カウントシープ
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2005年09月27日(火) |
アローン・イン・ザ・ダーク |
昔、『アローン・イン・ザ・ダーク』というゲームがあった。内容的にはバイオハザードみたいに、少しホラーっぽい屋敷を探索して脱出するのだが、これがすごく面白かった。 このゲームはかなり有名なのだが、当時マイナーなゲーム機か(3DO)パソコンでしかプレイできなかったため、一般的にはそれほど普及しなかったのかもしれない(といいつつ検索したら沢山ヒットしたけれど)
このゲーム、今見るとすごく荒いポリゴンでできている。昨今の大発達した3Dのグラフィックに慣れてしまうと、とても見づらい代物だが、当時はかなり斬新だった。しかし、それ以上にこのゲームが魅力的なのは、謎解きが大層難しいことだ。 ちょっとでも間違うとすぐに死んでしまう、大変難易度の高いゲームなのだけれど(攻略本を見るまで結局クリアできなかった)、解けるとああ!と思うようなパズル的要素が多いし、倒せない敵の方が多いのだが、その回避の仕方もユニークだ。 また、洋物ゲームらしく、敵がかなり不可解で、何者なのかわからないままのものも多かった。例えばバスルームを占拠しているクラゲのお化けのようなものは、倒せないし、追いかけてもこない。近寄ると毒をかけられるけれど、そこにただいるだけ、それがかえって不気味なのだ。
もう一度ゲームしたいけれど、機械もソフトもないから、できない。
昨日の猫は、結局月曜日の朝まで、家の前にいた。隣の喫茶店の店員さんが、新聞紙に来るんで小さなダンボール箱に入れて、イチョウの木の下においておいてくれたのだ。
日曜日、市役所に電話したら、週末はとりに行けないと断られた。付け加えるように、「1番いいのは生ゴミで出してくれるといいんですがね」と言ったけれど、そんなことできない、と思った。生ゴミに猫の死体が埋もれているなんて、もし何かの拍子に子供達が発見したらと思うと、そんなショッキングなことはしたくなかった。
朝、普通の一般ゴミが回収されたあと、まだ箱が残っていたので覗き込んだら、マジックで「ネコ」と大きく書いてあった・・・と相方に聞いた。 ボクが返ってくる頃には箱はなくなっていたけれど、この後どうなるんだろうね、と話した。
日曜日の夕方、母親からメールが来た。実家で飼っていた猫が死んだ、という内容だった。猫はアメリカンショートヘアで、縞模様の小柄な猫だった。猫にしては早く、まだ8歳だった。 ボクは、昨日の夜の子猫が、まるで実家の猫のように思えてならなかった。縞模様も良く似ていたし、まだ抱いたときの暖かさや、毛並みの柔らかさが掌に感触として残っていて、それが何度も蘇るようだった。
母親は、猫が死んで寂しいと書いていた。それがボクには嬉しかった。ボク達と一緒にいた頃は、母親が胴思っているかを顕すような言葉は殆ど聞けなかったから、こういう言葉を聞くと、母親の中にちゃんと心があったのだと思えて、それはとても救いになるのだ、と思う。猫は、数年前に死んだ猫の隣に埋めたらしい。それまで死者を弔うことの無かった母親の心に、今は猫が住んでいる。
猫が母親に教えてくれたことは計り知れず、ボク達人間の子供では無理だったのだと思うと、少し寂しい。ボク達は、猫になれなかったのだ。
土曜日は朝からハードな仕事をしていたので、帰って来てすぐに寝てしまった。2時間くらい眠って、ふと目を覚ますと夜中の12時。相方も眠っていたらしく、3頭の犬の6つの目が、「おなかがすいたよう散歩はまだかなぁ」と訴えていた。 ボクは凄く疲れていたけれど、疲れすぎて妙にハイテンションで、よし、少しだけ散歩に行こうと思って、12時半頃に散歩に出かけた。近くの駅まで歩いていって、40分くらいして戻ってくると、家の前の車道に猫が一匹、倒れていた。 散歩の前にはいなかったから、この数十分の間に車にはねられたのだろう、近寄ってみるとまだ子猫だった。茶トラで、ひょっとしたら夏からこの近所をうろついていた2匹の子猫の片割れかもしれない。 まだ綺麗な形を保っていたけれど、このまま車道に転がっていればぐちゃぐちゃになってしまうことは目に見えていたから、とりあえず家の前の歩道まで運んだ。 猫はまだ暖かかく、死後硬直も起こっていない、柔らかいままだった。出血も少なく、おそらく頭を強く打って即死だろう、と思った。持ち上げたときに眼球が飛び出してきて、死に顔がこれでは可哀想に、と思ったけれど、眼球を元に戻す勇気は無かった。
犬達はポーチに入れておいたのだけれど、猫に興味を示し、首を長くして見つめていた。翌朝になって、冷たくなった猫には見向きもしなかったから、犬にも完全に死んでしまったことが解るのだ、と思った。
ロビン
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