カウントシープ
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ある日、外出から帰ってきたら、今朝まで居なかった鳥の大群が、家の前の電線に群がっていた。この近所には常に鳥の大群がたむろっていて、少し筒移動しているのだが、今度はボクの家の前に移ってきたようだ。
鳥は好きだがここに大量に移住されては困る、とボク達は思った。ふとボクの家の屋根を見ると、3羽の鳥が瓦の隙間に入り込もうとしている。とりあえずその3羽には撤退してもらいたいナと考えていたら、相方が「何とかしてみるよ」と言った。 とりあえず家の中に入って荷物を置くこと3分、相方が戻ってきて「みんな居なくなっちゃった」と言った。ホースで3羽に水を向けたら飛んでいった、と言った。どれどれ、と思って外に出たら、3羽どころか全部居なくなっていた。
空が真っ黒になるくらい沢山いたのが、みんないっぺんに飛び立って、それからもう半年経ったけれど、2度と戻ってこない。
3羽に煽動されたのか、相方の気迫が伝わったのか?断っておくが、相方は鳥が好きなんだけれどな。
誰だって自分のことを知って欲しいし、一方では暴かれたくない。人には他者との距離というものがあって、完全に融合することなどできないし、そうなった世界は恐ろしい境界線のない世界だろう。
ボクはとってもナルシストなのだと思うけれど、随分前から双子妄想みたいなのがあって、最近はそれは薄れてきて、それはボクの対象をボク以外にちゃんと見つけているからだと思う。
『この世界にもう1人のボクがいて、そいつはボクと同じものでできているからボクを全部理解していて、ボクはボクが持っているどんな部分をも隠すこともなく振舞うことができる。ボクを許してくれる存在』
例えば子供が、鏡の中に映った自分と話したり、映画『シャイニング』の中でダニー少年が自分の指に名前をつけて話してみたりしているが、子供達の心には時に、こういうもう1人の自分という対象が生まれるケースがある。
大人になったボクの場合は、これがもうナルシストの極みでどうよ?って思うんだけれど、一体誰がボクを許してくれないというのかっていうと、誰もそうは思っていなくて、自分が自分を許していないだけ、それだけボクは自分はもっとすごい奴だって理想だけ高くて、それに見合わない自分にたいしてメソメソいじけてるだけなのだ。
まあ、この双子妄想はあくまでファンタジーだけれど(最近のクローン技術が進化するとそれも怪しいが)、それが現実的なものとなりえるファンタジーがある。それは多分、子供を産むという行為で、この場合もやっぱり、自分と同じものは産まれてこないのだけれど、親は子供のことを解りたいと思うし、一体感を夢見ることだってあるように思う。程度の問題によっては深刻な心の侵食となりえる危険を孕んでいるけれど、最も甘美な空想のひとつは、子宮の中が楽園だってことじゃないかな。
特に意識したことがなかったのだが、持っているクラシックの中で好きな曲をリストUPしてみたら、ボクはチャイコフスキーが好きらしく、一番沢山あがっていた。ピアノ協奏曲第一番変ロ短調作品23が最近のマイブーム。
クラシックのタイトルってどうも曲とあんまり結びつかない。たまにはなるほど、と思う曲もあるけれど、何も知らないで曲とタイトルを結べとか問題出されてもヒットしなさそうだ。
でも、歌詞がない音楽は、考えてみたらみんなそうかもしれない。サントラとかだって、あの場面だなとか思い浮かべて聞いていたりするし。 そういえば、子供の頃に「お話レコード」という、絵本と語りがワンセットになったものがあって、話は沢山あったのだけれど、そのサントラにクラシックが使われていた。例えば「7匹のコヤギ」は「陽気な鍛冶屋」が流れていたので、ボクにとっては「陽気な鍛冶屋=白ヤギ・時計・狼」の曲だったりする。 きっと、作曲した人には何かイメージや情景が浮かんでいて、それに心を飛ばしながら作ったから、その人の中では曲が溢れる世界を作っていくのだろうな。
ここ最近、日記を書くとき、いつも本当は『ボクは悲しい』って書いて、それを消してから別の話題を書いている。僕は何が悲しいのか判らない。
ロビン
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