カウントシープ
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2005年06月20日(月) お人形遊び ユノア・クルス1

球体関節人形の存在を知ったのは、天野可淡の作品だった。以来ボクは、この球体間接人形にすっかり心を奪われてしまったけれど、当時は大きな本屋の片隅に、ほんの数冊写真集があるだけで、なかなか触れ合う機会がなかった。

それが今では簡単に手に入るようになって嬉しい反面、人形を必要とするような心に正体不明の空洞を持った人間―もちろんボクもその1人だ―が増えたのだと思ったりする。

という前置きの元に、これから数日間、日記を人形の話題でジャックするので、ドールアイが入った人形が苦手な方は飛ばしてください。

昨年からずっとチマチマ手を入れてきた荒木元太郎氏の「ユノア・クルス」がようやく完成した。今回初めてエアブラシを使って全身塗装までやったが、エアブラシに慣れるまではかなり苦労した。

ミスターカラーでやっているときはどうしても上手く噴けず、何度もやり直しをしているうちに嫌になってしまって何ヶ月も放置していたが、荒木氏の説明書どおりにリキテックスを使ったら難なくクリア。剥がれ易いので、コートが必要だが、リキテックスは色も綺麗だ。

というわけで、まずは全身を。(※裸 おまけに画像重いかも)



2005年06月19日(日) 子猫の行方

今日は相方の誕生日。
なのに、相方をおいて仕事仲間と島にいたボクは、ご機嫌取りのケーキを片手に帰宅した。
美味しいケーキ屋さんに入ってお目当てのショートケーキを探したら、この季節はショートケーキは苺ではなくてメロンですといわれて、メロンのショートケーキを買って帰った。何となく誕生日のケーキっぽくなくなって、言い訳しながらケーキを渡し

、「まさか(子猫は)いないだろうねぇ」と恐る恐る尋ねてみると、昨夜犬を居一頭連れて迎えにいったら、もう居なくなっていたらしい。
ホッとしながら、母猫が迎えに来たのならいいなぁと思った。

ほんの数日前、この子猫と同じ柄の明るい茶トラ猫が、家の向かいで跳ねられて死んでいたからだ。ボクの家の周りには飲食店が多くて、野良猫も沢山いるけれど、猫は、他の猫が産んだ子猫は育てたりはしなさそうだ。母猫が死んで1人ぼっちで、機材の温もりを見つけてボクの家の裏にいたのかもしれない。

ボクは猫を拾わなかったし、ボクの手はそれ程沢山のことをできないくらい力がない。自分の力量を見定め、抱えられる範囲のことを腕の中においておいて、急に手を離さないようにと、思っている。それくらいのことだって、ずっと続けるには、相当の覚悟を要するものだ。


2005年06月18日(土) 海が見たい

久しぶりに海を見た。というよりこの日ボクの居た場所が島だったので、周囲はぐるりと海だった。

ボクは海のない県出身のせいか、海にたいしては結構な憧れがある。ちょうど沖縄出身の相方が雪に思いを馳せるように、ボクは海を想像力を膨らませてイメージする。相方から聞いた子供の頃の話と、一緒に沖縄についていったときにみた海の光景とがあいまって、いつの間にかボクの中でも海といったらエメラルドグリーンの沖縄の海を思い浮かべるようになった。

それと比べたら、何処の海だって色あせて見えてしまう、比べるほうが間違っているってわかっているけれど、沖縄の海は綺麗で光っていて暖かかくて、綺麗な魚がウヨウヨしていて、とても綺麗だったのだ。

ホテルから港まで10分程度の道を歩いた。道のいたるところにフナ虫がいて、最初は気持ち悪くて大騒ぎしていたけれど、あんまり沢山いるのでそのうち慣れてきた。フナ虫はどちらかというと向かってこないで遠くに逃げてくれた。港には釣り人がチラホラいて、野良猫が何匹もいた。皆よたよたしていて、何となく哀愁漂う猫達だった。

船着場に何か落ちているので、近づいてみたらヒトデのミイラが沢山干してあった。多分船についたかなにかが邪魔だったので、とってアスファルトの上に放っておいたのだろう、綺麗に星型のまま干からびたヒトデは、何だか「銀河鉄道の夜」に出てきたサギのお菓子を思い出した。

海を見ながら、海が見たいなとぼんやり思った。
せっかく島まできたのに、夜更けまで飲んでいたら星を見損ねて、起きたら朝になってしまって、更に不完全燃焼気味の島の思い出になった。


ロビン