「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEX|past|will
昨日から二人の心友達が暮らすお宅へ泊りに行きました。場所は小牧市の端っこ。電車とバスを乗り継いで待ち合わせ場所に着き、迎えに来た心友の顔を見た時、まるで田舎へ帰ってきたような懐かしい気持ちになりました。それは生まれた場所へ戻ってきたような感覚でもありました。 三人でバトミントンをしました。心友のうち、一人はまだ少年なので、私は彼とゲームをする時どんなふうにしたらいいかなぁとイメージして、私が野球を習った時と同じ方法をしてみました。私が羽を早く低く返すと彼も早く返すようになったので、その方法でいいような気がしました。 夜は3人で川の字に並んで寝ました。布団や室温の都合上、私が真ん中でした。間もなくスヤスヤ寝息。目が開くと両側に女の子と男の子が寝ていて、そこで寝ていた自分が不思議でした。そして何とも言えないやさしい気持ちになりました。 私はいま引っ越しを考えているので、心友のお宅は通勤に便利かどうか確かめるために早起きをして出勤経路を歩いてみました。すると、今住んでいる家から通うよりも朝が早くなり時間がかかることがわかりました。動いてみてわかったことですが、住みたい場所の基準を決める材料になりました。 今日は他にもいろいろなことをしました。いろいろと楽しいです。
病院で働いていると高等看護師の資格を取ってもいいかなぁと思えてきます。長い将来のことを思えば2、3年という月日はあっという間のことだと思います。 けれど、母の仕事を持つことを思うと別の思いが浮かんできます。私は先に生まれたものとして、私たちの生きている世界は無限だということを伝えたいのです。私たちはどの国の人とも語りあえますし、世界中のどこでも暮らしていけるのです。 私がこれらのことを子ども達に伝えるのには、私自身がそのように生きるといいと思います。子どもは私の生き方を見て自らの人生を考える材料にするからです。 このように、母としての私の視点で捉えると、先に書いた高等看護師の資格は私にとって小さなものになっていくのです。 子ども達に伝えられたらと思っていることは他にもありますし、これからも浮かんでくるでしょう。人生を通して私を伝えることは、離れていてもできる仕事の一つでしょう。そして、プラスの思考で生きていたら何を選んでも大丈夫、というところはいつも同じです。
朝の電車の中で『Emile』を読んでいます。その文章の一つ一つに女性が女性として心地よく生きられる法則が入っていて、まるで大学で何かの講義を受けているようですし、心に安らぎが広がります。 心地よさの中で仕事をはじめ、そのまま夕方を迎えています。
仕事。いつも就業終りの時間になると、日勤の仕事が残っていても周りのスタッフに「送迎バスだからもう帰っていいよ」に声をかけられます。私も定時で帰りたいのでその言葉に甘えていましたが、バスのために毎日仕事を変わってもらうことに抵抗がありました。それで今日は「私だけ特別というのはよくないと思うので、大丈夫です」と答えました。責任者は最初「じゃ、好きなだけ働いて」と言いました。けれどもその後私のところへきて「でも私の方が気になるからやっぱり帰って」と言いました。私はその言葉に安心して、帰宅することにしました。後ろで「走らなきゃ間に合わんよ」と声がしました。その声がさわやかに聞こえたのは私の戸惑いを伝えることが出来たからかもしれません。 家に帰ってから、リカバリしたパソコンのデスクトップの背景に新聞取材の記事を載せました。見ているだけで楽しくなります。
昨日から二日間の連休を楽しみました。昨日は有志会があって心のことを語り合い、人生には私の知らないことがたくさんあると改めて感じました。新しいことをしようとする時、傷を抱えたままの思考が邪魔をすると、そのことをする前にやめようとするのでプラスを意識することが大切です。 私はもっといろいろなことをしてみたい。したいことがたくさんあって体が二つほしいくらいです。今日は部屋の中で英語を流していました。こちらも新しい世界のことです。楽しんでいます。 夜、本を買ってくださった方から電話がかかりました。その方は遠方にお住まいですが、心のことを勉強したいと言いました。私は癒やしの作業に使っている本のことをお伝えしました。
心の成長度合いに比例して「世の中がもっと変われば」と切実に思います。私に何が出来るのかなぁと自分の能力を確かめたい気持も手伝って、毎日アンテナを回転させています。 私は今仕事をしています。仕事に全部をつぎ込んだり、つぎ込まされたりするとアンテナを張る余力がなくなります。一般に、人は大人になると働きますが、私達が生活の為だけに働いているのなら、その成長は小さく日常は平凡で、自分の中に無限の可能性があるということを知らずに、仕事で疲れた心をお金で癒やして修復して、働けなくなったら自分の命の価値がなくなったかのように老いていきます。今の人々はみなその状態で生きながらえているのだと思います。 私は、働くことの意味はもう少し違うところにあると思います。と言っても、私も今月から借金を返済できる生活のスタート地点に立ったばかりで出来ていることは少ないのですが、アンテナを張っていたらきっと私にも何かが出来ると思っています。実際に未来に向かった話題を見つけると嬉しくて明るい気持ちになります。 したいことがたくさんあって、それが点でもいいから社会の変化につながればいいと、切に思う今日この頃。
就職5日目。午後2時半を過ぎるとパートのナース達が一斉に帰ってしまい、リーダーナースと就職して5日目の私だけになりました。リーダーナースはリーダーの仕事がありその他のいろんなことが私に回ってきました。申し送りを一度も聞いていない患者さんの処置をする。情報を探して電子カルテを広げるけれど、そもそもその情報は画面のどこにあるのかしら?と探している間にもコールが鳴って、なかなか行きたい所へ行きつきません。この体制はどういうこと〜?と疑問が湧きました。 送迎バスで会う医師の言葉を思い出しました。「ここは田舎で職員不足だから待遇はいいよ」。それはそうかもしれないけれど…。待遇が良くても無理をして働いていたらいずれ私も倒れてしまう。そしていつかベットの上でおむつを換えられる時間を待つだけの人になってしまうかもしれない。看護記録によると、ベットで寝ている人々はみな、倒れる直前まで何ら変わりない日常のことをしていたようなのです。私も今は手伝いをする側にいるけれど明日には反対の場所に居るかもしれません。私がもし脳梗塞になったら? 今の日本は倒れた人を手伝う人が居る社会があります。その受け皿を広げようと、出来る方が動いて下さっているそうです。それはいいことで必要なことだけれど、だけど倒れた人を手伝うことばかりでは倒れる人は減っていかないのだから、手伝っている人々も倒れていくかもしれませんしそんな方も実際にいると思います。これから、人が倒れないようにする仕組みを先に作れたら、今ある問題は半分くらいに減るかもしれないなぁ。社会が今までと反対の仕組みになればいいのになぁ。 …と思いつつ、就職5日目を終わりました。
昨晩は早くに寝たので、今朝は体が楽でした。新しい事をする時にはそのように優先順位を作ると楽なのですねぇ〜。 私は今研修期間なので、ナースから指導を受けています。時には伝えられる事が伝えて下さる方によって違うこともあります。片方ずつに確認すると双方が違う意見の方に遠慮されてうやむやになって、私はどうしたらいいのか分からないので、皆さんが揃っている席で責任者の方に「この事はどうしたらいいですか?」と確認して解決しました。不安なことも丁寧に確かめると楽になります。 今日は電子カルテの入力もしました。電子カルテはパソコンの台数に制限があったり起動が遅かったりすると時間がかかるというデメリットがありますが、私は鉛筆で書くよりも楽です。 指導ナースは「今日は60点だね」と言いました。私は他者から点数を付けられるなんてイヤだなぁ…と思いましたが新しい世界を知っているから大丈夫と切り替えました。私の使っている方法はもう10年以上も前のもので古いので新しい方法を知りたいです。 帰りの電車の中では、心のファシリテイターという言葉を思い浮かべて楽しみました。私はプラスが広がるように行動したい…。
3日目。眠たいなぁ、体の疲れが取れていないなぁと朝のバスの中で独り言。でも、行きたくない理由を聞いてもらえなかったチャイルドを癒やしてすっきり出勤。 仕事はさらに細かい事を聞きました。説明の言葉はよく聞いていると話が脱線していることが多いので、私は脱線に気付いた時は「それで、これはこういう事でいいですか?」と確認をしました。 明日から3部屋の10人の受け持ちナースをすることになりました。頂いた資料にはもう忘れてしまっている医学用語の省略語が並びました。丁寧に仕事をする為にはその人が持っている病気や薬の知識などを知っている必要があると気付くと同時に「看護師だったのだなぁ〜」と、アルバイト先でしていた仕事との違いと責任を感じました。家に帰ってから勉強をしました。得た知識の分だけ心の余裕も増えました。
二日目。昨日よりも少し状況が分かり、患者さんともゆっくり話が出来ました。 昼休み、ありがちなことですが、社会は人の噂話が多いです。私はプラスの会話が好きです。私も自分の事を尋ねられますが、今はどこまで伝えられるのかなぁと様子を見つつ、笑って終わりにすることもあります。 夕方近くになってから、透析から帰ってきた患者さんが急変したので、普段終わっているはずの処置が終わっていませんでした。私はその処置に回りました。就業の終了時間になってしまい、送迎バスに間に合わないけれど仕方がないなぁと思っていたら、他のナースが交代してくれたので定時に帰ることが出来ました。でも、毎回特別に扱ってもらうのは難しそうなので、早く夜勤に入りたいと思いました。私は、業務を把握できた後は夜勤専属になるのです。 夜勤専属ナースの出勤は月に9回と決まっています。(9回と言っても日をまたぐので18日ですが)夜勤者はよほどの緊急の時以外残業はないはずなので、その日までは帰りが遅くなっても辛抱します。
|