「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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自分の本を読むと、過去に気付いたことの中で、今でもそのようにしていることがあります。 と、気付いた所から変えていけばいいですよねぇ。 間違いは出来るだけ少なく済むように、そして間違えた時には、私はその自分をすっかり認めるのが好きです。私の親は事実をうやむやにしたりごまかしたりしたので、私は親に自分を語ろうと思わなくなりましたし、どこかで冷めた視線で親と距離を置いていました。それは 「私の感じたこと」を大切に出来ていた証だったのだなぁと今気付きました。それに、私は私を守っていたのですよねぇ。 そして私も親。この私も間違えることがあるのです。間違えた時にはそのまま全部認めるのが好きです。私には「次」があるからです。
私は私を守るということをすればいいのだなぁ…と。このように捉えると、例えば不快なことがあった時にも「私を守ること」をするだけでいいのだから楽だなぁと思います。 そんなことを思いつつ、先日から数日間「私を守る」を意識して動いてみました。「私に寄り添う」とか「私を大切に」とかいう言葉も浮かんできて楽ちん。この事を意識する前よりも少しやさしい私に育ったと思いました。
今日は運動の日。 公園の木に向かって空手のけりの練習をしました。私は回し蹴りが出来るようになりたい。でも下半身に力がないので足を回してけりを入れると足元がフラフラします。 今は本のことを優先しているけれど一段落ついたら又運動をたくさん取り入れる予定です。 そんな私の視界に「やさしい瞳」が映りました。それは、未来のずっと向こうが透き通って見えると言わんばかりの澄んだ目でした。その向こうにはマシュマロの形をした丸くて白いベッドの上に寝転んで体をフワフワさせて遊んでいる私が居ました。ベッドに口を近づけてみると甘い香りがして、唇をペロンとなめてみたら本当に甘かった…。なんちゃって。
夕方、つま先歩きの散歩をしました。ちなみに、つま先歩きでは「ふくらはぎ」の筋肉を使います。私の足は30分も歩くと、つま先歩きになれて、踵を付けて歩こうとするとつま先が「もっと使って」と言います。足の持ち主としては大腿筋も使って上と下を公平にしてあげたいので、少し立ち止まって体に言い聞かせてから再び歩き始めます。しばらくすると、つま先が「あ〜気持ちいい」と言います。
今日は誤字脱字の理由で破棄することになった印刷物を目で確かめに行きました。 工場には印刷途中の私の文章が積まれていました。紙とインク代がもったいない。環境にも悪い事をしたなあと反省。もっと丁寧を意識します。 その後原稿の打ち合わせをしました。話し合いには代表取締役専務と担当の男性と窓口になって下さっている女性とが出席して下さいました。 先日から「何かなあ?これ…」と不思議に思っていたことが今日明らかになりました。それは、皆さんが私の「これを印刷して下さい」という言葉を待っているということで、「私を中心に回っている」ということになるのです。私はこれまで他者の指示に従って動いたことはありますが、印刷をお願いしているのですから当然なのですが、他者が私の指示を待っているということが不思議だったのです。それに私を待っている人々は私よりも大きな体格の男性と、私よりも年を重ねた女性と、体は同じくらいかもしれないけれど私よりも若い男性。それが過去の夫や母親や弟に重なっていて、その3人の方が一度に「我々は菅野さんの決めた日に本が出来るように動きます」と言って下さる様子に不思議な感覚を覚えるのです。実際には、私はお客さんなのでお店の人が私の言葉を待って下さるのは自然なことだ思うのです。私は「お客さんになるのは面白い」と思いました。癒やしの作業にも利用できそうです。そして私は「これを印刷して下さい」とお願いするのです。私のできないことをして下さってありがとう…。
本日も校正が楽しくていい感じ。今日はその中で新しい発見をしました。内容を書くのは先送りになるのですが、2冊目が楽しく書けそうだな〜と先の楽しみが増すような発見だったのです。 休憩時間には家の中がもっと快適になるようにあれこれ工夫を楽しんで、時々「私って天才かも…」と独り言を言います。何をしても楽しいということは何をしていても楽しいということなのです。
この数日、校正作業がいつもに増して楽しいのです。既に作ってしまった20冊誤字脱字バージョンをうまく校正して読めるようにする方法が見つかりそうな予感までしています。 体が疲れたら部屋の中で何かしたり外に出たりします。時々ベットに寝転んでボーっとします。ボーっとの時間に2冊目のアイデアが浮かんだりして、結構貴重な時間になっています。つまり、私の心に耳を澄ませる時間を持つこと、なのですよねぇ。
今日は運動の日。一日中屋外で体を動かしました。長崎アゲハを3回も見ることが出来ました。生まれてから後に見たアゲハの中で最も大きく優雅に見えます。私もアゲハのように空を舞いながら自分の人生を生きよう。
本日受け取り予定の20冊を頂きに印刷屋さんへ行きました。20冊分の重さが両手に乗っかりました。けれどもこの20冊の中には誤字脱字がたくさんなのです。それで印刷をストップしてもう一度校正をし直すことにしました。今までのものは破棄になりますし一からやり直しと同じなので新たに料金がかかるのですが長い目で見て選んだ選択肢だと思っています。 ちなみに、1ページ目から100ページの中の誤字脱字は変換ミスやカギカッコ記号の抜け落ちが9.5割なのです。(あとの5割は文章の出来具合・納得具合です)。最後の一週間は4つの目と二つの思考で画面を見て読みあげながら作業をしたのに、それでも見落としがあるなんて、校正という作業は私が意識している以上に集中力が必要な仕事なのだと心に染みました。 それに今日気付いたのは、同じ文章を何回も読むうちに内容を覚えてしまい「次はこうなる」の先入観を持って読んでいたことです。読む時に先入観のないニュートラルな視点が何より大切なのでした。 その他いくつかのことを勉強しましたし、アクシデントをプラスに広げようとしている私も確認しました。丁寧に校正を続けることにします。 印刷屋からの帰りに出来あがった本(誤字脱字バージョン)を持って育成会へ行きました。本を材料に「心のファシリテイター」について語り合いました。自分を一番大切にする人が、他者が自分を一番大切にすることを手伝うことが出来る。一般社会とは違ったことをしている私や他の方々を感じた時間でした。他に、複数の人格について尋ねて下さったので私の中のことを語る機会を得て私自身を整理することも出来ました。テーブルをはさんだお向かいの席から好奇心の目が私を見つめているようでした。未来を描いて心を語り合う私達は心のファシリテイターなのデス。
サンプル本を読み始めたら60ページの内に誤字脱字が10もありました。これではいけないと印刷屋さんに連絡しましたが、文章は既に印刷機にかけているので校正は無理と伝えられました。世界にたった一つの本に誤字脱字が点在するなんて…。それに、値段を安くして売ることは出来るけれど、値段が下がるということは投資して下さった方への配当にも影響するのでしょうから、その方達にも申し訳ないと思いました。でも、落ち込んだり謝ったりしても状況は同じなので、出来ることを探してこの状況を楽しもうと切り替えました。何が出来るかなあと探していくつかの案が出て、そのことをしてみることにしました。 私は印刷屋さんに断られてからここまでの間の私の動きを私自身の後ろから眺めていました。私は最初に慌てて、それから落ち込んで、その後「誤字脱字の数は心の安定に比例している」と思い、そして「もっと丁寧にする必要があった」と反省しました。不思議なのはその後の事でした。その後、私の頭には、まだ決まっていない何かの方法でその事をクリアしプラスの世界に居る私が浮かんだのです。そして「こんな時は次に何が出来るか探すこと。今回勉強したことが次に広がる」とまだ見ぬ未来に確信のようなものを感じていました。ミスやアクシデントはきっと未来につながる、と私の全身がそう言っていたのです。 「成長したのだなあ」と思いました。そして、これからもっと集中して取り組めるようになりたい。そんな練習をしつつ毎日楽しむことにしました。いい勉強になりました。
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