「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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訪問入浴の仕事。伺ったお宅で入浴のお手伝いをした後、お家の方が氷の入ったお茶を出して下さいました。一口頂いたら酸っぱくて飲めませんでした。気付かないうちに痛んでいたのだと思います。それに今日は北風が吹く寒空。私はお腹の具合を案じて「トイレが近いので…。飲めなくてごめんなさい」と伝えて遠慮させてもらいました。後でお茶を全部ごちそうになったメンバーさんが「お腹が心配」と言いました。度々あるとおっしゃるので「会社の上の人から伝えてもらえたらいいねぇ」と話をしました。私は派遣なので楽だなぁと思いましたが、私がNoを伝えることで正社員の方に悪い影響がある事もあるとも思いました。仕事が終わった帰り道に、このような時に私を伝えることが出来て周囲にも良い影響になるにはどんな伝え方がいいかなぁと考えていたら、これで大丈夫かも…と思える言葉が浮かび、それを派遣社員の私ではなく正社員の方が言われたらいいなぁと思いました。又お手伝いに行く機会があるので職場でこんな話が出来る機会があればいいなぁと、楽しみにしています。
老健施設へアルバイト。仕事をする時の勘が少しもどってきたみたい。5年くらい前に、同じような施設で働いた事があるので懐かしくもありました。夕方暗くなってから家の近くの訪問看護ステーションへ面接に行きました。こちらはすぐにでも雇って下さる感じでしたが、1ヶ月に平均13回くらい、24時間体制の緊急ポケベル当番が回ってくるそうです。だいたい3日に一度の計算になると思うのですが、私にそれが出来るかなぁ?心身が休まるかなぁ?と。休憩がないよりも休まらないような気がしました。けれども、就職活動にもお金がかかりますので(どこまでできるかしてみようかなぁ?)という考えも浮かんでいます。ということで就職活動と仕事の日々なのです。
二つの場所へ面接に行きました。一つは重度心身障害者と言われる方が通っていらっしゃる通所施設。もう一つは町の中心にあるクリニック。 1つ目は、通っておられる方々の様子に共感を持ち働いてみたいと思いましたが、昼休憩が10分で残りの休憩時間は時間外手当として換算されるという仕組みがあるそうです。以前は、休憩がないなんて考えられませんでしたが、仕事の内容に興味が湧いたので(収入を得ることが目的なので手当に換算されるのならそれもいいかしら)と考え中です。もう一つは以前パワハラで辞めたクリニックの院長とお知り合いのDr.でした。私はあったことをそのまま語りました。それからあの頃気付かなかったけれど、こんなところが原因だったのかもしれない…という事も。 私の他に応募された方もいらっしゃるようなので、私を利用して下さるならどこもいいかなぁという気持ちになっています。丁寧に働きますから利用してもらいたいなぁ…。 面接の合間に、中区でチラシを配りました。近くの公的機関で心に関する講演会があったこともあると思いますが、チラシ100枚が20分位でなくなりました。こちらも利用してもらえたら嬉しいなぁ。
Mamo本を利用して下さっている女性と話をしました。 「私は行きつ戻りつなのですよ」と言うと、女性は「みんなそうですよね」とおっしゃいました。 他者と語り合う時、以前は何とかして自分を伝えようと躍起になったり社会の価値観に巻き込まれて自分を忘れることがありましたが、最近は過去と同じような状況があっても落ち着いてそこに居るような気がします。この落ち着きがどこからやってきたのか分かりません。チャイルドを癒やす時「こんな時に落ち着くように」と意識していたのでもなく…本当に、本当に、不思議なのです。 不思議なことがもう一つあります。それは、感じた事を基準にして動いている自分を客観視出来ている事です。 あのことはちょっとこうだなぁ…。それならこういうようにしようかしら?あれはこういうふうだったからこうすればいいかしら?あの事はちょっといやだなぁ。でも、まぁこういうようにすればいいかな…。これが終わったらあれをして、次にこれをして…。 明日の準備が出来ている安心感の中で布団に入り「あ〜明日はあれが出来そう」と明日を楽しみにして眠りに入ります。これはきっと、生きている感覚です。
“Mamo本”のチラシを見て下さった一人の方から連絡を頂きました。その方は「子どもの心の傷を癒やしたい」とおっしゃいました。私は(心の傷の事をお知りになったならば多くのご両親が感じることかもしれない)と思いました。それから、傷ついたご本人のみがその心の傷を癒やすことが出来ます、周りの方はそのご本人を手伝うことが出来ますと浮かびましたが、始めて電話を下さった方との僅かな時間にその事を伝えることが出来ませんでした。 本は出版日から約2か月経ちました。この期間、私を知る方からのご協力を得られることもあり一人また一人と利用して頂ける機会に恵まれています。手にとって頂ける事を喜んでいる時期が過ぎて最近は「売れるだけでいいのかな?」と思うようになりました。 私は、本を利用して頂けるその先にもう一つ私に出来る仕事があるような気がしています。この気持ちは本が出来た時に「この本を元にこんな事が出来たら…」と浮かんでいたアイデアがもう少し濃くなって現実味を帯びてきたような感覚です。私に何が出来るかなぁ?と毎日を楽しみながら探しています。
今日も仕事がありませんでしたので、一日中家の中。本を送る時の封筒を作りました。今は、ホームページを新しくしようとブログの開設にTryしています。 そんな中、先日子どもから名古屋へ来たいと連絡がありました。私もそう出来たらどんなにいいかと思いましたが、私の側の経済的な理由と心の疲れが残っている事を伝え、延期になりました。 後で気付いたのですが、私は子どもにその理由を伝えるまでの間、実行出来たらという気持ちとそれが無理な現実の中で揺れていました。それから(私の事をどこまで語っていいのだろう?)とか(こんなことは言っちゃいけない)とか考えて肝心なところを伝えられずにいました。でも伝えてみると…それらはいつかはできるようになることで、いつかは語れるようになることかもしれないと分かったのです。以前、心友の一人が「私は今まで、今の苦しみが一生続くように感じていたけれど…」と語っているのを聞いたことがありますが、今出来ない事はいつかは出来るようになる可能性を持っていることなのですよね。私は自分に出来るところからしていくことにしました。 それと、今回は子どもから返ってきた素直な文面から、力を入れている自分に気付かされました。私は私のままでいいのですよねぇ。子どもに事実を伝えてよかったですし、これからもそうしていきます。 子どもが持つ素直さは何かなぁと改めて思いますし、それは私の中にもあるものです。親は子どもから心育ちのきっかけを掴むことが出来ます。私は子ども達が持って生まれたものを壊さずに済むように、私を生きたい。私はもっと自己が確立し子どもを手伝える母になれるよう勉強します。
今日は休みですが、就職が決まるまでのつなぎに派遣会社へ登録をしているので家に居ても派遣会社から仕事依頼の電話がかかってきます。仕事が決まるとホッとしますが食べつないでいる感覚です。 (派遣の仕事は明日の保証がないような気がする)と思っているところへそれを確信付ける連絡が来ました。「来週の仕事は先方さんから取り消しがあったので…」。その一言は別の用事と一緒にさらりと伝えられ、私の方は聞き流すところを「えっ?なくなっちゃったの?」と聞き返しました。聞きなおしてよかったと安堵しましたが、本当に明日の保証がありませんでした…。違う事をしてみると違う世界を知ることが出来て、社会や自分自身を考える材料になります。 最近、感情と思考を切り離すという事を意識できるようになりました。感じたものを心からOKにしてあげられたら、たいていは「そして、どうする?」が見えてくる。本当に面白いです。と書いても出来ていない時があると自覚しています。子ども達の事です。思い出したり声を聞いたりすると「もっと傍で手伝えたらなぁ」と思い、先送りになっている現実を「今出来ることをする」という事で切り替えています。今出来ることは、子ども達が私の所へ来たい時に来れるように生活を安定させる事。まずは本のまとめを中心にしてきた生活から働いて収入を得る生活に切り替えることだと思っています。 働いて収入を得ることは心のことと同時進行ぐらいなのかな?けれど私はお金があっても心が不安定では子ども達を手伝うことが…。心が安定して初めて子ども達のしたいことを心から手伝うことが出来るからです。私は私に出来ることをしていくのがいいです。 私にはしたい事もあります。実は、16年も前から大学へ行って卒論というのを書いてみたいと思っています。大学に行かれた方数人のお話を聞くと「考える材料が増えるよ」と仰います。私もそんな経験をしてみたいなぁと思います。 私の次の目標は大学へ通うことにしようかなぁ。借金もあるので働く事でそれを返せるようになる日が近づくことも楽しみにしています。 と、いつも私をプラスに導いていこう。なりたい私を持っていたら、そうする以前よりは近づける。
私は子ども達に逐語式でメールの返事をさせてもらっているのですが、今回そのうちの一つのメールに逐語式で返事が届き、面白いなぁと思いました。私は子ども達からメールが来ると、この子達ともっと語り合いたいなぁと思います。それは彼女達の素朴さ・純粋さに触れることの喜びのように思います。 2回目の子ども宅滞在中のことですが、2人の娘と私の3人で布団に寝転がっていた時、上の娘が急にケラケラ笑いだしました。理由は友人との面白い出来事の思い出し笑いだったのですが、その笑い声がいかにも軽く爽やかなのに加えて、娘から聞くその出来事の中に、友人達と一緒になってケラケラ笑っている娘の様子が浮かびました。 その娘はいつまでも何度も思い出して面白そうに笑っていました。私は「あれっ?」と思いました。私は、長女はいつも静かにしている子というイメージを持っていたからです。その後ある事を思いました。私は子どもの頃、家の中や家族の前では声を出すことが出来ませんでしたが、外では笑いあう友人が居て、家の中の私と外の私が違っていたのです。(家の中はつまらなかったので、そうなるのは自然なことでした) 私の経験と娘のそれは別なのですが、私はこの事を思い出した時、長い間娘を偏った視線で見ていたと感じました。 話が前後しますが、2回目の旅に行くバスの中で、娘が小さい頃、人から離れて静かに遊ぶ娘を私の子ども時代と重ねて「もっとこうであってほしい」と望み娘と自分を苦しめていたと気付く出来事がありました。その後その娘の日常に触れながら「私は私で、この子はこの子なのだなぁ。そうだったのだなぁ」と何度か感じさせられました。娘が赤ちゃんの頃に私がその小さな泣き声におびえていたことの原因の一つに触れたと思いました。いろんな気付きはそれ以前の気づきの延長としてあるようです。何かな?どうかな?と物事を探求して歩くのは面白いと思います。
午前中に、中日新聞の方が私を取材して下さいました。幾つか質問して下さったので(どんなふうに伝えればいいのかなぁ?)を意識しつつ返答しました。私の事を伝えるのにはそれなりの時間が必要なのだなぁと思いました。新聞に載せて頂けるかどうか、まだ分かりません。 私は(私のすることが、将来子ども達が子どもを生んだ時、その子どもの育ちを手伝いやすい社会に変わっていることの小さなきっかけになればいい)と思っています。けれどもそのようになることがメインではありません。私の行動の全ては私の人生の為にあります。ヒトとして生きたい気持ちの延長でもあります。それは、動物が当たり前に自分を生きるのと同じような感覚です。私は私を大切にする時、他者や社会を大切にする事が出来ます。こんな私を、どのように伝えることが出来るのかなぁとアイデアを湧かせてワクワクしています。自然の感覚を大切にして生きているとアイデアもワクワク♪
アルバイト一日目。少し緊張する自分に気付いて「大丈夫。ゆっくりやればいいよ」と声をかけると、それでもうOKでした。 准看護師の仕事は2年ぶりのこと。その感覚も思い出し切っていませんので全て会社の方に伝えられた事のみをして、余計なことをしないように意識しました。それから、利用者の方の動きと言葉は大切にしました。 訪問入浴はヘルパー・オペレーター・ナースの3人のペアで働きます。移動の車内で話をしました。「今の人は感情を表に出さないよね」「私はすぐに感情的になるの」「本来は子どもの頃に悲しいとか嬉しいとかその都度表現して、親からそうかそうかと共感されて、どうしたらいいか考えられるようになって、そうして大人になるはずなのにね」「そうかぁ、それが出来なかったんだ」 「私は子どもの頃からずっと親に、長男なんやからと言われ続けて。だから家を出た。すごく楽になったしいろいろ勉強出来た。家に居る時はほんとに重たかった。今でもまだ重たい」「ランドセルみたいやな」「大人はみんなまだランドセルを背負ってるんだね」「降ろしたい」「是非降ろしてあげて下さい…」。 心の話をしながらも利用者の方のお宅へ着いたら切り替えて丁寧に仕事をしました。反応ゆっくりの私。皆さんに待ってもらえて助かりました。仕事復帰の一日目は楽に心地よい時間が過ぎました。 自宅へ戻ると、語り合った中のお一人からメールが届いていました。「子どもの頃の忘れもの。悩みの糸口が見つかった気が…」。私は(あの方はご自分に気付かれてよかったなぁ)と思いました。 別に、心友からもメールが届いていました。いつも心のことにアンテナを張ってありのままに生きているとありのままを語り合える関係が広がると実感します。そして私ももっと自分に気付きたい。気付けるように、私を大切にして動こう。
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