「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2009年03月22日(日) 楽しむコツ

 昨晩育成会のテープを聞きなおしてみたら、能力のリストの取り込み方を知らない私になっていました。どうしてか、その理由はわかります。今日は能力を何回も染み込ませて浮かんでくることを活用しました。でも、私は今がこのような私であることを知りましたから、これから成長出来ます。自分を信頼出来るようになってよかった…。
 テープの話に戻りますが、自分の語りを聞いて、去年よりは頭で整理して言葉にできるようになっていると思いました。でも、まだ「よく語ろう」とする私が居ます。だから「えっと…」が出てくるのかな。私はもっと「そのままの自分」を語りたい。そのためには、能力を全身にみなぎらせ自分を感じられる自分を意識して、ありのままの自分を楽しむことです。
 夕方雨が止んで気温も高かったので、軽い素振りをしました。ベトナムにいるとき腰で降ることが体に浸透したようで、約2ヶ月ぶりなのに「ブン!」と音がしました。
 夜はお笑いのDVDを見ました。活字を探す一日の終わりの頭休めのつもりです。頭が喜び笑っている自分にジーンと来て「なぜかなぁ?」を見ていたらチャイルドが出てきました。自分の動きに好奇心を持ってよかったと思いました。こんな私、お目目を輝かせて生きているのが解ります。いつも自分の人生を楽しむコツは能力のリストを全身にみなぎらせることです。


2009年03月21日(土) ビギン

 又自分を走らせていました。私は「何かをする」ということに、すぐに嵌り込むのです。「寝る前に本読みを」は「目を閉じるまで文章を」になって、今思えば、目が開いている間ずっと、浮かんだ思考の全てが一度にフル回転しているようでした。昨日と今朝は、夢うつつなのに本のことが浮かんで目が覚めました。「ちょうどいい加減」の感覚がなくなって、自分を見るということも思い出せませんでした。やっと今朝、混乱する原因を探して自分のしやすいように動かし、落ち着いたところです。
 話は変わって人格のことを書きます。私はこのままで居ると「統合」という結果を作ってしまいそうです。 
 私は、心の傷を癒やした結果の「優合」になりたいのです。
 ある人は「その人格の傷はその人格だけが癒やせる」と言い、私も同じ考えです。それから、私の過去の人格の数人は「現実に出られた分だけ自分に気付き、傷が癒やせる」と言いました。過去の記録を見ると、確かに現実に出た時間が長い人格は自分を見て成長しているので、私はその言葉は正しいと思いました。けれどもそれでは、「プラスの私が現実を生きる」ということと「中に残る人格がその人格自身の傷に気付く」ということがつながらず、「他の人格が傷を癒やせるようにするにはどうすればいいの?」が残ったまま。私は昨年の夏から、このことを心の隅に残したまま過ごし、長く持ってきた「優合出来る」という未来像は少しずつ遠のいて、自分のしてきたことの自信が小さくなっていました。優合する「術」が無いかのように感じたからです。
 でも、今日、ある人の言葉と過去の人格の言葉はつながらなくて当然だと思いましたし、過去の人格が語る言葉は「過去の中で語っている言葉」だから、間違いだと思いました。それに、私に能力があれば他の人格の傷が見えるかも…と、こんな予想ができるようになりました。本当にそうなれるように、いつも能力を細胞の一つ一つに染み渡らせます。
 「独りを生きるってどういうことだろう」と自問します。何があっても自分を手伝う自分を生きたい。「独り」をテーマにすると、例えば育成会という場所も私の人生の通過点だなぁと改めて思います。それに、私は自分の命の力で生まれてきたのですから、いつも独りを生きていけるはず。今日は「自分にごめんね」の日。もう一度始めよう。



2009年03月20日(金) ひとつずつ

 一つずつするってどういうことかなぁと自問。そのようにしているはずなのに、いつのまにか広がっているのです。私はたぶん「ひとつずつすること」が出来ない人だったのだと思います。それは「速さの中で生かされてきたから」だと思います。今は「一つずつすること」を練習しています。
 銭湯の湯船でこんなことを考えていたら、チャイルドが出てきました。私は子どもの頃「1個ずつにして!」って親に言いたかったのです。自分がそんなことを言いたがっていたなんて、想像したことがありませんでした。チャイルドの言葉に耳を傾けると、知らなかった自分を知ってなおかつ、楽になることが出来ます。
 夜、子どもに Mail を出しました。今回は、私は自分の気持ちを書きすぎたために子どもは電話番号を教えてと言ったのです。私は最初、自分の書きすぎを無しにしようとしたので、その文章はおかしくなりました。でも最後は、間違えた自分を謝って「待っててね」を伝えました。前に書きましたが、もともとはベトナムに居る間に私宛に来た子どもからの手紙と父との出来事の中でしたことだったので、これでやっと、あの時慌てた私をリセット出来た気持ちです。



2009年03月19日(木) 練習

 昨日、パソコンで愛用していたキーボード操作が全部使えなくなって、いろいろといじっているうちに文章にまで影響してしまい、冷や汗が出ました。キー操作は自分の使いやすいようにアレンジしていたので、まず最初にパソコンの初期設定に戻して、それから再び自分流アレンジを入れるのですが、その設定の仕方をすっかり忘れていましたから大変でした。最初のトラブルから2時間くらいあとにようやく改善し文章も元に戻すことが出来ました。
 キーボード操作をどうやって覚えたのかなぁと思い出してみると、ベトナムに居る頃 「もっと使いやすい方法はないかな? 」を探して説明書きを丁寧に読んだからでした。その時は本書きよりも操作を覚えることに時間を費やしましたが、それ以降今日までの約半年間大活躍していますから、費やした時間はプラスになっていると思います。
 今回は、慌てた分だけ時間のロスがありました。トラブルの一番最初を丁寧にしていたらもっと早く修正できていたと思います。いつも一つずつなのです。私はもっと物事を大きく見れるように練習します。


2009年03月18日(水) 適度

 最近、ラジオを聞いてラジオ体操をしています。ラジオ体操というのは全身運動だったようです。今このように感じるのは、今が運動不足のせいでしょうか?それとも子どもの頃学校の校庭でしていたときは手と足だけ動かしていたのでしょうか? 
いずれにしても、体を動かすと体が喜ぶのが解ります。喜んだ部分をもう少し続けたくなるとお兄さんの声から離れて自分のペースになります。私は、今は寒さで縮みがちな体を伸ばしてあげると気持ちいいのです。頭と体を同じくらい動かすのを目標にします。


2009年03月17日(火) ノッポ

 今日は机と椅子を買いました。それが、お店で見たときは「これを買う!」の一言でしたが、家に帰ってみると、この新参物が浮いて見えました。その理由はテーブルがパイプ製で高さ約1メートル(私の胸の辺り)とノッポだからです。それに合わせた椅子に座る時は「よっこいしょ」です。椅子に座ると2階に上がったような気がします。帰国して以来、畳から30cmの視線で仕事をしていた私の視界が変わります。
 早速作業を始めましたが、上り下りが面倒で「買い物を間違えた」と思いました。でも、しばらくすると面白いことを発見しました。この机は立ってパソコンが打てるので運動にもなりそうです。夜になった今は、面白い買い物をしたと思っています。


2009年03月15日(日) 描いたこと

 私の本は「心の傷を癒やして複数の人格を優合する」その取り組みの一部を書いたものです。
引き出しは、それぞれの人格の言葉を書いたものだけで、今のところ約250ページ。今はそれを読みやすい形にするという目的で動いています。
 実は、帰国してこのテーマを選んだ時から、自分が描いていた「本を書いた後の自分の未来像」が少し変わりました。駅に立つ私に足を止める通行人の数は少なくなり、ライターの夢も少し遠くなりました。その理由は世の中に、過去の私のように「子どもが愛せなくて苦しいお母さん」や「自分はアダルトチルドレン」を自覚する人々は多いですが「複数の人格」を自覚する人は少ないからです。本の中に「丙午の迷信」を入れることが出来たらなぁと思っていますが、私の文章力で「丙午」が入れられるか…ナゾです。ということで、私の本に興味を持つ人はこれまで想像していた率の半分くらいになったのです。
 そして出来た分が出来た分なので、どのようになってもいいですし、私がこの引き出しを選んだことは私にとって最も意味がありますから、これが一番いいのです。私の人生の目標は「一人の人格になること」なのです。それに、私は今「夢が少し遠くなった気がする」と書きましたが、「人生の目標」を考えれば「ライターになる」夢は「点」のようなものです。加えて、何事もコツコツしていればそのうちに出来ますから、描いたものを持ち続けていれば、いつかはそんなことも出来るかもしれないという程度になりました。


2009年03月14日(土) 新た

 一番上の子どもが手紙に書いていたメールアドレスに返信を送ったらその日のうちに返事が来ました。写真が3人分。1人分は添付できなかったそうです。大きくなった子ども達。でも、その目鼻立ちは私が別れた頃と同じようです。やっぱり涙が出ました。
 何回か見ているうちに写真の背景に目が映りました。そこにはピアノや家具など見覚えのある生活道具。部屋の作りが関西に居た頃のそれと似ています。私は現在に居て過去を見ているような不思議な感覚を持ちました。その時「プラスを意識しなくちゃ」と直感が働きました。それから、写真を見ている自分をよーく眺めました。私は物やお金よりも大切なものを見つけましたから、彼女達が大切にしているものはもう、私のそれとは違うと思います。けれど、自分は今後子ども達の話を聞いているうちに、知らないうちにその世界に入ってしまうかもしれないと思ったのです。なぜなら、私にはまだ感情の中で動く自分が居るからです。
 写真を閉じた後「子ども達と私の人生は別のもの。自分の心を一番大切にすると、子どもの心をも大切にすることにつながる」と口に出して心に沁み込ませました。それから同じ言葉を白い紙に大きな字で書いて貼り紙をしました。私は「私を生きること」をしたいのです。

 まとめは新しい引き出しが一つ出来ました。それは人格同士で話をしていたときの会話集です。読み直してみると、私は毎日のように他の人格に巻き込まれているのです。でも、当時はそんな自分に気がつかないほど、何とかして傷を癒やして優合しようと、大げさではなくて、朝から晩までそのことを考えていました。それからすると、今の私は癒やしの作業を始めた当初の純粋さが少なくなっています。いけません…。出来ていることに安心していると、いつの間にか違うところに向かってしまい、心の成長が止まるのです。
 今日は、自分の心を新たにした夜でした。


2009年03月13日(金)

 雨ふりにつき予定していたコインランドリーを中止して、外出はトイレだけになりました。灯油が少ないので節約して電気毛布に包まっての仕事です。
 今日もあっという間に時間が過ぎました。私は今書く世界にこもっていると思います。それでも時々落ち着かなくなります。すればいいことが分かっているのになぜかなぁ?と自分に問うと、全部が初めての手探りの中「出来上がり像」が安定する前だからだと分かりました。私はきっと、現物を目の前にするまでは「あれがどう?これがどう?」と言っているのだと思います。今日気が付きましたが、私は今、束ねた文章以外は「ゼロ」の状態から、本という一つの「形」を作る作業をしているのですねぇ。初めてのことをするいう視点で見ると、これまでで最も「初めてのことを長く楽しめている」と思います。
 今日から「章」というのを意識することにしました。


2009年03月12日(木) 感じたこと

 印刷したものを読んでいると新しい考えが浮かんできます。やっと「この引き出しを土台にした物を作りたい」と感じられるようになりました。
 一昨日、一番上の子どもから手紙が来ました。住所が伝わってよかったです。その子はもうすぐ高校生になります。手紙の内容から、私がどのように生きているときも、子どもは子どもの人生を歩いているのだと実感させられました。


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