カウントシープ
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心が荒んでくると日記だって暗くなる。日記を書くこと自体、オーディエンスを意識した行為であるし、こうしてネットに流しているということはよりはっきりと読み手を意識して書かれたものだ。
日記を書くことによって得られるもののひとつが、文章に纏め上げることで、頭の中で混沌としていた情報やイメージが1つの意見や考えとして捉えられることだろう。書いているうちに纏まっていくことだって多いし、新しいものに気がつくことだってある。
もうひとつは、他者に自分の存在を知ってもらうこと。関心を寄せてもらい、自分という存在を認めてもらうこと。共感を得て、理解してもらうことだろうか。
少なくとも、ボクにとってはそうだ。 ボクをアピールしたいし、関心を持って欲しい。理解して欲しい、でもでもでも、本当の自分を出してしまうことはやっぱり怖いんだ。
だから、書きたくないことを省くと真っ白になっちゃって、全然自分の心に今ないことを書いてしまう。(日付を飛ばせないのは強迫的だから)
たまに仕事が集中する日があって、今日はまさにその日だった。もともと忙しいからお昼を食べれないなぁと思って、お弁当に林檎を一個持っていったけれど、その林檎を齧る時間もないまま勤務時間を過ぎてしまう始末。持ち運んだ分林檎が傷んだだけだった。
ボクは、今日一日が忙しくて大変なことを知っていたから、お気に入りのものに力を分けてもらおうと思って林檎を持っていたのだけれど、知恵の実である林檎は反面では人間の原罪の象徴でもある。
BOSCH(ボス)が描いた「快楽の園」の中では、果実として苺らしき赤い実が描かれているけれど、エデンを追放されるきっかけになった知恵の実は、通例林檎とされている。ボクの感覚では林檎は清潔すぎて、どちらかというと苺のほうにエロスを感じるから、ボスの描いた快楽の園−天国と地獄−に溢れる紅い果実にとてもリアリティを感じてしまう。
「快楽の園」はその謎めいた雰囲気からとても有名な絵だけれど、美しいなかに不気味さが漂い、一見明るい色調さえも禍々しい。同じボスの描いた絵に「愚者の船」という絵がある。ボクは小学生の終わりか中学生になりたての頃にこの絵をみて、以来ずっと忘れられない。
相方の具合は、抗癌剤を投与する周期によって変化する。抗癌剤を入れて1週間は吐き気やらなんやらでぐったりしているが、それを過ぎるとまあまあ元気で、一緒に散歩にいったりもできるし、何だって食べられる。
髪がなくなった顔も見慣れて、ひよこ頭(と呼んでいる)にも愛着が湧いた。疲れやすいのも自己管理できるようになって、適度にお昼寝したりしているようだ。最近はよく鼻水に血が混じるみたいで、そうすると最初に「血の匂いがする」という。それから鼻腔を液体が降りてくるらしいが、こういう症状は癌というより抗癌剤によるものなんだろうな。
どちらかというとメンタル的にはボクのほうが凹んでいるのが続いていて、それでも最近はこの生活に慣れてきて、毎日心に掛かっていたカーテンの重さを感じなくなってきた。今は癌がいることが普通で、癌が見つかる前の生活がもう遠く感じるなんて、不思議だ。
ロビン
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