カウントシープ
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相方にもらったプレゼントの中身はフラミンゴ(のボールペン)だった。確かにフラミンゴのような、でも何かちょっと違うような気がしていたが、そうだコイツはビッグバードに似ているのだ。
ビッグバードはあの図体だがカナリアの子供という設定だったはずだが…と確認のためネサフをしてきて新たに知ったことを含めて書き出してみた。
・人間で言えば6歳くらいの幼児 ・249cmの長身、飛ぶことはできない ・セサミストリートのアパートの隣に巣がある ・絵や詩を愛する芸術家 ・バラ色のサングラスをとおして世界をみている ・レイダーという名前のクマのヌイグルミを大切にしている ・親友はマンモスのスナッフィー
セサミにマンモスなんていたっけと思ったけれど、ちゃんとオレンジのゾウみたいなのがいた。ビッグバードがカナリアにしてはありえないどころの騒ぎじゃないくらいでかいのに対して、マンモスはミニマムなような気がするが、スナッフィーはきっとマンモスの子供なのだろう(※未確認)
あのアイシャドウが入ったような目玉はサングラスだったのかな。
いつもレッスンをするテーブルの上に、スナフキンのフィギィアがおいてある。小さなリュックを背負ってどこかに歩いていく、旅立ちのスナフキンだ。
ヴァイオリンの先生は、小さなそれにすぐ気がついて、スナフキンはカッコいいねと言ったけれど、ボクもそうおもう。もう何年も前にはスナフキンのように生きられたらと本気で思っていたけれど、今のボクにはもう無理だ。
沢山の繋がりをもってしまったから―それは喜ばしいことであるけれど、同時にもう勝手に居なくなれないことを意味している。人と人の繫がりを意識していなかった頃は、人は孤独なものなのだと思い込んでいた。孤独であることが基本で、誰かと心を供にし続けることが何か恐ろしいことのように思えた。 その頃には宙ぶらりんでいてもまだ平気に思えたのに、今はちっとも平気じゃない。スナフキンは、ひとところに留まらず何処かに1人で旅に出てしまうけれど、ちゃんと心の繫がりを持ったまま、旅するのだろう。寂しくなっても、ちゃんと心が繋がっていることをイメージできるくらい大切な思い出さえあれば、きっと何処に行っても生きていける。
そう思うのだけれど、やっぱり、触れられる繋がりが欲しい。会えなくなってそれでも思い続けることを想像したら、それこそは本当に苦しいことじゃないのかしら?
先日とある場所で「宇宙戦艦ヤマト」の話題がでたが、タイトルの知名度に反して誰も内容を知らないことに気がついた。 でもって、全く別の場所で、もう少し年上の同僚と話をしていたらなぜかヤマトの話が出たので(というより松本零次の名前が出たので)、ヤマトの内容について聞いてみたところ・・・
「とある未来の地球上に、何処かの星からごみが不法投棄されてくるようになる。人々は困り果てたが、ゴミを処理できる装置が宇宙の果て、イスカンダルというところにあると知って、その装置を取りにいく、その任務をおったのが宇宙戦艦ヤマトだ」
なんとヤマトは宇宙の果てにゴミ処理機を求めて旅立ったのだ。なんてシュール。
「ところが、そのゴミを捨てていた宇宙人の星と、イスカンダルは双子星になっていて、その青い顔の宇宙人から邪魔が入る」
まてよ、すぐ隣に装置があるなら何故わざわざ地球までゴミを捨てにやってきたのか?
「戦争を繰り広げながらもヤマトは何とか装置を回収し、地球に運び込む。その過程で船長が亡くなるが、全員が死んだわけではない」
ヤマトは、ガンダムがZ→ZZと進化していくように、ヤマトその3くらいまであって、最初の話は上述のような内容だというのが彼から聞いた話だった。その後ボク達の話題は、いかにメーテルが美しく憧れたかという話に発展していったのだがそれはまた後日に。
※あくまで彼の回想話であって、事実かどうかはまったくわからない。
ロビン
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