カウントシープ
index|past|will
ボクは誰もが知っているような有名な映画も知らないことが多々ある。それらの殆どはアメリカ産の映画で、例えば『E.T』や、『BACK TO THE FEUTURE』『スターウォーズ』『キョンシー(の出てくる映画)』『グレムリン』など、あげたらキリがない。
夕方以降のテレビ禁止(親が仕事に行っている間は隠れて見ていた←そしてアニメっコに)レンタル禁止映画館禁止だったのが原因だが、このために相方と思い出を共有できないことが多く、いつもがっかりさせてしまうので悪いなぁと思う。しかし、今の年齢のボクが観ても大して夢中になれなさそうな気がするし、そうして相方の好きなものが、大人のボクにとって面白くないという結果になるのもなんとなく予想されてしまう。
相方だって、子供の頃にみたからスーパーマンはスーパーマンなのだ。
ボクが子供の頃に見た映画は数少ないので、今でもあげられる。
・サウンド・オブ・ミュージック ・ベン・ハー ・ローマの休日 ・アルプスの少女ハイジ ・どらえもんの映画ひとつ ・アリオン(アニメ) ・レインマン
その後、大学生になってからは沢山ビデオで色々みたが、子供の頃にきちんと見たのはたったこれだけなのだ。そう思うと人生損をしたような気がするなぁ。
2005年04月20日(水) |
嫌いの判断基準(食物編) |
猫と犬では猫のほうが味にうるさい、と思う。
猫は(当社比)キャットフードをえり好みするし、嫌いなものははっきりと食べない。鼻先まで持っていっただけでも嫌な顔をするし、それ以上薦めてもどこかに行ってしまうだけだ。
一方犬は(当社比)どの種類のドッグフードを与えても、まず食べないということはない。(正確には1匹性格が猫の犬がいてそいつはえり好みするのだがこいつはイレギュラーとする)大抵の食べ物にはトライするし、食べてしまう。家にいる3頭のうちの1匹は特に何でも食べて、梅干や納豆まで食べてしまう。酒もコーヒーもOKで、およそえり好みというものをしない。人間が林檎を食べているとき、その皮を嬉しそうに食べているような奴だ。
そんな犬が、ひとつだけ食べないものを発見した。 それは バナナ。
猫も犬も酸味のあるものは苦手だというが、この犬はグレープフルーツだってレモンだって食べる。それなのになぜかバナナを与えると、口にくわえてからポトッ・・・と落としてしまう。別の好き嫌いの多いほうの犬は食べているのに、どうしたことだろうか? この犬が食べないわけないと、相方は何度か試してみたが、結果は同じ。そもそも1度食べて嫌いと思ったなら、咥えなきゃいいのに、律儀に口に入れてからポトリ、なのだ。
猫は食べないものには最初から近寄らないのに、何故犬はいったん口に咥えるのだろうか?ご主人様が食べろというなら・・・という忠誠心からなのか?1度食べた食べ物の匂いは忘れないことから、匂いがわからないということはないだろうし。
性格が猫の犬のほうは忠誠心が薄いのだが、コイツに無理やり食べ物を押し付けると、咥えてどこかに行って見えないところに放置して戻ってくる。やはり、与えられたものはとにかく受け取らなくてはならないと思っているのだろうか?
と、他人の好き嫌いに文句をつけているボク自身も好き嫌いは沢山でバナナもしっかり嫌いに入っている。ボクは、食べ物をまず見た目で判断する傾向がある。見た目でこれは駄目だと思ったらまず手を出さない。それでも数年に1個くらいトライして克服できる食べ物があって、一番最近では銀杏が食べれるようになった。これでもう茶碗蒸しの中を捜索しなくてすむようになった。好き嫌いがないっていいことだなぁ(珍しく)。
相方はカタカナに弱い。しょっちゅう読み間違えるし、勝手に造語もしている。だからカタカナだらけの登場人物ばかりの小説は苦手で、ついつい敬遠しがちとなる。
でも、相方に限らずカタカナは読み間違える人が多いのではないだろうか?カタカナが読みにくいのは、かなり記号化されていて全体的によく似ているから?そもそもカタカナはどうしてできたんだっけ?と電子辞書の広辞苑で引っ張ると・・・漢字の一部をとって作ったものらしい。もともと漢字を読むためにカナが発明されたのが始まりのようだ。
漢字を崩した音節文字がひらがななら、漢文を読みやすくするための記号がカタカナなのか?もしこの仮説があっているならば、カタカナが記号めいていることにも納得できるし、漢文を読むときのレ点などはカタカナととてもよく似ている。
ボクは仕事上、カタカナしか読まない人に会う機会があるのだが、その人は耳が聞こえないので、全部カタカナで書いて筆談している。「コンニチハ。キョウハアタタカイデスネ。トコロデセンシュウノ…」などと書いていると、何度も漢字やひらがなを交えそうになってしまって、カタカナ一本で書くことの難しさを噛み締めるのだが、彼にとってはボクが書いたカタカナだらけの文章は苦ではないようだ。ボクは自分が書いたものでも、後で読むのに多少苦労するんだけれど。(予断だが、筆談に絵を交えるとより会話がスムーズになる。視覚的情報って偉大だ)
と、カタカナについて軽く考察してきたが、このネタはさっき職場でお茶を淹れようとしたとき、「ココア物語」なる粉末ココアのビンを「コアラ物語」と読んでしまったことから沸いてきたりする。
ロビン
|