カウントシープ
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ボクはもともと夜に眠れない。
それが、職場の仮眠室で過ごす時にはもっともっと眠れない。翌日の仕事のために何とか眠らなくっちゃと思うし、結局は浅いながらも眠っているのだけれど、ベッドもマクラもちっとも心地よくないし、空調は悪いし、おまけに薄い壁一枚向こうに、エレベーターが設置されているせいで、モーター音がうるさいのだ。
ベッドには最大の文句を付けたいのだが、このマットレスは最悪で、硬いスプリングが何処に入っているか背中で感じてしまうくらい。皆で散々文句を言い続けてきたら、ある日突然スポンジ状のものを入れてくれた。 これが巨大なコンニャクみたいな形状のもので、何だか見ていると冗談みたいなマットなのだ。さらには、小さなシングルベッドから5センチ程はみだしていて、ますますなんだこれは?といいたくなるよう、寝心地はもちろん悪い。スプリングの硬いのが背中に当たらない分マシなのかもしれないが、今度は通気性が悪くなり、夜中でも生ぬるい何かが背中の下にあるようだ。
そば殻枕だってせんべいみたいに固いし、いっそのこと、応接室のソファで寝たほうがマシだって思うけれど、そこで寝たら風邪を引いちゃった。
終戦記念日だろうがお盆だろうがごくごく普通に仕事の月曜日。ボクは一週間で最も月曜日が忙しいので、その忙しさも手伝ってますますお盆ムードは零だった。 ボクは、もう軽く10年はお墓参りに行ったことがない。両方の祖父母も、育ててくれた親代わりの叔父さんも、何処に眠っているかも知らないのだ。ごく小さな頃に母方の祖母のお墓参りをしたことはあったが、母親が祖父を避けるようになってからはそれもなくなってしまった。
父方の祖父が死んだとき、せめで祖母には生きているうちに会っておきたいと、会わせてくれるように頼んだけれど、「会ってもどうせ覚えていない」と言われ、とうとう死ぬまで会えなかったし、葬式にも連れて行ってもらえなかった。
死んで一ヶ月くらいたってから、「そういえば死んだよ」と一言言われただけだった。
別に特別祖父や祖母のことが好きだったわけじゃない。好きだと感じるほど近くに居なかったし、両親もお互いの親のことなど殆ど話したりしないから、ボクの心の中にはちっともイメージができないままだったのだ。それでも、毎年クリスマスに送られてくる祖母からのプレゼントには、祖母らしいオシャレな西洋の木で出来たオモチャや絵本が詰められていて、嬉しかったし、達筆すぎて詠みづらかった手紙の中に、ボクの名前があるのは嬉しかった。
多分、大切なことを忘れてきているのだと思う。ボクは、人が死んだときの悲しみが、未だによく解らないままなのだから。相方がこのまま死んじゃったら、きっと悲しいと思うけれど、それすらもまだ解らないと思うときがあるくらい、ボクの心はどこか欠けている。
この夏に買った携帯のストラップは、海のシリーズで纏めていた。ボクはクジラと灯台、相方は白い鳥と船が付いていた。
ある日気がつくとボクのクジラが居なくなっていたので、「クジラ居なくなっちゃったよ」と言ったら相方は「鳥さんも居なくなっちゃった」と言った。クジラと鳥と、どうやら2匹で何処かに行ってしまったようだ。
夏も終わりに近づいてきたし、新しいストラップを探そうと思って物色していたら、見つけたものがこれ。 poolysというキャラクターらしい。何処かで見かけたような気もするけれど、サイトを見つけて調べてみたら、今まで見かけていたものとは少し違うようだ。
このキャラクターのキャッチコピーが、 「仲良しの2人は理想のリラックスできるプールを求めて世界中を旅します。求めているプールは、すぐ傍にあるとも知らないで」 とあった。アヒルとカエルが仲良しというのも、何だか妙な取り合わせだけれど、それぞれのキャラクターはアンバランスで可愛い。ボクがカエルで、相方はアヒルをつけることにした。
すぐ傍に幸せはあるという青い鳥の話を彷彿とさせるが、幸せとはそういうものであり、手に入れてしまってはいけない、完全には手に入れられないことこそが幸せなのかもしれない。 時々眺めることができて、少し触れられるくらいのところに、幸せがあり続けるならば、幸いというものだ。
ロビン
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