれ以上傷つくことはないんだ。 そればかりか、自分を守ることが出来ているという能力が全身に染み渡るんだ。 なんてステキなことだろう。なんてステキな私だろう。 私は自分を守ることが出来ているんだ。すてきなMamõ ちゃんだ。 貝になってみてよかった。
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