「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2009年12月27日(日) 心地よさ

 本日27日付けの中日新聞に、取材内容の記事が載りました。
振り返れば、まとめ作業をした1年10ヶ月間は人格の引き出しの蓋がオープンになった状態となり、してきた事をまとめているはずなのに今までよりも大変だと何度も感じました。そして本日の記事。
行動したことが形になって新聞というひとつの世界を通じて社会に伝わって感無量です…。
嬉しい理由はもう一つ。それは、新聞に載せて頂いたので、遠い昔に新聞の幼児虐待記事を読んで我が身を不安に思っていた私にプラスの精神史を作ることが出来たこと。さらにその日を振り返ると、これまで取り組んできて本当によかったと思います。それに、プラスを書いて伝えるということの1つにもなっている事を思うと、色々な情報をプラスに利用できる私がいた事を心から嬉しく思います。
そして、今日は昨日と同じように次に向かったスタート地点。私はこれからも1歩ずつ進みます。その私を、私がニコニコ顔で見守ります。
 夜、「お湯の中でのんびりしたい」と思いました。ホッとしたのかな…。「よかったぁ〜」の心地よさの中でお風呂に入りました。


2009年12月26日(土) 責任の取り方

 派遣会社に違う仕事の依頼の手続きをしました。人々が年末休みと語るのを聞いて、そういえばもうすぐ年が変わるのだなぁと思いますが、私の日常はいつもと同じです。
暖かい時間にぶらり散歩に出ました。この季節、太陽が当たる場所は本当に気持ちいい。陽だまりに座ったネコも同じような気持ちかなぁ、なんて独り言を言いながら仕事中心の生活から抜け出すと、心の底にある気持ちに気付きます。
私はまだ、子ども達が暮らす東京から帰ってきた自分を置いたままです。
東京滞在中に、子ども達が父親とも離れて彼の両親と一緒に暮らしていた頃の出来事を少し知りました。遠い場所から父親に宛てた文の内容は切実で、私が家を出たことが原因の一つだと思うと本当に心が痛みました。
東京を離れて時間が流れた今では、離れていた間に起きたことは私の問題とは違うと言えるように思います。けれども、子ども達は私と離れる以前の赤ちゃん時代に受けた影響の方が大きいですし、私は子ども達の心が健康になるのを手伝う責任があると思うのです。私がマイナスの社会に巻き込まれず反対にプラスを引き出せるくらいに能力を持っていれば子ども達を手伝う機会が多くあって、子ども達が大人になって子どもを生むまでにより多くの過去の補いが出来るでしょう。早くそうなりたいと思うのです。でも今はまだ成長途中。時々もどかしくなるのです。その自分に入り込んでいかないように、子どもの母である私を再び横に置いておいて出来る何かを探しているようにも思います。
幸いにも、根底の原因は社会や元パートナーの前に両親から受けた心の傷を抱えている事にあると知っています。再び離れた時間を使って過去の整理を丁寧に続けて、母をするという仕事のやり直しをさせてあげることにします。この捉え方を私の全体に沁み渡らせて、心の作業をしながらその機会が訪れる日を待っています。プラスに生きていたら、その日はきっと訪れるのでしょう。


2009年12月25日(金) 至福の時空

 今日は子どもの頃、かまってもらえず一人ぼっちにされた孤立感を抱えたチャイルドを癒やしました。そのあと視界に入る全てのものが暖かく感じました。
私はチャイルドを擁護する事が出来ますし癒やしの作業を経て自分を愛する事が出来ます。愛は私の心にあるのですよねぇ。こんなことを自身で気付く瞬間は「至福の時空」を感じます。
自分をプラスに捉える時、私は自分をファシリテイトする事が出来ます。私はこれからも日々の気付きを大切にします。


2009年12月24日(木) プラスの方向

 一昨日面接を受けました。当日夜、その医院で働きたいと思いました。昨夕の仕事帰り、その医院へ連絡をしようとしましたが他の選択肢もあり気持ちが揺らいでいたのでもう一晩置くことにしました。そして本日、仕事の合間に電話を入れました。ところが、私の名前を伝えたとたんに「うわ〜。今別の人から電話がかかったばかり。タッチの差だったよ〜」と言われました。私の心もうわ〜ん。
ショックが大きかった…。適度な仕事と休憩時間、適度な収入という好条件だったのに、昨夕のうちに電話をしておけばよかったと思っても後悔先に立たず。
自宅に戻って自分と対話しました。いつの間にか、出版費用の為にお借りした金銭を返せるようにならなくちゃという気持ちが基準になっていて、それが出来る方法を探して入り込んでいました。でも、私にお金を貸して下さった方は世の中にある高利貸しとは違うのです。私は自分の心と体を大切にして人生を楽しみながらお返しできるように生きているうちに、お借りした金銭はいつの間にか返済し終わっていたということになるものだと思います。1ヶ月に1万円返そうという気持ちでいればいつかは返済が終わります。途中で死んでしまって返せなくなったらごめんなさいと前もって謝罪させていただいて、それから本当にそうなってはいけないのでもう少し早く返すように動きます。
心に丁寧に耳を傾けると、普段無意識にやり過ごしていると思われる気持ちに気付くことが出来て安心します。
 働くことの疲れは心地よく仕事は楽しい。派遣業務でも貯金が出来るくらいに働く事が出来るので、しばらく仕事探しはお休みにしようかなぁ。私は私の心に楽に働ける方法を選ぶのがいいです。プラス思考を使って生きていると、物事も自然にプラスの方向へ向かうと思えています。


2009年12月23日(水) 出来ていたこと

 今朝「私がながく続けてこれた事は何だろうと」と考えていたら、心の作業を約7年間続けてこれたことに気付きました。この作業は仕事が変わっても風邪をひいても、台風や地震が来た時も続けることが出来ていたのです。私は物事を持続させる力が少ないと思っていたので、気付いた時は頬が緩みました。
 迷いがある時、自分に耳を澄ませると迷っている理由が解ります。原因が解るとその事について自分と語り合い方向を決めることが出来て安心します。その後、楽しい時間を過ごせます。明日の仕事が終わったらその後5日間も仕事がありません。ないものは仕方がないので出来ることを探して楽しみます。そして、出来た事を心に沁み込ませます。


2009年12月22日(火) 意図

 今日は約2年ぶりに採血針を触りました。私は以前から、注射や採血で針を刺される方の痛みが少ないように細い血管にも入るような工夫を楽しめる思考を持っていました。今日は2年ぶりでしたので少し緊張しましたし、刺された方にはご迷惑をおかけしたと思いますが、針を刺すという行為については、体に沁み込んだ能力は日にちが開いても大丈夫なようです。古い細胞の記憶力に感心し、まだ看護師の仕事が出来るなぁと思いました。
けれど、私は今「何をしたいかな?」を探しています。子どもが「将来何になりたいかなぁ?」と未来を夢見るのと同じ感じがするので、過去にしたかった事をしていると言えるかもしれないのですが、したいことがいろいろあるせいか時々その選択肢が整理できなくなります。
昼休み、同僚達に「どうして看護師になったの?」と聞いてみました。数人の人が「親に勧められたから」とか「おじいちゃんが死んだから」とか言いました。「違う仕事をしてみたいと思う?」と問うと「出来ないもん」と言いました。
私は大学にも通ってみたいですし外国で暮らせるくらいに英語が話せるようにもなりたいですし正看護師の免許を取ることも視野に入れています。他に、あれもこれも、時間と労力さえあれば浮かんだことが全部出来そうな気がしています。
その中で、看護師という仕事は今最も身近にあり広げやすいところなのです。働きがいのある仕事だと思いますし丁寧にした分だけ知識を知恵に変えることも出来ます。(人は誰も皆、その事を丁寧にしていけばその事に関するエキスパートになれると思います)。昨日面接を受けた場所はその知識を得るには最適だと思うのですが…。
 今日も仕事帰りに面接へ行きました。内視鏡の検査をする設備が整っていました。先方さんから「いい方向に考えてみてください」という返事を頂きました。それから「素直な方ですね。ぜひうちで勉強して下さい」と伝えられました。面接の場所では素通りしましたが、後で思い出して、素直という言葉に心が温まりました。就職するかどうかを私の方から伝えることが出来ます。3ヶ月くらい働くと貯金が十分できるくらいの収入になります。
そして、私は何をしたいの?ともう一度自分に問います。医療の勉強をするのなら昨日の病院。通信制の大学へ行く道を選ぶのなら今日の医院。看護学校へ行くのなら国立の看護大学へ行けるくらいに丁寧に勉強すると安い学費で勉強出来るのですが…。幾つかの選択肢のどれかを選んで今週中には就職場所が決まるかな?
 こんな私。以前からそうなのですが環境が変わるとそれまで取り組んでいたことがすっぽり抜けてしまう思考。私の糸をたどることもしています。人格の事を本に残した私はその後の私を伝える必要があるでしょう。いつか一人になれるまで、その取り組みを文字に残しておきたいですし、そうする必要がある。このように意識して生きると、いつか一人になれます。


2009年12月21日(月) 就職活動

 病院へ面接。募集要項を確かめて決めたのですが「准看護師の正社員は募集していないの。でも、パートで働いてみますか?」。他に、2次救急指定ですが整形外科では最先端の医療を取り入れていますと説明を受けました。私は救急病院で働ける能力は持たないのですが手術をして歩けるようになったり傷口を洗ってきれいに変化していく様子には興味があります。院内を見学し人々が働く様子を見て「働いてみたい」と思いました。でも、パート勤務なのでサラリーが少し少ないのです。何年働いても正社員になれることはないそうなので迷っています。
 夕方職安へ行ってみました。気のせいか、正看護師の名前が目立って見えました。実際に、准看護師の募集は以前よりも大分少なくなりました。医療行為の少ない介護施設も大手のところは正看護師のみです。四角い免許証を重視しているのかな?きっと、質の良さや中身の濃さを求めているのですよね。
もうすぐ年が変わります。私はせっせと就職活動。来年には新しい職場で働き始めたいなぁ。


2009年12月20日(日) 私に

 最近仕事優先で食事づくりが後回しなっているので食材の作り置きをしました。出来たての鳥唐揚げはおいしい。カリカリの皮をかじって東京の生活を思い出しました。家族の食事を作るという仕事を楽しみましたし、またそんな機会があるといいなぁと思います。今は子ども達と離れて暮らしているけれど、以前よりは近い位置に居ますし離れていても出来ることがある。丁寧に手伝うことも意識できるようになっていますから大丈夫です。
 元パートナーの事も思い出します。最近分かってきたことは、私が家を出なければならなかった理由の一つにパートナーとの心の不一致が大きかったということです。けれどこの事に関して最もいけないのは私の両親です。父も私を愛さなかったのだなぁとしみじみ思います。そしてチャイルドを癒やしています。そのせいかな。私はこの頃、結婚する前後の事を思い出せるようになってきました。出来ていることが増えているのでしょう。
出来た事と言えば、雪が降った作朝は仕事に行けるすがすがしさの中で出勤し社会の言葉を適当にいなして仕事を終え、私の日常は以前よりも軽くさわやかに通り過ぎているように思えました。私は、私がどうするかを自身で決めることが出来ます。成長の証が日常生活の中にもあることを心から嬉しく思います。
そして、もしも私が24時間いつもどんな時も自由であるならば、私が自分が感じているよりももっと自由な人生を満喫しているのでしょう。自由を自由と感じないくらいに自然に添って生きているのでしょう。出来た事は自然に私に浸透し次を描いているのでしょう。私はそんな自分を探したい。このように意識して生きることは私をもっと自由な人生に導くでしょう。


2009年12月18日(金) 優先

 仕事の合間の休み時間に、次の仕事の予約の電話を入れました。仕事が入ったことにホッとしつつ、これでいいのかな?と疑問も持ちます。
その中身は、今私は世間の人々と同じように仕事をしてサラリーがもらえるようになることを目標にしているということです。家に帰るとご飯を食べてお風呂に入ってのんびり。次の仕事の為に22時前に寝て、本の事などをする余力は仕事の為に先送りにしています。
そして、今は生活を安定させることが第一優先なのでこれでいいよという結論になります。今している事は、子ども達の手伝いをしやすいようになることにもつながっていると思います。


2009年12月17日(木) 辛抱

 昨日の仕事は寒空の中、寒いも暑いも後回しにしてこなしました。以前なら「寒い自分を後回しにするなんて心身ともに悪い」という理由で続けられなかったけれど、今は経済的な事情もあるせいか辛抱の時と思えるようになりました。以前辛抱と我慢の違いを聞いたことがありますが、最近やっと、「辛抱」は心から納得して前向きに捉えてその事をしているときの状態と分かりましたョ。辛抱の時を過ごした後の休憩タイムは快適なのです。
 そして休日の今日。朝一番に、採用される方向だと思っていた面接先から不採用の連絡をもらい、ため息が出ました。けれど以前は不採用になると、まるで世界中の人から見捨てられたかのように落ち込んでいましたが、今回は残念ではありましたが間もなく「次を探そう」と思えました。別の一か所はこちらからお断りしたのでもう一度スタートラインに立ったのと同じです。お財布ギリギリの生活を不安に思う時がありますが、楽しんでいる部分もあります。
 昼前には先日電話を頂いたへ本を一冊郵送しました。その後、メールで頂いた本の感想を読んでいるうちに「掲示板」を設けようと浮かびました。これまでにお聞きしたどなたの言葉も本来もっと語り合う必要がある内容だと思うのです。
それと、先日ある公的施設の前でチラシを配った時、その施設内ではNPOや何かの肩書きがなくても語り合える場所があり、その場所を利用するという条件付きですが、チラシを掲載して頂けるという事もわかったので、来年の始まりを目標に会場を取ることが出来るといいなぁと思っています。そのことをイメージしていると又新しいアイデアが広がって楽しい。本来、仕事もこのような感じで出来たらいいのですよね。そして、色々なことは心が楽になったところから自然に、行動も言葉も変わってくるということでもあると思います。プラスは私から。というわけで辛抱生活の中に、さらなる楽しみを探している Mamo でした。


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