「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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昨日と今日、2日間続けて「パソコン事件」が起きました。何があったのかというと、パソコンが「プチン。キュ〜ン」と気弱な音を立ててそれと同時に電源が切れたのです。「キュ〜ン」の音は画面が消えていく足音のような感じ。保存していないデータは全部消えます。音がしたとき、思わず「あーーっ!!!」と叫び声。「あ」に濁点が2つ付きましたョ。20分くらいで回復しましたが、ファイルはありません。昨日は2時間作業した分が消えました。「こまめに保存したほうがいい」と反省して、今日はボードを打つたびに保存をしました。ところが…途中で30分くらい、その作業を忘れてしまったのです。気分よく指を滑らせているそのとき再び「プチン!」。「ひゃあ〜っっ!!!」「何でぇ〜〜」とその場で両手でグーをして子どもが「いやだいやだ」をするように振りました。面白かったのはその後の自分です。 私はパソコンを本体が冷えやすいところに移動させ、それから何も考えずに冷蔵庫を開けて果物を洗っているのです。(あれ?)と思いました。たぶん、ショックの気持ちを「食べるということ」に変えようとしているのでしょう。面白い代替行為だなぁと思いました。それから(いつもこんなことをしていたのかしら。カロリーの少ない果物でよかった…)と、のんきなことも思いました。そのあと、待機状態の黒い画面に向かって「残ってる? ない? たぶんないでしょう?」と話しかけたり、「うぇ〜ん」と言って、わっしょいのポーズをしたり狭い部屋の中を歩いたりしていました。そんな自分を見て(ショックを体で表現しているなぁ)と思いました。しばらくするともう一度(あれ?)と思いました。なぜなら、言葉と動作のわりには心の衝撃が小さくて「また、やっちゃった」と気楽に思っている自分を見たからです。 15分後、パソコンは回復しました。再開して第一に「プチン!」を防げるよう、1級上の対策を練りましたョ。
大学で知り合った空港の近くに住む女の子が帰国する私にお別れを言いに来ました。手作りの小指サイズの星を箱詰めして 「プレゼント」 と渡されました。手作りの星は、お金を使っていただくよりも気楽に感じられました。帰国を知って、いろんな人がお土産を持ってくると言ってくださいますが、私は 「荷物がいっぱいなので」 と言ってお断りしています。時には 「日本の人にお土産を買った?」 と尋ねらることもあります。そんなときは 「私はお土産を買わない人で、私の友達はお土産がなくても大丈夫な人です」 と答えます。女の子は 「帰る前にどこどこに行こう」 と誘ってくださいましたが、優先したい事があるのでお断りしました。 別れたあとにメールが来て 「どうしてあなたに会いに行ったか分かる?」 と私に問いました。 「分からない。どうして?」と尋ね返すと 「私も心のことを勉強するのが好きだから」 と返事が来ました。私が自分の心を大切にしていると、私の周りにもご自分の心を大切にする友人が集まるのですね。ベトナムで出来た友人の殆どは、心を語ることの出来るお友達です。
2日間ネット回線がつながりませんでした。それでも作業は出来るもの…。今は、目が開いている間は95%本のことをイメージしているような状態。あとの5%のうちの1%は帰るときの荷物や日本に帰ってからのこと。もう1%はご飯とトイレと人々との会話。もう1%はお散歩。もう1%は時々迷い道に入る。最後の1%はお休みタイム。1%で平均7時間眠っています。 今日は散歩のとき、2年前に泊まったホテルのオーナーに会いました。(あれ?!)と思ってみていたら、相手の方も同じように私を見ています。「私のことを覚えていますか?」と聞くと「少し」と言いました。「どうしてベトナム語を話せるの?」と言うので「少し勉強しました」と言いました。その私の視界にお顔なじみの別のホテルの人が手を振っていました。健康な思考で生きているといろんなことが楽しいのです。健康な思考というのは、自分のことを一つや二つのことで束縛せず、いろんなことをさせてあげるようなアイデアが浮かんでくることかしら。
テレビで、「桂離宮」のことが流れていました。その建物で使われている柱。その木に出来る天然のしわは100本に1本あるかないかの貴重なものだと言います。だから、価値があって値段が高いそうです。私はクチの友人の家を思い出しました。自分の家を作るのに庭の大木を切って使った友人の家族。人々が自然のものを自らの手で伐採し日にちをかけて作った家。家を作るための道具として、そこに使われている木と桂離宮のそれのどこかに違いがあるのかしら? 高価になって人々の手が届きにくいものになってしまうものとは、それは本当に人々にとって貴重なものかしら? 私が大切にしたいのは友人の家の木だなぁと、つい1ヶ月前に寝起きした木のぬくもりを思い出しました。
お散歩。今日は道に、花束を売る人が並んでいます。今日は何の日?と考えていたら、2日前にベトナムの友人に聞いた話を思い出しました。今日はバレンタインデーという日なのです。私は興味がありませんから、花を眺めて通り過ぎます。この国の人もこれらのイベントが全て、商業の世界に私たちの心を満たすと思わされていることに気付くといいなぁと思います。 大きな電気屋さんに入ってみました。お店の中はヤマダ電機の作りと同じです。大画面のテレビが並んでいます。(これを買う人が居るのだなあ)と、路上で暮らす人々とこのテレビを買う人々の層が頭の中で並びます。以前住んでいたクチ県では、テレビがないお宅が多いので、朝晩は公共のラジオが町に響いていました。 私が前回宿泊していたホテルは12畳くらいの広さで、テレビは14インチの小型テレビ。部屋の隅に置いてありました。ベッドに寝転がってテレビを見るとき(画面が小さくて見にくいなぁ)と思いました。4畳半部屋に大画面のテレビは見づらいですから、大きなテレビを買いに来る人は大きな家に住んでいる人だと思います。大きな家に住むと、それに見合うものがほしくなる。大きなものは持ち運びが不便です。私はバックパッカーを目指してよかったなぁと思いました。 夕方、家賃を10日分払いました。10日で110ドル。光熱費と掃除込みでこの値段ですから安いと思います。
昨晩布団の中で、Mamoってどんな女の子かなぁと考えた。Mamoは好奇心の世界で生きる女の子。素的そのものです。 そんな私はいつも楽しい。まとめも簡単なところからしていくと、それが持続できているという能力になって少し難しいところもしてみようと思えるようになるのだね。あとどれくらい出来るかな。どこまで出来るかしてみよう。
時計の針を見ていると面白い。一秒一秒間違わずに前に進む。Mamoが天使になって針の先にくっついていたらどうだろう、なんてことを想像する。Mamoちゃんが針と一緒に前に進む。いつもニコニコして、世の中を笑顔で眺めている。一秒先に動くたびに体がぴょんと揺れるかな。針が時計の下に来たらどうするのかな。両腕で針につかまるかな。それから、滑り落ち防止に足も絡めるかな。そんなときも、きっとニコニコしている。Mamoは天使だから背中に羽がついてる。 いつも一秒ずつ、自分に素直に生きよう。
心が落ち着いた日。自分の心を丁寧に見るといいのです。私に一番必要なことはこの作業。その積み重ねが、次のことが出来る自分につながっています。 いろんなことは練習しているうちに出来るようになるものでしょう。あることが出来るようになるためには、そのことが出来るようになるだけの作業と時間が必要なのです。それで今はその準備期間。 ところで今日は日本の研修生さんだった女性と久しぶりに話をしました。嬉しかったです。女性は「私も心の傷を癒やしています」とベトナム語で言いました。私も、いつも同じ。そしてこんなときにはいつも、心を表現するベトナム語をもっとたくさん知りたいと思います。 心のことに付いてのベトナム語をベトナム料理の名前を覚えるよりも早くに覚えました。ちなみに、最も多く知っているベトナム語の食材は野菜。いつも興味を持てたところから広がって、これからも増えていくと思います。 外に出ると、通りの人に声をかけられます。今回は一つの通りでホテルを3つ引っ越して、それ以前に利用したところもあるので顔を知っている人が増えますし、よく歩くうちに目があって、挨拶するようになったりもします。知っている人が増えていくのも嬉しいです。 もうすぐ日本に帰るので、こちらで出来た友人が会いたいと言って連絡を下さいます。昼間は本書きを優先したいので、夕ご飯の時間に会えたら嬉しいと伝えます。最後に同じことを言います。それは「私たちは いつも 自分の心を 一番大切にして 暮らしましょうよねぇ」です。
昼間銀行に行った。滞在期間は17日。ベトナムドンが丁度良く終わるように一番少ない金額を降ろした。帰国日までをカウントダウンしている自分を見て思う。このカウントダウンは不必要な気がする。なぜなら、続きがあるということを思えば帰国する日も経過の中だから。 とはいえ期限があること。何が残っているのか確かめたら「仕事の引き出し」ということになった。私は相変わらず、一つの引き出しに絞って進めるといいのか、引き出しを揃えるということを優先すればいいのか迷いの中に居る。引き出しは一つ一つ丁寧であることが前提。けれど期限がある今、誤字脱字を探したり文章を並べ替えたりする作業は引き出しがあってから出来ることのような気もする。 ということで、今日も思いつくことをしている。アイデアはいくつも浮かんでくる。浮かんだアイデアという引き出しを見て、あと二つ手があればなぁと冗談のようなことも思う。 昼に外出したときには買いたかったものを買った。それは「足バトミントン」(本当の名前を知りません)。羽子板の羽のようなものを足の甲で打つ遊びでベトナムの人は自分の後ろに来た羽を足で打って返す。上手だなぁと感心する。いつかしてみたい遊びだった。 夕方はそれをもって公園に行った。練習していたら小学校低学年くらいの男の子が来て、して見せてくれた。上手。なりたい自分になるためにはそれができる人を見習うといい。時間を忘れて遊んで心も体も喜んだ。 夜、トランクの中を整理していたら子ども達の手紙があった。4人の子の母は、一番始めに届いた手紙もベトナムに持ってきた。 時間を忘れて読んだ。あとから届いた一番下の子どもは、私が家を出るときに渡した手紙を持っていると言う。まだひらがなを知らなかったあの子にも手紙を書いたんだなぁと、その自分を思い出したくて、自分の中から探し出す。心の引き出しを開けるのに時間がかかるくらいに、必死だったあの頃。当時の自分の文章をもう一度読んでみたいと今思う。 会いたい気持ちが湧いてくる。それがかないそうな現実が近づいていることに落ち着きをなくす自分も居る。それでも対面する日の映像が浮かんでいる。 「会いたい」という気持ちは何かなぁと自分に問う。 寂しくなったのだろうか。でも、寂しいから会いたいというのは変だよ。それに、親が寂しくなったからと言って子どもに会いに行ってはいけないョ。 改めて、いろんなことは経過だということを自分に意識させてトランクを閉めた。
一日の終わり。やっぱり今の動きがそれでいいのか気になる。つまり一日中気になっている。私は今、本作りを楽しむ余裕がなくなっている。それで、今ある引き出しをノートに上に書き出してみた。あれとこれと…その中身は、すぐに編集を依頼できるものと、途中だけどいいですか?のものと、集めただけなのです、が並ぶ。つなぎの意味は分からないままだから、単純に引き出しを並べた本のイメージが湧く。そうしているうちに、これもあったらいいなぁが浮かんでくる。もっとていねいに時間を使っておけばよかったなぁと反省も浮かぶ。しかし、今まで出来た分が今までの私に出来た分。明日も楽しむ自分を意識しよう。不安になったときにはその原因をとりのぞけるように動けば大丈夫のはずだから。
今日は、預けていた荷物を取りにクチへ行きました。友人はいなかったので、別の友人に連絡して手伝ってもらいました。 その友人と食事をしていたら、宝くじ売りの人が数人来ました。一人目のとき、友人が「要らない」と言いました。それから「日本にもある?」と聞いたので「あります。でも私はしません」と言いました。友人も「私もしません」と言いました。 二人目の売り子さんが来たとき、私が「私はそれは嫌いです」と言いました。すると友人があとで「嫌いということは言わない方がいいよ」と言いました。私が「どうして?」と聞くと「もしも怖い人だったら…」と言いました。私は「あの人は怖い人じゃないと思います」とか 「それなら手の平に書いておいて、人が来たら手を見せます。何人も来るから、両手に書いておきます。そうしたら、一度に二人来ても大丈夫ですよ」 とか冗談のように言いましたが、そのあと「言いたいことを素直に言えるのが一番いいです」と言いました。友人がその私の言葉を受け入れてくださったので、私たちは心の話になりました。 私は「人々は、嬉しいときや楽しいときは人に伝えますが、悲しいことや嫌なときは伝えられません。それでは心がかわいそうです」と言いました。 友人は「そうです。ベトナム人も同じです。ストレスになります。私はよくラジオで心の勉強をします。言いたいことを言うとき健康。反対は病気になります。Mamõ の本は心の本だから、それを書いてる?」と言いました。 「はい。そればかり書いています」 「日本に行ったら Mamõ の本を買いたい」 彼女は元研修生さんで、帰国後に日本の男性と結婚されたので2,3ヵ月後に名古屋に戻る予定なのです。 「私は読めないけど、旦那さんに読んでもらいます。Mamõ いい?」 ベトナムで私の書く本のその内容に興味を持って読みたいと言って下さった人は初めてなので、嬉しくなりました。それから、心の話が出来る人が一人増えたことも、それが日本で続くことも喜びました。 折に触れて心を語ってきた一年間のことを思うと、私には国境や国籍という言葉は浮かばなくなりました。きっと、世界中どの国に住んでいても同じことが言えるのでしょう。
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