カウントシープ
index|past|will
何故だかとても寂しい。
寂しい気持ちと表現していいのかどうか解らない気持ちだけれど、少なくとも楽しかったり満たされているような気持ちではない。時々は自分の気持ちが解らないことがあって当たり前だけれど、わからないくせに感じ取ってしまうことが苦しい。
寂しいって不思議。 寂しくなったときには何時だって直ぐに「ああまた寂しいのがやってきた」って思うくせに、普段はすっかり忘れていられるもの。
悲しいとか、悔しいとか、恥ずかしいとか、そういった気持ちは毎日いつも感じていてどうにか頭で考えて処理していけるような気がするけれど、寂しいだけはどうにもならない。一番どうにもならなくて一番やっかいで一番しまわれていて、発見したときにはもう遅くて、
今寂しさと一緒に御喋り中。
2005年06月10日(金) |
ヘア・カットには程遠い |
今月から相方の抗癌剤が変わった。最初から組まれていたメニュー通りなのだが、今もしかしたら相方の身体の中に残っているかもしれない癌細胞をたたくことが目的なので、見た目にはちゃんと効いているのかどうか解らない。髪の毛が抜けていくことと、爪が黒くなっていくこと(新しく生まれ変わる細胞が死んでいくから)から、身体の中で何かしらが起きていることだけは解るのだけれど、目に見える効果はマイナスばかりだ。
で、抗癌剤が変わって、なんと髪の毛がまた生えてきた。まだうっすらでしかないけれど、ちゃんと全体的に髪の毛が生えてきていている。
今から数ヶ月前、2人で美容院に行って来た。いつも一緒に行っていたから、今度からはボクしかこないことを話した。美容師さんは「また着てください」って言ってくれたけれど、それから直ぐに髪は全部抜けてしまった。 ボクは、そのとき願いを込めてうんと短く髪を切ったのだけれど、それからもう数ヶ月経つのに、ボクの髪はあんまり伸びなかった。
いつも美容師さんがビックリするくらい早く伸びてしまうボクの髪が、どうしたことか全然伸びなくて、気がついたらもう3ヶ月くらいは経つのに、まだ前髪が邪魔にならなくて、ボクの身体も相方に反応しているのかな、と思うと複雑な気持ちになった。
半分は嬉しいような、半分は、こんなに相方に反応していたら、相方がいなくなったら生きていけないような気がしたのだ。
いつも覗きに行く雑貨屋さんは北欧が好きで、北欧発の雑貨やら人形やらが仕入れてある。そしてその一角にあるムーミンコーナーは、普段見かけるムーミンコーナーとはどこか一風違うのだ。
今日本で見かけるムーミンは2種類あって、ひとつはトーベ・ヤンソン自身が描いた挿絵をつかったもの、もう1つはアニメとなって放送された名倉靖博氏の描いたムーミンだ。どちらも魅力的だけれど、どちらかというと名倉さんのムーミンたちは柔らかくて、原作のムーミンは荒削りな感じ。雑貨屋さんにあるのはたとえばムーミンの切手(もちろん北欧の言葉/フィンランド語かな)とか、薄っぺらい塗り絵とか小さな絵本とかだ。(写真は名倉ムーミン)
直接ムーミンとは関係ないけれど、なぜか一個だけザリガニの缶詰も売っていた。どんな味がするのか怖くて眺めているだけだったけれど、3週間くらいしたらちゃんと売れて?無くなっていた。ザリガニってどんな味がするんだろうか、子供の頃に捕まえて「飼っていい?」っておねだりしたら、母親に「そいつは寄生虫の塊だ」とか言われて却下されてから、ザリガニ=寄生虫のイメージが忘れられないけれど、母親は普段から不潔恐怖な人だから、あっさり口からでまかせかもしれないなぁ。
ロビン
|