カウントシープ
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昼間から散歩していたら、毎日通る道端に黄色い花が一斉に咲いていた。おかしいな昨日も通ったのに気がつかなかったヨ?と首を捻っていたが、何のことはない、日中に咲いて夜には閉じてしまうタイプの花だった。閉じたり開いたりする花というと朝顔が直ぐに浮かぶけれど、朝顔だけの特権ではないらしい。
その道路の植え込みは、いつもなら雑草で一杯になるスペースだが、近くの家の人がきっと種を蒔いたのだろうが、一面に咲き誇っていて、イチョウの木の下がちょっとした花畑になっている。今はちょうど雑草も伸びる時期で、そろそろ一メートル級の雑草も出現してきているが、そのうちまた市が刈り取っていく。ほんの少しの土からも生えてくる植物達を見ていると、生きるものはみな繁殖するのだとしみじみと思ったりする。
繁殖という言葉から増殖を連想して、増殖ということばからはウィルスを、そしてリングという小説を思い出すのだけれど、ウィルスから動物までみんな増えようとするのは何故なんだろうな。雄ばかりの魚の群れを水槽で飼っていると、その中から雌化する固体が出てくると聞いたけれど、人間でも環境によっては起こりそうな気がする。
ボク達は同性だけれど、もし片方が異性化したら、それはそれで複雑だなぁ。だって別に異性が居ない環境じゃないし、好んで同性愛やっているんだし。でも、相方との間に子供を作れることが可能ならば、異性化してもまあいいかななんて思ったりして、やっぱり繁殖の本能が潜んでいるように思う。
2005年05月02日(月) |
think of me |
オペラ座の怪人のナンバーのヒトツ "think of me"
第一フレーズ/劇団四季のVer. ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ どうぞ思い出をその胸に 2人は別れを告げるけれど 忘れないでいてね過ぎし日の愛を いつか貴方の胸に蘇る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この曲は、バックダンサーの1人だったクリスティーヌが主役に抜擢されて歌うオペラ“ハンニバル”の中の1曲、という設定で歌われるのだが、同時にクリスティーヌとラウルの再開を示唆している場面でもある。
クリスティーヌは母親を早くに亡くし、ヴァイオリニストだった父親ダーエとともに各地を演奏しながら転々と旅をして少女時代をすごす。土地や人間などへのしがらみがない生活を父親と2人きりで送っていたところで父親が死亡、18の頃にパリに流れ着いてオペラ座に入るが、心は今でも父親の死を受け入れられない、どこか夢見がちな少女としてファントムの前に現れるのだ。 ファントムが父親のフリをしてクリスティーヌの前に現れた時、クリスティーヌはいとも簡単にそれを父親=音楽の天使だと思い込む。それは彼女が特別夢見がちでロマンチストだったわけではなく、父親の死を通過する喪の仕事(モーニング)を回避するのにこの上ない適合者が現れたために、すり替えがクリスティーヌの側に起こったのだ。
ファントムは声だけで、けしてクリスティーヌの前に姿を見せない。それは彼が醜さを露呈することを恐れたからだが、これが更にクリスティーヌを拘束することになる。もし、早くから姿を見せていたならば、クリスティーヌは時間とともにそれが父親とは違う人格であると(姿はこの際あまり関係がない)認識せざるを得なかっただろうし、ファントムも父親の役割を演じ続けることなく、1人の人間としてクリスティーヌと関わることが可能であったかもしれない。 ファントムはまさしく父親の亡霊の役割を演じ、2人の世界は保たれていたが、ラウルという人間の登場によって、ファントムは亡霊ではいられなくなってしまう。クリスティーヌはラウルによって現実に引き戻され、父親の亡霊に替わる相手を見つけようとしたそのときに、ファントムもまた亡霊の役割を脱ぎ捨てて1人の男として舞台に登場するのだ。
話は脱線したが、冒頭の歌のフレーズがボクはとても好きで、いつも口ずさむ曲の1つだけれど、思い出を胸に生きていくことに多少のシンパシィを感じているからだろうか。 エヴァの中でシンジが『思い出を大切にして生きていって何が悪いんだよ!父さんの言葉さえあればこれからだって生きていけるんだ』とか自問自答するシーンがあるけれど、ボクはすごく心引っ張られるシーンだった。 シンジは独りの殻から出てこれないけれど、思いではできれば自分だけじゃなくて、相手と共有できたらもっといいことのように思う。ボクにとって大切な思い出が、ボクの愛の対象にとっても大切なことであるならば、それはとても嬉しいことだと思うのだ。
miniの雑誌を買いにヴィレッジ・ヴァンガードに出向いたら、相変わらず沢山のガラクタで店は埋め尽くされていた。ボクはドン・キホーテに行ったことはないけれど、いい勝負なんじゃないだろうか?と思うくらいの商品の山を眺めていたら、一角にカエルコーナーが設置されていた。 ボクもカエルはワリと好きだけれど、個人的には羊好きなので、できれば羊コーナーができるといいと思うのだけれど、今までコーナーができるほど羊グッズを見たことはない。
キャラクターになりやすい動物となりにくい動物がいて、例えばウサギみたいにはっきりとした特徴のものはなりやすいといえるだろう。カエルもその概観がかなり特徴的でユーモラスなところが愛らしいといえなくもない。
子供の頃不思議だったのは、何故クマは恐れられているのにヌイグルミとして堂々ファンシーの仲間入りをしているのか?ワニや蛇のヌイグルミがちょっと怖いとか気持ち悪いとか恐れつつ愛されているのにたいして、クマときたら丸きり可愛らしさで勝負していて、何か騙されている・・・と子供心に思っていた。
もっと疑問だったのはタヌキで、ボクはタヌキっていうのは信楽焼みたいなおなかが白くてでっぷりしている生き物を想像していたら、現物はイタチみたいにスマートな生き物だった。人間で言うなら一休さんの桔梗屋のようなイメージだったのだが、あれではとても木の葉で人を化かすことはできなさそうだ。タヌキが本当に死んだフリをするかどうか解らないけれど、もしそのエピソードから木の葉でドロンの話ができたとしたら、大した想像力だと思うんだけれどな。
※写真は手足がマグネットになっているカエル。いつもスタンドを登っている可愛い奴ら。
ロビン
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