「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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1週間前くらい前から浮かび始めた「本の全体像」は、 子どもの誕生をきっかけに自分が苦しくなった。友人・育児書・宗教・ある団体を頼ったけれど、うつ になった。病院・民間療法・Web を経て AC を知った。でもどうすれば楽になるのか方法がわからない。そして本『インナーチャイルド』に出会い、やっと心の傷を癒やせるようになった。 自分の心を開いてみたら「複数」がわかった。その人格はこれら27人(出せる分だけ)。それぞれの人格は、自分の心の傷に気付いて癒やしの作業をしたり成長した人格。怒って引っ込んだままの人格。優合したと感じられる人格…それぞれ、まだ途中の段階。残っている人格もある。 そのうち、Kyokoの人格は仕事の中でいろいろ考え成長した記録がある。看護師を楽しめるようになり、私も原体験をした。(これは記録があるので、私を知らない人が読んでも伝わるだろう。伝わるといいな) 感覚がなく怒りを抱えていた人格は感覚を感じられるようになり、その分ソフトになった。 苦しみの始まりになる子育ての中で苦しんでいた人格がどうなったのか?は、私・Mamoが心の傷を癒やし楽になるにつれ、子どもという存在に興味を持ち、家を出て4年後に保育園という場所で自分を試し働いて感じたことを書く。保育園で働いたのは私・Mamoだけど「過去とは全く違う見方で子どもというものを見ることが出来るようになっている」優合している部分もあるとも言える。心の傷を癒やし自分を愛することができるようになった分だけそうなっている。←ここは読む人にどこまでイメージしていただけるのかわからないし、読む人がイメージ出来るようにするために、どう書くか?はこれから湧いてくる予定。そして、最後に子ども達から手紙が来て、新しい母としての練習を始めたばかり…これから癒やしの作業は続く…。 という流れでした。 でも今日、出だしの部分にしていた70ページ分の文章が使えないということになり、この全体像でページ数を計算して他の部分を削除してコツコツ校正を進めてきたことを思うと、はぁ〜と落ち込み。 ま、今までも何とかなってきたのだから、これからも何とかなるでしょう。
今日は人格の引き出しを校正しながら、導入の文章も足していきました。人格の言葉を読んでいると、その人格で生きていたときの自分はこんな気持ちだったのだなぁと、私のことなので当然なのですが、今までよりも距離の近さを感じます。形になってきたと思えるのは数人分ですが出来たところを見て喜びも感じます。もう1ヶ月が済みましたから、残りが2ヶ月になりました。一つずつ丁寧に進めることです。 書いておきたいテーマが固まりつつあります。私が過去に利用したものの殆どが、心の傷を持ったままでは余計に足を引っ張るものになっていたということ。あと2ヶ月ですから…書けた分だけ書けるのですよね。
チャイルドが「怖い」と言ったので「能力があるよ」と話してあげたら、チャイルドは母を否定しに行きました。(能力の効果はすごいなあ)と思いました。
今日意識したのは境界線です。私は自分のために、もっと自分と他者との境界線を意識したほうがいい。私が自分を守れるやさしい大人に育つために必要なことだなぁと日々の生活の中で感じます。 そういえば、先日銭湯で癒やしの作業をして以降、それまで気になっていた人々の話し声が同じようにあっても、自分は自分のことを考えたり肌を洗う感触を楽しんだり出来るようになっている、と今日発見しました。境界線を意識できるときは他者の動きに自分が左右されず、私は私のしたいことをそのまま続けることが出来るのですねぇ。 夜は性の傷を癒やしました。きっかけは、数週間前の小さな戸惑いだったのですが、癒やしたのは子どもの頃被害にあったことを言えなかったチャイルドで、私を被害にあった場所まで連れていってくれました。戸惑いを持った自分に心を傾けてみてよかったなぁと心から思いました。私はもっと楽になりたいです。
この頃チャイルドがよく出てきてくれるので、そのつど癒やしの作業をしています。心の傷を癒やすのには安定した心の自分が必要で、そのためには能力のリストは不可欠で、気が付いた時に能力のリストを染み込ませています。まとめも癒やしの作業も丁寧に。チャイルドも一人ずつ丁寧に癒やしていくのがいいです。 今日は決めたこともあります。それは「丁寧に語る」ことです。今までもその意識はありましたが、たぶん今までのものは「丁寧に語っているつもり」が多かったと思います。だから、心を新たにしました。私はこの頃、もっと自分を大切に出来る大人に育つために出来ることを探しながら生活しています。
用事を兼ねて散歩に出たら、名鉄瀬戸線の高架下で野菜や漬物を売っている人が居ました。大根の漬物が150円。でも大きくて全部食べられないので「半分だけ買うことできますか?」と聞いてみたら「切るもんがない。小さいの100円にしたげるわ」と言ったので、一番小さくて先っちょが二つに別れて足のようになったのを買いました。私は冬になるといつもそうですが、体に取り入れる水分が少ないように思うので、漬物を食べてお茶を飲もうと思います。 往復40分くらい歩きました。今日は風が強いですが、1週間前に比べると風の冷たさは和らいでいるしお花見も出来ましたし、きもちいい休憩タイムでした。 別の話ですが、炊飯器を買うならと、料理も出来る圧力鍋の小さいのを買いました。傷み前で3本50円の人参を鍋に入れて水を2センチくらい入れて火にかけて、沸騰してすぐに火を止めて半日。蒸らすつもりで忘れていたのですが、蓋を開けたら人参が丁度よく茹で上がっていて感動しました。人参代も水道代もガス代も節約出来たと思います。便利なものがあるのですねぇ。
引き出しの一つに難しいことを書いている文章があって(どこかを入れ替えれば何が言いたいのか解るのかしら?)と思って読んでみましたが頭の左側が疲れてきたので、読んで疲れる文章は心の本に使えないと思い削除しました。今までこういうところを(なんとかしよう)と一生懸命になっていたのだと思います。 先日の育成会で「悪文」という話がありましたが、削除した文章はそれだと思いました。心で読める文章が心の本に使える基準です。 夜寝る前に育成会のテープを聞きなおしました。聞くたびに 「いいことを話そう」 としている自分が見えて恥ずかしい。そして、その自分を知っていることがいいことです。 私は「心の傷を癒やして人格を優合させる作業を本にする」と語っています。そういえば今まではただ苦しくて、その自分を何とかしたくて取り組んできたのでした。そして今は、楽になった自分を使ってニュートラルの状態から新しいものを作っている。自分を広げているのですよね。このように捉えるとこの作業をしていることが心からうれしくなります。 ところで、今日で帰国してから1ヶ月経ちました。1ヶ月の間に置き去りにしていた小さな戸惑いを整理しチャイルドを引き出し癒やして、今度同じことが起きた時にどうするか?を浮かべることもしてみました。 私は1ヶ月、時間を無駄に使ったのでしょうか?私は巻き込まれていたので、時間を粗末に使いました。そしてそんな自分を知っていますから、今日も能力を全身に染み込ませ「一つずつ丁寧に」を基本にして、私の一日を大切に使っています。ひとつずつすると出来た分だけ積み重なります。
自由です。チャイルドを癒やした後は自由感覚がさらに増します。 癒やしの場所がお風呂やさんだったとき、広い湯船の中で体がクラゲのように揺れてプールと間違ってしまいそうになりました。
昼過ぎ、栄まで自転車で行きました。栄は路上禁煙道路が広がっているのですねぇ。フリーの路上Cafeでお弁当を食べ始めて少ししたら、70歳くらいの男性がやってきてタバコを吸い始めたので「すみません、ここは禁煙なんです」と言ったら「そうなの?ごめんなさい」とタバコを止めてくれたので、ホッとしました。体にいい法律は心にもいい。うれしいです。 まとめの時にも、うれしい発見をしました。昨日と同じ文章を点検しているのに、昨日よりも進みが早いのです。文章の校正は回を重ねるごとに楽になって、文章も読みやすくなるんだ…という喜びの発見。又楽しくなってきました。
引き出しを印刷しようとしましたが、又紙詰まり。数回続くと印刷機も自分からお休みして、なかなか動いてくれなくなりました。待っている間にファイルを眺めていたら違う引き出しが目に留まり、それを整理し始めて、いつの間にかそちらに入り込んで気が付いたら30分くらい経っていて、印刷機は止まったまま。そのとき、あれ?と思いました。私は最初「紙面で見たいから印刷しよう」だったのに、違うことに集中してしまって、違うことが出来ているから「する」ということは出来ているけれど、何か変だと思うのです。印刷が途中のままファイルを見ているのだから、ひとつのことに集中しているのとは違うと思います。これは「二つのことをしている」のですよねぇ。きっと今までも、このように動いていたと思います。気が付いてよかったです。 夕方、街路樹の花を見たくて明るいうちにお風呂に行きました。家の傍の杏の花びらは強風で殆ど地面に落ちましたが、少し歩くとサクラ並木があってつぼみがいくつも開き始めています。途中に一つ、薄ピンク色の花。きっと花ミズキだと思います。その色合いが可憐でなんとも言えないのです。もう、春なのですねぇ。 そして、私の心も春です。軽い心でサクサク。もっともっと自分を楽しくしようっと。
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