カウントシープ
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2005年07月02日(土) 悲しいゾウ




もうずっと昔の話。
戦争が続いて、何処の動物園でも大きな生き物は死んで、あるいは危険性を考慮して毒殺された。かの有名な「かわいそうなゾウ」のように・・・しかし、名古屋は東山動物園には、苦しい戦争を生き抜いた2頭のゾウがいた。終戦を迎え、日本中で生きているゾウはこの2匹だけとなった。

ゾウは大人気となり、日本中から注目された。やがてゾウが見たくてたまらない関東の子供達から「ゾウを1頭分けて」とお願いされ、あまりに沢山の子供がみんなでゾウを望んだので、東京の都知事も出向いてゾウを譲ってくれと言った。相談の上一頭貸し出すことにしたが、結局はゾウは貸すことができなかった。
2頭のゾウはとても深く結びついていて、引き離され残された1頭は、壁に頭をぶつけて血を流し、暴れ狂って泣いたのだ。

ボクは、「かわいそうなゾウ」を本屋で立ち読みして、うっかりボロボロ泣いてしまったことがあるのだけれど、この話も涙がじんわりと浮かんでしまう。

※詳細は「東山動物園」の公式HPに記載されているa>


2005年07月01日(金) 春夏秋冬

梅雨が本格的に来ないまま7月を迎えたせいか、まだ夏の気持ちにはなれず、どちらかというと春の延長のように感じる。何時までが春で、何時からが夏なのか?
5月の薔薇が咲き乱れる頃を初夏というのかしら?と思っていたが、広辞苑で調べてみたら、初夏は太陰暦の4月に相当するらしい。太陰暦は一ヶ月を29ないし30日として、一年を12ヶ月としたものらしいから、太陽暦とそんなに大きな違いはなさそう。ということは、時差はそんなにないと考えて、

4月が初夏なら、ボクの中の春夏秋冬とは大分違う。

ボクの中では
春=3・4・5月
夏=6・7・8月
秋=9・10・11月
冬=12・1・2月
という具合に暦は捕らえられていて、5月に暑い日があっても、6月には寒さが戻ってきて、雨が上がると蝉が鳴くはずなのだ。

そういえば、ボクは一年のうちで一番12月が寒いと思い込んでいて、実は2月が一番冷えると知ったとき驚いたのだけれど、これは12という区切りのいい数字が一番極にあると思い込んでいたためだろう。その法則ならば一番暑い月は6月でなくてはならないし、一番暑い8月の極はやはり2月なのだ。

この法則の面白いところは、季節が大体均等に配分されている日本ならではの考えであって、例えば相方の沖縄では季節は全然違う。
沖縄では桜は1月に咲く。だから、入学式のシーズンのCMの背景に桜が入るのがどうしてか、ずっと解らなかったという。同じように山の上の桜は5月を過ぎるのだ。森山直太郎氏の歌みたいに、新年度と桜とは強く結びついたイメージだけれど、
別のときに咲いていたなら、桜にどんな意味を感じ取るのだろうか。


2005年06月30日(木) 夢の真実

夢こそは真実だ。
夢は、ボク達が体験している世界をありのままに映し出す、 そのものだ。
夢はデタラメだという。違うのだ。夢がデタラメなのじゃなくて、世界は本当はもっとデタラメのものでできているにすぎないのだ。

世界の謎を解いて、単純明快にできたらと、アルバート少年は世界の法則を追い求めたけれど、世界は物質的な触れることのできる世界だけでは無かった。

目の前にヒトツの何かがあるならば、それと同様にヒトツの得たいの知れないものがあるのだ。闇に光を照らしても、その背後に同等の闇が生まれることを意味するのだ。

光を追い求めた先にあるものは何なのだろう。それ事態が無駄な足掻きだとしても、人の知りたいという気持ちに蓋はできない。あるものをなくしてしまうことなど出来ないし、ないことにしてしまうことでできた歪みに捕らわれるだけなのだから、

知りたい気持ちと得られないもどかしさと、未知への恐れを抱いたまま、生き続けていけたらと望む。


ロビン