カウントシープ
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普段から結構忙しい仕事をしているけれど、その忙しさの3倍くらい忙しい研修を受けに出かけた。2日セットになっていて、内容は盛りだくさん、1日目だけ終わった今もすっかりぐったり。 普段の仕事は責任が重大なので、その点研修は学ぶばかりで気が楽だったけれど、課題提示&ワークショップ&発表の繰り返しで、最後はマイクを片手に呂律が回らなくなっていた。
ただ、頭をフル稼働して情報を整理し再構築するという作業は純粋に面白い。時間と人数のプレッシャーもまたいいカンフル剤みたいなもので、これがのんびりとマイペースでやっていては、この面白さは半減するな、とはちらりと思った。
すでに獲得したもの、知っているものを想起するプロセスと、機知のものを組み立てなおし、情報を整理し、新たな理論を作り上げるプロセスは違う。新たに組み上げていくことには困難さが付き物で、キチンと再構築できるか不安だらけだけれど、出来上がったときにはゆるぎない理論として、自分の中に叩き込まれていく。それは外部に提示され取り入れただけのものとは圧倒的に存在感が違うものだと感じた。
一方、すでに答えが示されているものを取り込んでいく場合でも、自分の中で体験し、再検証することで、確固たるものとなりうることは確かだが、いずれにせよ、新しいものを発見し、自分の中で組み立て一部となっていくことはいくつになっても面白いものだ。
相方がオウムを飼いたいと言ったら、友達がみんな反対した。大型のオウムやインコは大変だ、というのだが、どう大変かという助言を…
�,箸砲�く長生きする。60歳とか平気で生きるので、二世代で飼うことを念頭に入れる。
�⇔更圓帽圓韻覆ぁ�移動が大変。水島のように、肩に乗っけて移動するわけにはいかないのだ
��とても嫉妬深い。犬なんて飼っていたら、嫉妬で大騒ぎする これでノイローゼになったヒトもいた。
�,鉢△浪燭箸覆�解っていたけれど、��の嫉妬深いっていうのは本当かな?鳥に独占欲みたいなものがあるのかしら?(鳥を良く知らない無知な人間の発言として聞き流してください) 犬が嫉妬するというのは解る気がする。時々、小型犬の飼い主さんが、他所の犬を触っていると、吠えて怒ったりする場面をみるし、猫だってヤキモチを妬くのだから、案外嫉妬という感情は、人間を超えて普遍的なものなのかもしれない。 でも、動物は、あいつのほうが沢山もっているから悔しい、といった嫉妬はしないし、あいつは足が速くてうらやましい、という感じもなさそうだ。今、自分の依存対象が自分に関心を向けているか、ということにおいて、敏感に感じとり、自分に向けようとするように感じる。
それは、力の強いものに守ってもらいたいという感覚なのか、人間の子供達だって、守ってもらえるという安心感の中で健やかに育つのだから、少しは当てはまるのかもしれない。
いつも忘れてしまうのだけれど、今月は母親の誕生日があった。
子供の頃は、誕生日を祝う習慣がなかった。 ボクは誕生日が近くなると、気持ちはそわそわするけれど、どうせ何事も無かったように過ぎることも知っていたから、誕生日が近づくと憂鬱だった。欲しいといえば何かひとつ買ってもらえたけれど、おめでとうの言葉はなかったから、誕生日が何の日かはピンとこなかった。
そんな調子だから、今でもボクは、生まれてくるということについての喜びってものが理解できない。生れ落ちたら、苦しいことや寂しいことがいっぱいなのに、どうして「おめでとう」って皆言うんだろう、ってずっと思っていたけれど、 おめでとうと言う言葉が言える人たちは、きちんと祝福され愛され、あるいは愛される経験は少なくても、その中で与えてもらった優しい出来事に目を向け、気づけた人たちなのだ。
そこまで気がついたのに、今でも母親の誕生日を忘れてしまうのは、ボクが母親に何かをプレゼントしても、母親からは返ってこないって解っているからで、それを寂しいと思っているうちは、このセレモニーを回避するという仕組みになっているのかもしれない。
毎年、来月の父親の誕生日が来ると、ボクは2人の誕生日を思い出して、2人分のプレゼントを抱えて実家に帰る。誤解を招くようなクダリだが、最近の母親はお金はくれる。何か買いなさいといってお金をくれるけれど、ボクが何が欲しいかを想像して、選んでくることができないだけなのだ。
多分、母親だって困っていた。子供が何が欲しいか、さっぱり想像できなくて、子供が不気味な存在として捕らえられていた。ボクは母親を苦しめる存在であり、そうなっていることを知っていて、そうならないように振舞おうとしたけれど、やっぱり心の中では望む自分がいて、今も時々心の片隅にいるのだ。
ロビン
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