カウントシープ
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一週間くらい遅れて桜が満開になった週末、妹が子供を生んだ。ボク達は遺伝子を残すことができないから、この子供はボク達の遺伝子を受け継ぐ子供でもあるな、と思うとそれなりに感慨深く思ったりしながらいじっていた。
人間の赤ちゃんは生まれてきてすぐは本当に頼りなくて、誰だって放っておけないような雰囲気をかもし出していた。少し動いてもビックリ、顔をしかめてもおろおろ、泣き出そうものなら大人みんなで大騒ぎだが、こんな反応をしているのも最初だけで、きっと妹はちゃんと母親になっていくのだろう。
生き物はみんな子孫を残すことを第一に生きているのだと思うけれど、ウィルス(彼らはむしろコピーと変異による増殖だが)から微生物、植物、動物みんなが当たり前のように一生懸命になっていることだから、きっとそれは大切なことなのだろう。レミングが本当に数を減らすために海に集団で身投げするかどうかわからないけれど、その行為だって大きな観点からみれば種の保存のためであり、今人間が子供を作らない選択をするように(同性愛はこの際別として)なってきていることも、もっと大きな観点からみれば未来に繋がる行為のひとつなんだろうか。
ボクの家に生えている植物は、ボクがコーディネートしたものではない。だから、ボク自身も何が生えているのか良く解らない。(この花の名前もわからない)
よく解らないまま水をやり、気がつくと花が咲く。それでもこの家に住んでもうすぐ2年になるので植物の模様替えも2周目。去年も咲いた花が今年も咲いて、そうすると同じ花が街のあちこちに咲いていることにも気がつく。植物にたいして関心がなかったボクにとって、今まで単なる町並みだった光景に、花という記号が浮き出て見えてくるのだ。
認識することで同じ光景が変化していくことは面白い。例えば、今まで只の車だったのが、名前や形を覚えたらもう沢山の車からきちんと区別されて見えるし、星だって星座の形を結び上げる。
逆に言えば、記号に隠れて落ちている情報だって沢山あるってことだけれどね。
他人に侵食されることが怖いと思うときがある。でも、それより怖いのは、ボクがボクから溢れて他人を侵食することだ。
ボクの中にあるドロドロしたものをボクは予め見せ付けて壁を作っていて、でもそれは十分に制御可能な、言語化できてしまうくらいのモノなので、実際にボクから溢れることは(おそらく)ない。
自分の中にある言葉では顕すことのできない、喩えるなら夢の中でみるような不明確なヴィジョンで、それはバラバラにカッティングされたボクのパーツで、ちっともスマートじゃなくて、嫌らしくてセクシャルで生々しい。抑圧されているもろもろのものがみんな一緒くたになって夢という現実が夜毎に突きつけられる。
だから、夢が怖い。 生々しい夢は、匂いまでしそうで気持ち悪い。
生々しい匂いをさせる人間を前にしてボクは立ちすくんでしまうけれど、それは、多分相手に侵食されることが怖いんじゃなくて、相手を鏡にしてボクからも溢れてしまうことが怖くて気持ち悪くておぞましくて、そうして自分のなかの汚いものから逃げてばかりいたら、どんどん夢が気持ち悪いものになってしまうから、
そんな夢がやってきたなら、もう引き出しを開ける時間がきたのかもしれない。
ロビン
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