「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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夕方、印刷屋さんへサンプル本を受け取りに行きました。本はさくら色とレモン色の2種類の色で作っていただきました。その感動を実感するよりもまず、中身を点検する必要がありました。少しの話し合いの後、再度調整して頂く箇所をお伝えして2日後には完成本が一部受け取れることになりました。家に帰ってすぐに、汚れ防止にビニールカバーをかけました。色はレモン色に決めたので私が持っているのは唯一のさくら色なのです。何より第1冊目のスタート本。大切にしたいです。 夜は昨晩に続き『インナーチャイルド』を久しぶりに開いて新しいルールを心に沁み込ませました。 「やっと心の傷を癒やす作業を再開できる」と思うと…心から嬉しいです。
今朝は夢を見ました。夢の中では、出来あがった試し刷りの行が一行ずつずれているという映像の中で私が「えーっ」と声を挙げていました。目が開いたとき「もしかしたらそのようになっているかもしれない」と思いました。けれども2,3日前からの記憶をたどっていくと「行のずれもていねいに見たこと」を思い出し、してきたことの確かさを感じました。だから、きっと大丈夫でしょう。 朝食のあと台所の片づけをしている時、のんびりしている自分に気付きホッとしました。本の完成というよりはそれにまつわる行きつ戻りつがやっと安定に向かったことを感じたことによる小さな安堵感のような気がしました。昨日まではまだ気持ちが張っていたのです。その心を置いたまま違うことをしようとして無理も起きていたと思います。文章を書くということは買い物に行ったり運動したりなど普段する事とは違った部分の思考を使っていると、安堵の中で解りました。 今日から今月中は印刷が仕上がるまでの待ちの時間なのです。先延ばしにしてきたことに手を付けながら、あいかわらずのゆったり感の中で「何がしたいかなあ?」と自分に問いました。そんな私にやさしさを感じました。それから「この時間はしてきたことを心に沁み込ませるために必要な時間だ」と思いました。 夜、布団に寝転んで天井を眺めました。そして「こんなふうにしたのは何日振りだろう」と…。そう思う私の中は、まるでこの1年半使っていた細胞とその部分とは違う細胞がバトンタッチをして入れ替わっているよう。心が安心して全身の細胞がゆるみました。私はもう一度「この時間がもう少しほしい」と思いました。このひとときが「やさしい2冊目」につながり2冊目を書くことの始まりになると思います。大切なことは何をする時にもゆったりの心ですることなのです。私はのんびりした私がさらに広がるよう、私を大切にします。
印刷屋さんから連絡があり、17日には試し刷り完成し、それがOKであるなら19日午前には本刷りした本が受け取れることになりました。 と、こんなことを書いていても実はまだ実感がわかないのです。何故かなあと?自分に問うて「心から感動するのは完成した本を手の平に載せた時」と思ったり「してきたことが形になった当然の流れだから」と思ったり…。そして私は今までと違った形の未来が待っている事の方が嬉しい。私の視線はもう「2冊目を視野にした未来」を見ています。
夕方5時。原稿を印刷屋さんに依頼しました。試し刷りをして紙面での具合をみる作業がありますが、最後のチェックを丁寧にしたのでこれで完成になると思います。 原稿を送ったあと涙が出ました。「やっと出来た」の思いと、してきたことが形になることの喜びその他いろいろ。涙が出たわりには実感は半分くらいなのですが、とにかく成し遂げることが出来たのです。よかったよかった…。 夜、子ども達の顔が浮かび過去のことが走馬灯のように流れました。6年半前の、家を出てくる時の身を切られるような思いが今夜私の心に響きました。見通しがついたから感じることが出来たのだと思います。 その私の未来は明日へ続きます。しばらく少し辛抱していたことの中から何をしようかなあ?と思いをはせています。この1年半私を手伝って下さった方、ありがとうございました。
私は否定の空気に弱い。すぐに気力をなくす。 社会がいつも365日肯定の環境だったらいいのになあ。でもそれは社会に求めることとは違う。求めているうちは同じ私が続く。私は私の経験していることを大切にしよう。そしていつも肯定がある環境を私から広げていこう。それが私にできることだと思う。私は私を肯定します。 夜、子ども達に手紙を出す準備をした。内容は本の中身の説明と「本を持ってみんなの暮らす街を訪ねたいと思っています」と。文章は一番下の子どもに合わせて作ったものを原本にして上の子に向かって単語を変えた。やさしい言葉を使いながら必要な時にそれよりも少し上の言葉を探す。楽に書くことが出来るし、してみると知識を知恵にして利用する1つの方法のように感じた。明日には文章が出来上がればいいな。そうしたらこの手紙をポストに入れられる…。
もうあと数日で印刷に回せる状態になりました。文章は見るたびに動かしたくなるので、文章がどうとかというよりは心の満足度なのだと思います。 「印刷を待っている間は何をしようかなあ?」の思いも浮かびます。その空間は燃え尽き症候群の気持ちとは違っています。私は「今度は何が浮かぶのだろう?」と少し先の未来を楽しんでいます。
この数日「モラル」という言葉を吟味しています。 私は自分を知る前に規則に従ってきた大人達にその規則を教えられましたので、今まで当然と思ってきたモラルの殆どは私自身の為ではなく社会をうまく渡っていくためにありました。けれど、私のモラルは私が決めてもいいのです。私は心を基準にして私のモラルを決めます。それは一般社会にあるものから離れて、ただ私の好奇心とプラスの心に添ったシンプルなものです。 この捉え方の原点は、子ども達を残して家を出てきたことにありました。私はあの時から、社会になじむことよりも私を大切にすることを選んでいました。私が自分の好奇心をOKにして楽しませてあげていたら、私は子ども達を自然に肯定することが出来ると思っています。 私は今の社会に設置されたモラルは社会になじむことを原点に広まっているものが多いと思います。 心を大切にして生きていたら、道徳や規則はヒトとして自然に出来ることなので決まりごとはうんと少なくなると思います。
今日もまた校正と編集をしました。文章作りの最後の時間を〈今が旬〉のように楽しんでいます。文章はまとまってくると同時にその意味もわかりやすくなったせいか、そこに書いてあることは実際にして感じてきたのだなあ・書いて残しておいてよかったなあと実感しています。
興味深いことに気付いた夜。題材は「好奇心」。 好奇心の中で動いていると次の好奇心が浮かびます。その好奇心の中で楽しんでいるとその次の好奇心が浮かびます。これまでのことを思い返してみると、私の好奇心は次から次へと移動していたのです。 「固執」という言葉があります。その事にいつまでもしがみついていることだと思いますが、好奇心がつぶされていた時期、心が満たされない私はいつも小さなことにこだわり、あるいは出来たことにしがみつきました。人が1つのことを楽しんで違う楽しみを探し楽しみたくなるのは自然なことだったのです。私はいろんなことを楽しんだ分だけ新しい世界を知ります。
固執:自分の意見を頑なに主張して曲げないこと・過去の印象や特定の行動などが心に中に残っていてそれが反復出現する事(広辞苑)
ジャコウアゲハが交尾をしている写真を見て思いました。 「2匹の体がくっついている部分は命の元になる者同士が出会ってキスをする場所。二つの命の元が一つになって新しい命が出来る場所。だから、きっと体の中で最も柔らかいだろう」。 映画の中できれいな男女が愛を楽しむシーンは性の自由を感じることが出来ますが、2匹のアゲハの交尾のシーンは命そのものの素朴さや生きもとしての原点を感じることが出来ます。 アゲハのカップルに偶然にも新しい命が出来たとしたら、このアゲハ達は命をつなげるという仕事をしたことになるでしょう。そして反対に新しい命にならなかったとしても、その美しさで人を楽しませるという仕事をしたことになるでしょう。 私の命がアゲハのように柔らかい体の中で誕生したのだとしたら…。そんなことを思っているうちに、その瞬間に帰りたくなりました。けれど私はもう生きて43年を過ごしました。37歳からはいのちというものを何度も実感してきました。その私がすることは、これまでとは違った形のことだと感じました。このように思う私の命は既に柔らかさの中で誕生しているのだから。 私の仕事は、人は柔らかさの中で誕生しそのまま生きていけるということを伝えることのような気がします。それは私を語ることから始まるのだと思います。私は物事を素朴に伝えられるよう、全身を自然に柔らかくして生きましょう。アゲハの自然な写真を見て、命の在り方を思った夜でした。
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