「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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昼間、最寄りの市役所へ行ってみると「市長への手紙」と書かれた封筒があったので、チラシを入れて投函しようと思い付きました。けれども家に戻ってから改めて優先順位を確認しました。私がどこで暮らしていてもプラスに動くとアイデアが浮かんでくるのですが、果たして今ここでそれをしてもいいのかな?と。 それから、私には本を書いた後にすることの優先順位上位がひとつ残っているのです。それは本を持って姉に会いに行く事です。こちらは金銭的なことがあるのですぐには無理ですが、それが出来るように意識して動いた方がいいと思いました。そして優先順位のトップはいつも心を大切にして生きられることです。 そんな気付きも手伝って、週末に名古屋へ戻ることにしました。昨晩子ども達に伝えると、子どもは私に「なぜ帰るの?」と繰り返し尋ね、食卓はシンとしました。私も、子ども達を手伝えることを嬉しく思っていますし、その関わりを通して自分が成長していくのを見るのは楽しいのです。それに、料理や家の中の事を別にしても遠くに居るよりも近くに居る方が出来ることが多いと実感します。それは子ども達が小さい頃に、私に言えなかったこと・出来なかったことが、今そうしたいと感じた時その場で出来るよう、その事を受け入れられる私が傍に居るということです。けれども私はもう一度名古屋へ戻ります。生活を満たすだけでなく子どものスキンシップ不足の補いを手伝うためには私自身がもっと・いつも自由である必要があって、その為にはもっと丁寧にする必要があると分かったからです。そして、このように心を基準にしていたら、離れていても何かが出来ると信じています。 夜、子どもが塾に通うための手続きを手伝いました。子ども自身が望んで通うので、これも手伝いの一つだと思い楽しみました。けれども私は、学校の先生が子ども達が授業の中で理解できるように伝えることが出来たら、子ども達は塾に行かなくても済みますし、その時間を他の楽しみに使うことが出来ますし、例えば数独の解き方のように楽しみの延長で出来るようになることがあるのになぁと思いました。私は全てのことは遊びの感覚の中で学んでいけるものだと、私自身の体験を通して感じています。
チラシのポスティングをしました。以前介護の仕事をしたときにもしたことがあるので2度目なのです。 マンションの集合ポストに入れると早いのですが、味気ない気がしたので一軒家の方へ方向転換しました。 一軒家にはいろんな形をしたポスト。入口が鉄のように重たいものもありました。そのお宅にお住まいの方がポストを空けたとき文字と私の顔写真が視界に入るように工夫して入れました。本を書いたこともチラシを作ったことも私の自己満足に過ぎないのだけれど、街頭でチラシ配りをした時と同様に、他のチラシとは違うと気付いてもらいたいと思うのです。 配っているうちに「どんな方が住んでいるのかなぁ?」と想像が膨らんで楽しくなってきて…。この楽しさを一日で終えるにはもったいないので明日の楽しみに残して帰りました。 帰りに繁華街に出てみました。先日の朝日新聞にはデフレ宣言のことが載っていましたがデパートから買い物の袋を提げて出てくる人も多く見かけました。私は経済の事はわからないのですが、人々が不景気という基準はどこなのかなあ?と小さな疑問が湧きました。例えば公園の炊き出しを利用して生きている方々はずっと前から不景気だと思います。それから収入が少ないことを不景気と言うとすると、私も不景気になるのかな?でも私は心を基準にして生きているのであまり苦になりません。持っている分で楽しめる、という感じなのです。きれいなお家よりもポケットに小銭を持って身軽に歩きたいのです。それでも生きていくのに金銭は必要ですから、名古屋へ帰ったら少し働こうと思っています。
子どもの一人とロッククライミングというスポーツを体験しました。ロッククライミングというのは手と足だけで壁を登っていくスポーツで、新聞折り込みのチラシを見た子どもからお誘いがあり、私もしてみたいなぁと思っていたので一緒に行かせてもらったのです。 お店の中に入ると、事前にチラシで見た以上に料金がかかることが解りました。子どもとの動きに必要な金銭は元パートナーのものを利用させてもらっていますし、私は現在無職ですので迷いました。ところが、その私を見る子どもの目が…。それは未知の世界への好奇心だと分かりました。その事を手伝いたい・体験してもらいたい(表現がいいかどうか分かりませんが…)と思いました。 手続きをしてその場所へ行くと、10畳くらいのスペースの周囲の壁に大小の石がくっついていて、人々がスパイダーマンのようにその壁を登っていました。壁は70度くらいのものから直角、80度くらいのものや逆さまのものなど数種類。足の指が折れるくらいのきつい靴を履いて手にはチョークをつけて壁にトライしました。指の第1関節をよく使うので、以前ふすまの桟でケンスイをしていたことを思い出しました。 何度か Try しているうちに「壁と仲良くする事」を思いつき体がコツを掴んで…最初は無理かなぁ?と思っているところにも辿り着きました。 私が子どもよりも少し先に達成すると、子どもから「どうやったの?」と尋ねられました。そんな時、私は少し語ることを意識して、それから「壁と仲良くするの」と伝えました。すると、子どもは「そっか」と言って Try し、ゴールに到着した時は満面の笑みでした。その様子を見て「その物と仲良くする」はいろんなことに使えるなぁと思いました。 何かと仲良くすることはその時の流れに乗る事に似ています。私もこの滞在期間、自分と仲良くして時間の流れに乗って時を過ごします。
3連休のまん中の日。午前中は約束の二つ目のテニスをしに行きました。 テニスは子どもの頃に遊んだことがありますが、最初はラケットを振る時に野球のバットを振る時のようになってうまくいきませんでした。それでもしばらくすると慣れてきて感覚を取り戻してきました。感想として二つのスポーツを一緒にするのは難しいと思いましたが遊びの1つとして楽しみました。 午後は家でのんびり。リビングでパソコンを広げていたら子どもが見に来ました。私の日記を読んだ子どもから「チャイルドが出てきたの?」「チャイルドは何と言ったの?」私はその時の様子を思い返して返事をしました。癒やしたチャイルドのことをうまく説明出来ませんでしたが、子どもの好奇心って面白いなぁと思いました。「ファシリテイターって何?」という質問に答える時、私はその事をしている私を大切にしようと改めて意識しました。 そんな私の方は子ども達と生活を共にするようになって時々「あ、ミスしたなぁ」と感じることがあるのです。そして、そんな時はそのことに気付けた私を大切にして同じ事をせずに済む方法を探します。具体的な方法が浮かぶこともありますが最後は、私をする・心を大切にするというところにたどり着きます。つまりここは原点なのです。
家族皆が休み。朝、新聞にある間違い探しのゲームにTryしていたら子どもが起きてきて、その横にある難易度4の数独をしたいと言い、ある方法を使って解き始めました。 子どもは「この方法で解けないはずがないんだよね」と言いました。 私は最初意図が見えませんでしたが、そのうちに私にも出来そうな気がしてきて、分かるところを答えて、二人で30分で完成しました。その方法は4人の子どもたちに共通のもののようですが、学校で習ったのではなく遊んでいるうちにそうした方がいいことが解ったと、小学校6年生の子どもが言いました。私も…。今度は一人で難易度4でもTryしてみようとワクワクしました。子どものすることを真似してみると成長出来るのです。 午後からは娘との約束になっているプリクラを撮りに行きました。撮ったプリクラに文字を書くところで子どもの一人が「ずっと一緒に居られるように」と書きました。そのように出来たらいい。そして私は又、もうすぐ名古屋へ帰ります。こんな時私の心は複雑な気持になります。子どものしたい事を手伝う母。どこでどのように?出来るところを出来る範囲で。それが私にできること。出来あがった写真を見ながら自分に言い聞かせました。私は一人の人で、1つずつなら進めます。 家族で夕食をとりました。気のせいか、夕食の話題に度々経済的な展望のような話になります。子ども達は「遠地にあるマンションを売ればいい」とか「車は中古でいい」とか言います。そして一般に大人の世界は見方が違っています。 私はシンプルな世界が好きで子どもの見方に近いです。リュックサック一つで旅に出てプラスの思い出を詰めて日本に帰ってこれたこと・ベトナムの方々との暮らし・帰国後に心の投資金とお借りした金銭でスタートした生活。ヒトは希望を持っていたら少しのお金を大切にして生きていけると心から思います。それに最近では、お金は後から付いてくるという言葉を大切にして生活出来るようにもなりました。星空の下で寝袋で寝てみたいなぁ〜と思っていたらいつかできるような気がしている 43歳のヒト・そして母の私は本来持って生まれものをそのまま使って生きられるよう、子どものような好奇心とシンプルさを大切にしています。
数日前、家の近くの施設で某大学精神科教授の講演会があることを知り、その場所でチラシを配ることが浮かびました。本に関する何かをしたい気持ちの延長でもありました。今日、終了の2時間の講演会の終了30分前に会場へ入りました。そこには統合失調症と言われている方のご家族が集まっていました。 講演はまもなく終盤になり質疑応答の時間に。私は思いついたように手を挙げました。 「私は過去、うつ病・パニック障害などの診断を付けられ薬を飲んでいました。子どもを虐待して、そのあと多重人格ということが解り子ども達と離れて心の作業に専念しました。今年で7年経ちました。今は作業の体験をまとめた本を出版出来るまでになりました。子どもたちとも再会して虐待していたことを謝罪出来るようになりました。仕事はずっとしていましたが社会に出ると早さを求められ付いていけなくて度々転職しました。でも、私はこれからも私のペースでゆっくり歩いてもいいですか?」。教授は「いいですよ。健康が大切ですからね」と言われました。 実は手を挙げたのは本当に思いつきでしたし、その答えが私の世界とは違うことを私は理解しています。 会の終了後会場の方数人にチラシを受け取っていただき、一人の男性が本を購入して下さいました。帰り支度をしている教授にもチラシと名刺を渡しました。この時は少しドキドキしました。 家に帰るとチャイルドが出てきて、手を挙げた理由が解りました。私は過去とは違う自分を確認したかったのです。教授に自分を伝えたのは過去の傷を癒やしたい私の行動だったのです。原体験が出来たような気持ちになりました。
夕飯の時、子ども達が「昔の事を話して」と言いました。私はそれぞれの子どもの事で覚えている事を語りました。一番下の子どもが5歳の時に行ったキャンプ場で手を切って縫った時のこと。それは私が覚えている、謝罪したい記憶の1つでした。私が「ごめんね」と言うと子どもは少し照れたような表情になりました。私はその子を含めた4人の子ども達の前で謝罪することが出来てよかったと心から思いました。 その後も幾つか話をし、子どもの一人が「子どもは好奇心を持っているんでしょう」と言いました。そうなのです。子どもは好奇心を持っている。そして私も好奇心を持っている。 子どものように純粋な心で私の中の好奇心と感覚を使っていろんなことを経験したい。 その為に、私は社会の波に飲み込まれず私自身を大切にします。
子ども達へ、私の人生のファシリテイトをありがとう。
昨晩は遊びの延長で長女の布団に入りました。狭いから寝れないかなぁと思っていましたが長女も何も言わず、私達はそのまま朝まで一緒に寝ました。私は子ども達との日常の小さなやりとりが過去にしてきたマイナス母の補いになることを、いつも心の片隅で願っています。 今日は、日中は Mamo本の話になり少し意外だったことが…。 2番目と3番目の子どもは本を受け取って1週間のうちに読んでしまったそうなのです。私は自分の書いたものですが読むのは休み休み。子ども達の読みの早さに感心しましたが、実は(この早さは読み流した感じかなぁ?)と思っていました。その私に子どもが「内容を言ってみるよ」と言いました。子どもは「最初にいろんな人の名前があって、その子達はだんだん良くなっていって、それから最後の方はお母さんの…」と。子ども達は人格達の言葉のページも読んでいたのです。私が再び感心していると、子どもが「子ども達の能力をあなどるでないョ」と言いました。私は「はい、ごめんなさい」と謝りました。 子どもが語った中の「その子達はだんだん良くなって…」という言葉。“どんなに苦しくても自分を見つめた分だけ楽になるということ”を感じ取っていたら嬉しいなぁと思いました。そして、子ども達はそのことをその子自身の経験から、可能性(すると出来る)という形で感じ取っているようにも思いました。 子どもは「子ども達のことをもっと書けばもっと売れると思うよ」と言いました。私は「もし皆のことを文章にしたら、それをみんなに読んでもらって本にしてもいいかどうか確認するね」と答えました。子ども達から学んだことを本にする。そんなことが出来たらそれもいいと思います。 その私のすることは、私の感じたものを大切にして、ニュートラルを意識して、自分に丁寧に生きることです。
今日は月曜日。子ども達と元パートナーは学校と仕事へ出かけ、日中は1人になりました。したい事もあり家事という仕事もあるので優先順位を決めて動くことにしました。2週間の滞在なので暮らしている人々のペースを邪魔せずに済むよう必要最小限にすることを意識しています。 夕食は鮭のムニエルと豆腐の白合え。大きなボールで白合えの材料を混ぜている時、給食室のお姉さんのようでうれしくなって、そのまま声に出しました。子どもは笑っていました。食卓に並んだ料理を写真に撮りました。料理を楽しんだ自分を楽しんで、味はさておき食事はおいしかった。私は調理師免許があれば学校給食の仕事も楽しく出来るようになったみたいです。 私は時々、子ども達に勉強の事を尋ねられます。授業中に書いたノートにはその事について書いているけれど、意味が解らないまま黒板の文字を写しただけの時もあるそうです。私はその事を知らない時、パソコンで調べます。それから時には「こんなことが解ったよ」と伝えます。昨日「私の説明大丈夫だった?」と子どもに確認しました。子どもは「うん。でも、なんで?」と聞いてくれたので「丁寧に分かりやすく伝えられているかどうか知りたかったの。もしその反対だったら、もっと丁寧に伝えられるように勉強したいと思って」と答えました。 こんなことを語る時、丁寧に生きたい私を語っているような気持ちになります。
給食のお姉さんを楽しんだ結果
2度目の旅の3日目。料理や洗濯をしながら子ども達が何か言ってきた時に、その事を手伝う。そうして3日が過ぎました。午後、リビングでパソコンを開いて居たら三女がやってきて、自然の流れで私のHPを閲覧することに。私が家を出た当時の様子から今回7年ぶりに再会した時のこと、それから前回名古屋へ帰る時の気持ちをそのまま書いた文章を、娘は少し読みました。 私の事は隠すこととは違いますし語っておきたい気持ちがあるのです。けれども、子ども達の生活は学校の勉強と部活を中心にして読み物は小説と参考書。家の中では箸が転んでも笑い転げるという様子で遊び、一般に言われる心の病とは無縁の世界で生活している子ども達に、私は自分をどのように語るといいのかなぁと思いつつ、その機会を探しています。
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