「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2009年01月28日(水) |
Mamõ ちゃんのしていること |
過去に新聞に投稿された文章を Mamõ の引き出しに保存しようとしたら、「それは投稿の引き出しに入れるんだ」 と抵抗する自分が出てきました。投稿するということに価値を置いてきたマイナスの自分です。 ボードの上の手が止まり、どうしようかと考えたそのとき、昨日気づいたことを思い出しました。 それは 「投稿するということも、子どもの頃に心を書いた私を切り捨てられたままの傷を抱えている私が、過去のトラウマの中でしてきたことだ」 ということです。 私は思い出したことをマイナスの自分に伝えようと意識しました。ところが今日は、これまでの方法のように言葉で伝えるということにはなりませんでした。それは私の中でそのことを強く意識するというような、マイナス面を持つ自分に沁み込ませたとか浸透させたという感じです。マイナスの自分は何も言いませんでした。そして私は自分の中の変化に安心しました。
しばらくのち、私は休めた指を再び浮かして、投稿の文章を Mamõ の引き出しに運びました。
お正月2日目。近所のお店は今日も休みです。昼食を兼ねて近くの市場に行ってみると、お店は休みですが、あちこちで大人も子どももトランプゲームをしていました。それぞれ足元にお金を置いていました。 バータンハイ通りに出ると中心地に行くバスが走っていたので、1区に出てみました。 1区のベンタイン市場も休みで観光客もまばら。開いている食べ物やさんも数件です。 市場のすぐ前の屋台が開いていたのでブンボーフエを頼んだら、違う色のものが出てきました。私は外国人ですが、最近毎日のようにブンボーフエを食べているので、その食べ物のことを知っているのです。「これ、ブンボーフエ?」。お店のおばさんはうなずきました。(色が違うけど、まぁいいか)と食べてみたら、塩が濃すぎて食べられません。出てきた野菜も半分くらい傷んでいました。どうにも怪しくて食べる気持ちがしなくなったので、数口で残しました。そのようにしたのは、自分のために「この食べ物はブンボーフエじゃなくて、お客さんは食べる気持ちがしなくなったから残したよ」の小さな表現をしてあげたのです。お勘定をしましたがおつりをくれません。「おつりください」と言うと、ニヤッと笑っておつりを渡してくれました。私が「これはブンボーフエじゃない。そうでしょう?」と言ったら、おばさんはもう一度ニヤッと笑いました。 花市場を歩いてサイゴン川を見に行きました。サイゴン川に着いたら川岸の船着場からブンタウに向かう船に乗り込むところでした。でも人はうんと少ないです。 帰りもバスに乗りました。すると、若い女性の車掌さんが、小さいお金をたくさん持っているのに又おつりをくれません。「都会は生き辛いなぁ」と長期滞在の外国人のMamõ ちゃんが思うのは、都会に住む超長期滞在のベトナムの人々が生き辛いからだと思いました。 夕ご飯は、一昨日食べたお店にブンボーフエを食べに行きました。これは、昼ごはんのアクシデントのとき、自分に約束してあげたことなのです。ちなみに今日で3日間、ご飯のお店に行き当たらないので、ずっと麺類を食べています。だから、ブンボーフエにも詳しかったのですョ。 食事の後、1時間くらい散歩しました。お店が休みの分だけ歩道が広くて歩きやすいのです。
2009年01月26日(月) |
Mamõちゃんの百科事典 |
つなぎに入ろうと決めてから、何か落ち着きません。「つなぎって何?」 を知らないままそれを作ろうとするから落ち着かなくなるのだと思います。そこで、相変わらず思いつくことをしているばかりです。 そうしているうちにこんな疑問が浮かんできました。それは 「つなぎって必ず必要なのかな?」 です。 本にもいろんなタイプがあって、私の本は私独自のものだと捉えると、私の本につなぎがあってもなくてもどちらもいいのではないかなぁ、なんて、落ち着かない私の溜め息代わりの言葉かしら。
落ち着かなくなったときには 「出来た分でいいよねぇ」を思い出して自分に沁み込ませています。こうすると落ち着くので、この技法は大活躍しているのですが、今日はこのことに関連して面白い自分を発見をしました。それは、私は今まで「出来た分がどれくらいか」をその日が来る前にイメージしようとしていたということです。例えば今日から1ヵ月後の出来た分がどれくらいかを今想像して、想像したものを見てOKにしようとしていたのです。無理ですよねぇ。1ヵ月先の出来た分が分かるのは1ヶ月先のその日なのですから…。 相変わらず気付かないところで過去の物差しを使っている Mamõちゃんを発見して嬉しくなりました。マイナスを発見して嬉しくなるなんて不思議でしょうか。 でも、発見したから変えていける。そう思うと、やっぱり嬉しいのです。
こんな私のプラスの言葉の引き出しを探したら、日記の中だということになりました。それで、1年前の日記を読んでいたらいろいろな思いが浮かんできて、夕方には(この日記をそのまま本にしてもいいんだ)という気持ちにもなりました。例えば6年前と今が○○ページと○○ページで比較出来るなんて、Mamõ ちゃんという人の百科事典みたいです。
今朝、昨日約束した貸し家に着いたら、先日聞いた部屋とは違って3畳半くらいの狭い部屋。そこにベッドがあって窮屈に思えた。ところが、1ヶ月暮らすかどうかを悩んでる私には丁度良い状況。1週間だけ契約した。 テトのため、明日は近所の食堂が休みになるらしい。今日開いているお店も数件。私も食料を買っておこうとスーパーへ行った。 入り口で、持っていたヘルメットを駐輪所に預けてと言われた。ところが預ける場所に行ってみると人がいない。お店のカウンターに戻って「人がいない」と伝えてもここではだめと言われるばかり。頭にかぶって入ろうとしてみるけれど、ガードマンに止められては入れない。駐輪所に戻ってもカウンターも同じ状況だった。そこへベトナムの人が来て怒っている。「ヘルメットを預けるのにお金を払うなんて…」と言っている。その人は怒ったまま帰ってしまった。 (なぁんだ、私もお金を払わないと思われているんだ)と納得。でも私は買い物をしなければ明日困るだろう。カウンターの人に「あっちに人がいないよ」ともう一度言ってみた。最後は英語になったら、英語を話せる人がやってきて、私のヘルメットを預かってくれた。 夕方、ご飯を兼ねて散歩に出た。お米が食べたかったので数件の麺類食堂を通過した。でも向こうに見える道も暗い。やっぱりどこも開いていない様子。通り過ぎたお店に戻ってブンボーフエを食べた。値段はいつもの倍額だった。 散歩から帰ってきたら隣の部屋が大音量。「音を下げてください」とお願いすると、その人はうつむいたままドアを閉めた。私もうつむいてドアを閉めた。環境は自分で整えてあげること。場所を変えたほうがよさそうだから、どこへ行こうかと考える。けれどこの時期はホテルも食べ物も高い。ベッドに寝転がって(都会に出てくる時期を間違えたんだなぁ)と反省。でも、これも動いてみて分かったことだから、旅の収穫にしようと切り替えた。
夜9時半、歯磨きをするのに廊下に出た。用を済ませて部屋に入ろうとしたら…ドアが開かない…。きっと、無意識に鍵を閉めてしまったのだろう。手に持っているのは1本の歯ブラシ。服は寝る直前のスタイル。3階から階段を駆け下りて、1階に住むお手伝いさんから大家さんに連絡してもらった。 大家さんが来るまで階段に座って物思いにふけった。待っている間、部屋の中で携帯が鳴る。電話はしばらく鳴り続け、切れてももう一度鳴る。きっと大家さんだ。でも私は電話に手が届かない。 どれくらい経ったのか、大家さんが来た。時間は夜10時半。「ごめんなさい!」と謝って鍵が開くのを待った。しかし、大矢さんが鍵をまわしてもドアが開かない。 ムムム?? 二人で顔を見合わせた。 あれこれと試した結果ドアノブを壊してドアを開け、部屋に入れたのは11時半だった。でも、入れてよかった。 ベッドに寝転んだとき、この上なく安心した。
いろいろとある都会。これも旅のエピソードになる。
朝起きたらのどが痛い。風邪を引きました。 朝から引越しのための片づけをしたので、9時ごろ、朝食を取りに家族と外出しました。帰りは友人と妹さんは遊びに行く様子なので、私はお母さんのバイクに乗りました。ところが、お母さんは市場に寄って正月用の買出しをして家に着いたらお昼になっていました。 午後は引越しの荷物の整理などをして、夕方サイゴンに家がある友人のバイクで中心に向かいました。今回は友人のバイクの前にスポーツバックとトランクを積んで私と友人の間にリュックとパソコンを載せて、二人ともバイクの上で足を開いた状態。少ない信号で止まったときには足の体操をしました。
今日はテトの始まりの日で、ングゥィン・フェ通りは人民委員会の建物の前からサイゴン川に突き当たるまで花市場が設置されています。今夜は友人と市場を見に行ってきました。人とバイクが道を塞ぎ、人の頭を見にきたみたいでしたが、合間を塗って見る花はきれいだったので写真をたくさん撮りました。時間があれば載せられるのですが…。
2009年01月23日(金) |
いつか一人になれたなら |
ついつい自分とけんかしちゃう。だって、私の邪魔をするんだもの。 どうすれば自分と仲良くできるのかな。 そっか、どんな自分もそのまま受け入れればいいんだね。 自分のことを嫌っていたら、「もっと好いて」と自分が言うよ。
出来ればいいなぁと思うより、きっと出来ると思っていたほうがいい。 私の目標は「いつか一人になれたなら」。 どこまで出来るかやってみよう。
今日も一日裁判のところのまとめ。ノートに書いたものを拾い出して時間が過ぎました。 ところが夕方になって(何か変だ)と思いました。今日は人々と話をする心の余裕がなかったのです。気がついたときには夕方。今日も早めにパソコンを閉じて散歩に出ました。
あぜ道を歩きながら考えました。 自分は今、つなぎのためにすればいいことを思いつかないから裁判のことをまとめている。しかし、一生懸命になってしまった。ということは何かが間違っているということ。 裁判の時の心の傷が残っているかなと自分に問うと、そうではないよと感覚が知らせてくれました。単なる完ぺき主義だったのです。 ですが、私はもう、出来た分で本を作ればいいことを知っているのにどうして完璧にしようとするのかと思いました。すると、その理由は数日前に 「このような構成の本にしよう」と決めたことから始まっていました。つまり「そうするためには、あれとこれが必要で」、その必要なものを作ることが、本を作るための条件になっていたのです。 それなら何をすればいいかなぁと案を練って、明日からは今ある引き出しを見直す作業をすることにしました。
私はすることを間違えたのでしょうか?! いいえ、してみて分かったことだから、これでいいのです。自分の体験に基づいて感じたことは、人生を生きるための術として細く長く私の中で生き続けるのです。
夕食の後、友人の家族に Cuchi 市場近くのロータリーに遊びに行こうと誘われました。 ここでの生活もあと3日なので、行ってみることにしました。 ロータリーでは、お正月用の電気の飾り付けがされて、迎春花や植木鉢の出店が並んでいました。飾りも売り物もきれいです。人々はみんな楽しそうです。 けれど私はすぐに飽きてしまって、(私の求めているものは人々とは違うなぁ)と思いました。 帰りのバイクの上で空を見上げたら空一面に星の世界が広がっていました。走るバイクの上から見ているせいか、星空が回転しているように見えて、まるで一人で違うところへ遊びに行ったような気持ちになりました。(自然はいつ見てもいつまで見ても楽しいなぁ)と思いました。
テーマに分けて振り分けをしていたら面白くなってきて、あっという間に夕方になりました。 何も出来てないとかまだまだ成長していないとか思っていたけど、出来ていることはたくさんあって、出向いたそれぞれの社会でプラスの足跡を残してきた私がいたのだね。それが分かって安心した。
今日の夕ご飯は「おかゆ」でした。さらさらのお粥の汁の中に、小さいけど生き物の足の骨のようなお肉が入っていました。これは牛や豚や羊ではありません。尋ねてみると、それは「ウサギのお肉」でした。歯ごたえも味も牛や豚と同じでした。 ちなみに先日、犬の肉が出てきましたが、こちらは食べられませんでした。食べてみればたべられるのかもしれませんが、食べてみたくなってから口に入れるのが一番おいしいと思います。食べ物も振り分けです。
夕方庭に出たら、友人のお母さんがバイクで何処かへ行くところでした。 「どこに行くの?」 「あっち。Mamo、行く?」 「行く行く」
行き先は分かりませんでしたが、面白そうなのでバイクの後ろに乗りました。
バイクは家から10メートルくらい走ったところであぜ道の中に入り、そこでお母さんが「着いたよ」と言いました。 乗り物に乗るにはあまりの近さに不思議に思っていると、お母さんがあぜ道の奥にある田んぼを指差しました。見ると、薪木が束になっておいてありました。 お母さんは薪を運ぶためにバイクを使ったのです。
私も薪を積むのを手伝いました。(力仕事を手伝うと運動しなくていいなぁ)と思いました。 帰りは、私はバイクに乗れないので家まで走りました。 3回往復した頃、日が暮れて仕事も終わりになり、お母さんと二人で「楽しかったぁ・疲れたぁ」と歌いました。 普段と違うことをして、本当に楽しかったです。
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