カウントシープ
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2005年05月09日(月) ハーメルンのヴァイオリン弾き

先日、先生が出演する演奏を見に行った時、初めて弦楽器の音を区別して見聞きした。子供の頃にも演奏を見たことがあったけれど、そのときはただ眺めていただけだったのが、音と奏者を観察していると、どの音がどの楽器から出ているかが解ったし、楽器の音のパートの違いも少しわかってきた。

そうしてから改めて今まで聞いていたクラシックを聞くと、少しずつだけれど楽器をイメージして聞こえてくる。管楽器はまだわからないけれど、弦楽器に限って言えば、はっきり解ってきたのはコントラバスとヴァイオリン、ちょっとまだよく解らないのがチェロで、かなり解ってないのがビオラだ。

先生の隣に座っていたヴァイオリニストがコンサートマスターだったのだが、彼はとてもノリノリで演奏していた。他者の1.5倍は動いてスペースをとっていたが、とても楽しそうだった。ボク達は、レッスンで習ったことをひとつひとつ思い出しながら先生をじっと見ていたけれど、その次にコンサートマスターを眺めていた。彼が1人で歩いていったら、ハーメルンの笛吹き男みたいに、後に楽しいパレードができそうだった。

家に帰ってDVDで小沢征爾の指揮をしている姿を見返してみたら、これまた激しく鋭く動いていて、指先どころか全身で音楽を演奏していた。彼が『音楽のおくりもの for Kids』というCDに寄せたコメントの中で、彼は作品達を“自分の親友のようによく知っていて、大切で大好きなもの”と表現している。演奏しているときのかれはもう音の一部に溶け込んでいるようで、音を操るというより彼と音が浸透しあって、完全なる調和へと向かっていくような印象を受けた。

※ハーメルンのヴァイオリン弾き
というような題の漫画を見かけたことがあるけれど、読んだことはない。ボクは捻じ曲がった子供だったので、『ハーメルンの笛吹き男』が好きでその後の研究などもいろいろ読み漁ってみたことがあるが、彼についていったネズミの群れや子供達が楽しそうだったというエピソードはなかったように記憶している。どちらかというとふらふらとひきつけられるようにして付いていき、ネズミたちは川に溺れ、130人の子供達は遠い山の向こうまでついていき、山の中に閉じ込められて二度と返ってこなかった。


2005年05月08日(日) ある日の夢の話

東急ハンズの半地下で、飛行機の解体およびパーツの切り売りをしていた。その飛行機は2人乗りの戦闘機で、汚れ具合からすると実際に空を飛んでいたようだ。どう見てもガラクタとしか呼べない断片から、プロペラの一部、操縦席のメーターの部分などが結構な額で売っていたが、どれも家に持ち帰ったら奥さんに速攻で捨てられそうなガラクタ具合だった。

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その夜夢を見た。
この世界は、現実と夢の2つの世界でできていて、夢の世界もちゃんと実在している、という設定だった。普通夢は夢が覚めたらそこで終わりだけれど、その夢の世界はずっと続いて終わらない世界だった。

夢の世界は美しいけれどどこか不気味な世界だった。流線型が主体の世界でつかみどころがなく、光が当たらないような場所には何かが蠢いているような世界で、ボクと相方は夢の世界の住民だった。

時々現実の世界に出向くのだけれど、そのときはカヌーのような船にのった。その船は、まるで戦闘機のように武装されていたけれど、もう古くてきちんと武器としては使えるか解らないような船だった。

現実の世界から夢の世界に戻る時は、ちょっとした高みから飛び降りなければならなかった。飛び降りるとき、心を研ぎ澄ませて水面に着地すれば、足元には船ができるが、心が乱れていればそれは只の黒いゴムボートの出来損ない見たいなのになって、ぐにゃりと曲がって水に落ちてしまうので、ボクは一生懸命船をイメージして飛び降りなければならなかった。

ある日、現実の世界から夢の世界に、ボクの母親が1人でやってくる。母親はうつ病に掛かっていて元気がなくて、ボクは『ああやっぱりうつ病になったか』と思う。(※これにはちゃんと背景があって、ボクの祖母は気がふれて何度も自殺未遂をしたうえに死んでいる。母親は自分もいつかおかしくなるのではと、若い頃から恐れている)悲しくなりつつもとりあえず母親を連れて現実の世界に連れて行って置いてくる。

現実の世界と夢の世界はともに保たれなくてはならない。だが、夢の世界は常に不安定で、現実の世界もまた脆い。お互いの世界が侵食しあって世界が悪い方向に向かっていく気配をひしひしと感じながら、ボク達は世界をいい具合に保つには、『ラ』の音と、『レ』の音と『ミ』の音が必要であると感じ取る。だが、3つの音をどう扱ったらいいのかが解らない。音は近づいて共鳴しあい、もう少しで世界のバランスは取れそうだが・・・


というところで目が覚めた。


2005年05月07日(土) チム・チム・チェリー

ヴァイオリンの先生に、目標の曲はありますか?と聞かれた。

相方はもう何ヶ月も前からヴァイオリンを弾くことを夢見てCDを聞いていたから、すらすらと答えていたけれど、ボクはこれが!という曲はそのとき思いつかなかった。チェロだったら、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007だと即答きるのだけれどなぁと思いながら、それからしばらく曲を考えていた。

ボクは、ヴァイオリンの音は少し悲しい音だと思っていた。実際は悲しい音も楽しい音も寂しい音も、内緒話のような音も出せると知ったけれど、やっぱり少し物悲しいような曲を想像して弾きたいと思って、

次に先生に会った時に『チム・チム・チェリー』が弾きたいと伝えた。ボクは子供の頃、ほんの少しだけエレクトーンを習ったことがあって、そのときぷらいまりーという本を4冊手にして、その中にあった曲の1つなのだ。ぷらいまりーにはレコードが付いていたので、習うよりも先にレコードを聞けた。その中で一番気に入って、エレクトーンで習えるのを楽しみにしていたのだけれど、その後引越しをして、エレクトーンは止めてしまったのだ。

だから、ボクにとっては『チム・チム・チェリー』は不完全燃焼みたいな曲で、おまけにその後授業でも習わずにきたので、あのぷらいまりーの記憶のままで止っている曲なのだ。

ネサフしたら、『チム・チム・チェリー』は映画『メリー・ポピンズ』に使われていたらしく、そちらばかりが引っかかった。メリー・ポピンズは見たことないけれど、確かジュディ・アンドリュースが主演じゃなかったかしら?だとしたら、1度見てみようかな。


ロビン