カウントシープ
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机の上を片付けていたらメモが出てきた。それはCDの情報が書いてあった。
以前友人のHPに遊びにいったら音楽が流れて、聞き覚えがあって好きな曲だったけれど、どうしても思い出せなかった。宮崎アニメとかの曲かな、ラピュタかな、などと思っていたが、ある日−それまでに1年くらい経過しているけれど−そのHPに貼ってあるリンクを調べたら全然違って、それは[クロノトリガー]というゲームのサウンドトラックだった。
ボクは人につられてゲームをやっていただけであまりゲーム歴がないけれど、このゲームはやったことがあるのだ。RPGで、キャラクターデザインが鳥山明氏で、スクエアのソフトだった。時をかけて少年少女やロボットが未来を取り戻そうとするファンタジーだったが、時折すごく物悲しいエピソードがあったりしてなかなかドラマティックだった。
そのゲームの音楽はどれも好きだったのだけれど、何年か経って思わぬところで再会したら、何だかとても聞きたくなって、CD情報を調べるまでは早かったのだけれど、肝心のCDはショップでは見つからなかったのだ。本でもCDでも、本当は手にとって買いたいと思うけれど、古いゲームなのでやっぱり無理かな。
時計を取りに街に出かけた。入院前に預けたあの時計だが、相方が退院する前日に、修理が終わったという電話が入ったのだ。やっぱり時計は持ち主と共にあるものなのか。
ちょっと、大きなおじいさんの古時計 みたいだ。
おじいさんと一緒に古時計が壊れて動かなくなるところが、センチメンタルでこの曲のもう1つの魅力だけれど、他にこんな風に[実は悲しい童謡]って多いよね。グリーングリーンだって、明るいフレーズで皆大好きなこの曲も、最後の歌詞ではパパがもう死んでいないことを示唆しているし。
そもそも童話自体が結構シュールで、驚くことや楽しいことと同時に悲しいことも盛り込まれていて、理不尽なことも力いっぱい盛り込まれているし。今思い出したけれど、[花さか爺さん]の飼っていたシロという犬は、隣のおじいさんに殴り殺されちゃったんだよな。良いおじいさんはその遺灰を枯れ木に巻いて桜を咲かす話だったけれど、シロのことを思うと浮かばれない。
[スーホーの白い馬]も、とても悲しいお話だった。白い白馬が血だらけになって矢が沢山刺さっても走ってご主人様のところに帰ってくるのだ。お話の中の動物達はいつも、死んでまた桜の花や馬頭琴になって戻ってきたり傍に居てくれたりして、対象の消失と同時に、ずっと一緒に居られるという、物質的でない想像の世界へのイメージがこの頃に形成され、悲しみを乗り越える術を見につけていく力が養われていくように思う。
朝起きて、一番に感じるのは窓から差し込む光だけれど、最近は雨が降ることもしばしばで、そういう朝は光じゃなくて水の音で目が覚める。それは雨の音ではなくて、家の前の通りを走る車の、タイヤが水の上を通る時の音だ。
朝から雨が降れば空は暗いし、傘を差して歩くのも面倒だし、濡れれば不愉快だし、犬の散歩にも支障が出る。雨が降ると憂鬱になるのは仕方がないことだと思うけれど、雨が嫌いな訳じゃない。木造の我が家では屋根に落ちる雨音がよく響いてそれはそれで聞き入るし、傘に落ちる雨の音だって好きだ。
ポストカードやレターセットや、そういったお気に入りのものを眺めてみたら、雨をモチーフにしたものが幾つかあって、イメージの世界では雨にシンパシィがあるみたい。以前日記に書いていたお天気マグカップだって、雨が一番お気に入りだ。
雨と同じくらいすきなのが虹、でもこれはゲイの象徴だからかもしれない。
ロビン
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