カウントシープ
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ボクは音楽の授業が好きだったので、幾らか前に、小学生と中学生のときの音楽の教科書を実家から持ってきた。教科書は9冊、これに本当は高校の音楽の教科書もあるはずだが、何処かにかくれんぼしていてまだ発掘できていない。
ヴァイオリンで小学校の教科書に掲載されている曲を適当に弾いて遊んでいたのだけれど、結構習っていない曲が多かった。当時、一ヶ月に何曲を練習したのかわからないけれど、先生のピアノの伴奏とともに一緒に歌うのは楽しかった。 ヴァイオリンの先生は、3歳のときからヴァイオリンを弾いているといっていた。3歳からずっと音楽をやっていたのだから、きっと先生の中には沢山の曲が入っているのだろう。ボクも沢山子供の頃の歌を覚えているほうだけれど、曲ってちゃんと記憶されていて、10年とか20年ぶりに聞いたって、知ってるって思えるから不思議。小さい頃の曲は特に永久的な記憶になっているようだ。
ボク達が今やっている鈴木メソードの教本は、先生もやっぱり使ってきた本で、多分先生はその3歳とか幼稚園の頃に通ってきた本なのだけれど、曲をしっかり覚えていて、懐かしがったりしている。その先生の顔を見るのが好きなのだけれど、先生には内緒。
赤ちゃんは何時からバイバイをするようになるのか?
個人差はもちろんあるだろうけれど、10ヶ月くらいになると、自分の手でバイバイをするようだ。
それより前に、お母さんが赤ちゃんの手をもって、バイバイをさせているのが普通だが、最初は赤ちゃんはバイバイの意味がわかっていない。それが、人と別れるときにするものだと、状況から理解して、別れの挨拶として手を振るようになるのが10ヶ月くらい、というところか。今ちょうど手ごろな10ヶ月児はいないから、妹の赤ちゃんが10ヶ月前後になるころに注意深く観察してみようと思っている。
さて、ところでバイバイとはいったいどういう意味なのか?とても日本語らしい響きではないから、西洋の言葉が崩れたものなのだろう。英語でのバイバイの丁寧な言い方?[Good‐by]は、もとは[God be]からきたという説がある。「今ここで私たちが別れても、神様が貴方の傍について守ってくれますように」という意味だそうだ。
別れとは寂しい、悲しい。 そして、心細いものだ。
果たして、10ヶ月の赤ちゃんには、バイバイの中に、寂しさをまだ含んでいない―のかどうか解らない。別れることを体験して、初めてバイバイ―さようならの悲しさや辛さが解るのだろうけれど、例えば生後2ヶ月くらいから、母親と別れることを体験している赤ちゃんは、寂しい気持ちが早く育つような気がする。(別れて、また再会できるという喜び、未来にまた会えるという予測を立てる力も同時に育つのだろう)
中学生のときいつも一緒に帰っていた子が、別れ際に「バイバイ」って言うと不機嫌になった。ボクはどうしてかさっぱり解らなかったけれど、その子がいうには、「バイバイとかさようならって言わないで。“また明日”って言って欲しい」と。今思えば、その子はそのときボクのことが好きだったのだト思う。
おなじみヴィレッジ・ヴァンガードに、「この木なんの木気になる木」の苗?が売っていた。上手く育てば巨木になるよとか書いてあったけれど、そんな巨木を植えるスペースは我が庭にはないから、連れて帰るのは諦めた。
そんな巨木が本当にあちこちで育って始末におえなくなるようなら、こんなに気軽に店頭に並んだりしないだろう。だから、きっとあまり成功しないのだろうな、と思いながら。そうでなくても、ボク達には植物を育てる才能は、あまりないのだ。
庭で色々植物を植えてみてよくわかったことは、植物はその与えられた土に比例して大きくなっていくことだ。小さなポットに植えたものはポットに見合った大きさで、土に植えたものは何処までも大きく。土がご飯なのだから、当たり前といっちゃあ当たり前のことだ。
さて、「この木なんの木」の正体はモンキー・ポッドという種類の木。中南米原産のマメ科の植物で、熱帯地方に生息し、通称はアメリカ・ネム。マメ科らしく、20センチくらいの大きさのインゲンのような実がなり、淡いピンクの羽毛のような花が咲くそうだ。
CMに使われた木は、ハワイにあるモアナルア・ガーデンパークにあるらしい。この木を見に行こうというツアーもあるくらいだから、みんなしっかり気になっていたのだ。当然このツアーは、このCMを観た日本人しか盛り上がれないだろう、地元ではピクニックしたりするファミリースポットなのだ。
答えを教えないでいたために記憶に強く残り、知りたいという願望を持ち続けさせるという心理効果が働いているのだろう。そういえば、昔、マジシャンが、人気の秘密は絶対に種明かししないことだと言っていたっけ。知ってしまうと、もう人々は興味をなくしてしまうのだ。
ロビン
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