カウントシープ
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夜の散歩から帰ってきて、晩御飯を作ろうかななどと考えていた頃。 普段は聞きなれない音が聞こえてきた。
それは最初、外の車のドアを閉める音だと想像された。 ところが2度、3度と続いたので、今度は犬の悪戯だと思ったが、犬は3匹とも傍にいる。今散歩に連れて行ったばかりで悪さをすることもないか、と思いなおし、次は猫を何処かの部屋に閉じ込めたのか?と考えた。が、猫はいつもの定位置、我が家で一番良い椅子の上で怠惰なポーズをとって寛いでいる。
ボクはセコムのブザーを片手に(これを押すとセコムの警備員がやってくるというもの)、相方は護身用のぼうっきれを片手に、家中電気をつけて見回り始めた。ウォークイン・クローゼットを開けた時、表に出して飾っていない人形達と視線が合って、まさかこの子達が?などとチラリと思いつつ探索してまわった。
音の正体は、屋根を滑り落ちる雪の音だった。 何のことはない、普段しない音がしているのだから、普段はないものを考えれば直ぐに想像つくことだったけれど、氷柱のひとつも見たことのないこの土地では新鮮な音だった。
翌朝、子犬がポーチで吠えているので何だろう?と思ったら、落ちてくる雪と戦っていた。まだ世界の何事にも興味が湧く年頃なんだろうな。
夕方から雪が降ってきた。 出勤の都合を考えれば雪は困るのだけれど、やっぱりちょっと嬉しい。いつも見慣れた風景が様変わりするからなのか、雪が降るときにワクワクするような気持ちになるのは、子供だけではないように思う。
犬達も雪が好きだ。この現象をどう思っているのか解らないが、飛び跳ねたりスライディングしたりして遊んでいる。残念ながらこの土地ではせいぜい5cmの積雪程度なのだが、雪山に連れて行くと何かもう狂ったように走り回る。そして、散々走り回った後で、足から血を流して帰って来るのもいつものことで、何処かで切ってきてしまうのだが、『雪の下に何かあるかも』という想像力はないらしい。
人間と暮らしている犬は、常に危険を人間が回避するから、学習できないだろうし。相方が子供の頃の沖縄の犬は、繋がれていなくて町を1人で歩いていて、ちゃんと車の往来を確認して道路も横切っていたというからね。
一番若い子犬は、雪が落ちてくるのが気になるのか、パクリパクリと舞う雪を食べて回った。次から次へと落ちてくるからそのうち厭きたみたいだけれど、ちゃんと食べ応えあったのかな?
以前、ある人から植物を貰った。 それは、野球のボールくらいの大きさの丸い苔に、3種類の植物が植えてあるもので、時々水につけて面倒を見る、というものだった。その人は「私と御揃いです」と言ったので、そうかこれから別々の家で一緒の植物を育てていくのだな、と思った。
植物は可愛かった。 ボクは早速家に帰って、大きさに見合う受け皿を準備し、水につけてあげた。これからどんな風に育つのか、楽しみだった。
だが、ある天気の良い日曜日。 日光浴をさせていたらあっという間に、同じく日光浴に出した犬に食われてしまった。食ってはいないかもしれないが、ちりぢりバラバラになって、拾い集めてももう元には戻らず、残った葉を水に差しておいたがやがて枯れてしまった。
それ以来ボクは、その植物と似たものを探している。苔に何かが植えてあるものはよく見かけるが、3種類の取り合わせのものは見かけない。せめて2種類でも一致したものがないかと思うけれど、なかなか巡り会うことができない。
ロビン
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