カウントシープ
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昨日は山奥で泊り込みの仕事をしていた。
山奥といっても、ちょっと車で数十分(!)移動すれば、コンビニに辿り着けるような山奥なのだが、H”(仕事時&移動中用)の電波が入らずネットができなかった。流石に携帯は入ったけれど、久しぶりでビックリ。何とか受信しようと窓際に張り付いてみたり、怪しい行動で悪あがきしたが無駄に終わった。
途端に閉塞感を感じて、広い部屋なのに何となく居心地も悪くなった。(この仕事は部屋に1人ぼっち) ボクは今のところ花粉症ではないのだが、子供の頃はアトピーがあったりとアレルギーの気がある。そして山奥なことが原因なのか、なれない仕事へのストレスなのか、晩飯に出てきたおかずが合わなかったのか、全身痒くなってきてやや呼吸困難気味に・・・持っていた抗アレルギー剤を内服したけれど、どうにも具合が悪かった。
朝、やっと外に出られたときは、朝日が3割増しに眩しかった。
ボクの家には目覚まし時計がない。一個前の、もう携帯電話としては使用しなくなった携帯が枕の下においてあって、毎朝起こしてくれるという具合だ。 携帯電話はボクの分と相方の分の2個、それぞれ3回くらいセットしてある(寝起き悪し)ので、計6回音楽が鳴ることになる。音楽はそれぞれメロディを変えているのだけれど、当然、最後に鳴るメロディをしっかり覚えていて、それが鳴ると諦めて起きる。
最初のメロディで起きたなら、朝ごはんが食べられる。 次のメロディで起きたなら、朝のシャワーをゆっくり入れる。 最後のメロディで起きたなら、ご飯も食べれずシャワーもそこそこで飛び出していく。
もっと早い特別なメロディもあって、そいつで起きたならお昼の弁当が用意できるのだけれど、なかなか朝は起きられない。2人とも朝にはまったくもって弱いのだ。
関係ないけれど、ペールギュント組曲の「朝」という曲(グリーグ作曲)、ボクの中学校ではこの音楽が鳴り出すと朝の会が始まった。(=この音楽までに教室に入らないと遅刻)この曲も携帯に入っているのだけれど、どうもこれで起きる気にはなれなくて、曲は携帯の中で眠ったままだ。
ボクがこんなことを言っていちゃいけないのかもしれないけれど、髪の毛がなくなった相方はやっぱり可哀想に見える。今までフサフサしていた茶色い髪の毛は今は全部なくなって、ほんの少し、産毛みたいな髪が残っているだけだ。相方は気にしていないよ、というけれど、ボクは気になる。見るたびにはっとするし、撫で撫でしてしまう。
1つ判ったことは、髪がなくなることで愛は変わらないということだ。病気でなくなるのと加齢でなくなるのは違うかもしれないけれど、髪がなくなったって相方が相方なことに変わりはない。そんなの当たり前じゃないか、と言われそうだが、髪の毛がなくなると外見の印象って随分違うものなのだ。
抗癌剤が終わったらまた生えてくるから・・・という安心?があるけれど、もしずっと髪が生えてこないままだったらそれでも愛しているかといえば、やっぱり愛しているんじゃないかな。相方はもう自分の気持ちの一部にもなっているので、病気を抱える気持ちも、乗り越える苦しみも、失う悲しみも、共有した今では、髪の毛のない頭だって2人のものなのだ。
ロビン
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