カウントシープ
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2005年01月21日(金) 感触の保続

ボクはTシャツを、プラスチックケース1つを埋めるくらい持っている。正確には、ボクと相方の兼用のTシャツで、DOGDEPTのヤツが半分位、後はふらりと出歩いているときに買ってきたもの。

どれも気に入っているけれど、特別気に入っているのはたったの3枚。一枚は寝巻きとして着ているもので、あとの2枚は相方が沖縄から持ってきた(相方は沖縄からやってきた/現在の居住地は沖縄ではない)もの。
他に沢山あるのについそればかり手にしてしまうので、段々草臥れてきている。

身体に接触するモノには、どうしても心地よさを求めてしまう。もちろんここに一枚のTシャツしかなければそれを着るだろうけれど、選択肢があれば気にいったものに手が伸びる。
お気に入りのタオル、毛布、靴下、歯ブラシ…
かくして気がつけばいつも同じものを選んでいる。

感触において、多分ボクは多少固執傾向にあり、これは幼児性を含むように思う。ライナスの毛布よろしく、何か同一のもの、それも感触を主体とした物体に対する愛着。いつも抱いているヌイグルミ(これは少女より少年のほうに多いエピソードという印象)、口元に寄せているガーゼのハンカチ等。幼い子供達には、失いたくない何かの変わりに、安心を保障する何かの変わりに、手にする対象が必要なのだ。

しかし、水色の毛布もヌイグルミもまた、段々と草臥れ色褪せていく。ヌイグルミは汚れて耳や手がとれてしまう。そうしていつか対象と離れる日が来るのだ。それは新品の同じ製品では成り代わることができない、二度と戻らないもので、以後は手に触れられない記憶として、保続されていく。


2005年01月20日(木) 思うことの力

一晩立つと、腹も括れた。不思議なもので、昨日はもう死んでしまうような未来ばっかり考えていたのに、今日になったら、病気に立ち向かう気持ちがずっと強くなって、本当に治ると思えてきた。実際治る確率のほうが高いのだから、そうそう悲観的にばかりなることもないのだが、やはり時間の経過というものには不思議な力がある。

癌になったなどとあまり人に言えたものじゃないが、他に言いようもないので、色々考えた末、まずは友人に打ち明けた。このショックもきっと共有してくれると思ったし、共有して欲しいと思ったのだ。大切な友人だから、彼らからの力を貰ったら、きっと病気に立ち向かえると思った。

事実、友人から貰った気持ちは、思っていたよりもさらにずっと強い力だった。同じようにショックを受け、何ともいえない思い気持ちを抱えながら、一緒に応援してくれて、またこの日記を見た友人達からも今またメールを頂いたりして、そうしているうちにどんどん気持ちが強くなっていくのが解る。これならやれる、と確信していく自分達がいて、それは昨日と比べると不思議なくらいふっきれたような気持ちだ。

皆ありがとう、とても感謝しています。


2005年01月19日(水) 泣いてはいけない

一日明けて、少しショックが治まってきたので書こうと思う。

ボクには伴侶がいる。2年前に生涯を共にすることを誓ったのだが、そいつが癌に罹っていたことが昨日、解った。一週間前に組織検査をうけて結果を待っていたのだが、悪性だと聞いたときには目の前が真っ暗になった。

相方は、ボクの顔をみたらポタリと少しだけ涙を流した。自分のことでは滅多に泣かないヤツが泣いたので、ボクは間抜けにも『何とかなるさ』としか言えなかった。
まだそんな年齢でもないのに、なるときはなるのだ。

一緒にお昼ご飯を食べた後、ボクは仕事に戻ったけれど、それからは殆ど上の空だった。いつもより少しテンションは高かったかもしれないけれど、そうしないと涙が浮かんできそうだった。不謹慎だけれど、相方が死んでしまうことを想像した。突如一人ぼっちになってしまう想像をしたら、悲しかった。そんなはずは無い、手術をして治るんだ、と思いながら、悪い想像がどうしても浮かんできた。

家に帰ってからそのことを話したら、相方も自分が死ぬことを考えていたというので、色々話した。ボクを残しては死ねないというので、ボクはまた泣きたくなったが、今はコイツの前で泣いてはいけないと思ったので泣かなかった。

昼間、病院で泣いたのはどうしてか、後で聞いてみたら、(聞くのは心無いかとも思ったけれど、どういう涙だったのか知りたかった)ボクの顔を見たら安心したと言ったので、ボクは出来ることは全部してやろう、と思った。


ロビン