カウントシープ
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久しぶりに実家に帰って、数ヶ月前の誕生日プレゼントを渡して、ちょっとだけヴァイオリンを披露してきた。曲はゴセックのガボット、鈴木メソード第一巻の最後の曲だ。 両親は、ヴァイオリンを感心して聴いてくれた。ボクはそれがとても嬉しかった。聞いてくれるようになったのだ、と思ったのだけれど、よく考えたら、聞いてくれるようになったのではなくて、聞いてくれないと決め付けていただけじゃないかしら、とも思った。
昔の母親はいつも怒っていて、子供のことに関心がないように思えた。けれど、本当は怒っているときもあるけれど、怒っていないときもあって、聞いてくれないときもあったけれど、聞いてくれるときもあったのかもしれない。ただ、ボクがそう思い込んでいただけかもしれない。
もし時間をさかのぼれるのなら、たくさん確かめてみたいことがあるように思うけれど、今からだって知りえることがたくさんあるのだから、これからのかかわりを続けていきたい。
2005年11月12日(土) |
眠るときのおまじない |
急にどんどん寒くなってきて、上着が必要になってきた。 ボクはちくちくするものが嫌いだから、あんまり冬着は好きじゃないのだけれど、それでも寒いとウールが恋しくなる。ウールは、ボクの大好きな羊の毛なのだけれど、ケモノは苦手なのだ。
なのになのに!無印でうっかり買い込んできたソックスはみんなウールもの!足首がちくちくしたらいやだなと思いながらも、買ってしまったものはしょうがない(無印良品)、気合入れて履くか!みたいな。
ボクは羊が好きなのだけれど、いつから好きになったのかわからない。あのもこもこ具合なのか、それとも宗教的要素なのか(キリスト教信者=羊・羊飼い=イエス・キリスト)、それとも眠るときカウント・シープするからなのか?
眠るときの恐怖は今でも忘れられない。ボクは小さなころちっとも眠れなくて、でも、母親に怒られるから早く眠らなくっちゃと焦って、結局眠れない日々が続いた。夜が怖くて怖くて、怖い夢が怖くてまた夜が怖かった。 眠れないことは辛いけれど、それ以上に母親が怒るのが怖かった。眠れないの、と夜中にそっと告白すると、母親の不機嫌な顔が返事の変わりに返ってきた。 だけれど、ひょっとしたらそれは、たくさんの日々のうちのほんの数日のことで、ひょっとしたら、眠れないボクを抱きしめて眠ってくれた日があったのかもしれない。 触られるのが大嫌いなママだったけれど、ある夜にはボクを抱きしめてくれて、一緒にひっついて眠れる夜が一日でもあったなら、ボクはそれを365日思い出して、毎晩眠るときのおまじないにしただろう、と思いつつ、
そんなマザコンでいいのだろうか?と思ったりもする。
ボク達が毎日やることのなかで、やらなくてはいけないことは、犬の世話とヴァイオリン。犬は毎日生きていて、世話をしてやらなくちゃいけないから、仕方ないけれど、ヴァイオリンは別に毎日弾かなくたっていいはずなのだ。 どうしてヴァイオリンを弾くのか?先生とのレッスンがくるからには、レッスンししておかないとかっこうがつかない、というのはある。ボク達は先生が好きだから、先生には誉めてもらいたいばかりだ、というのもある。 先生は誉めて育てるほうだけれど、自分自身でがんばったことにたいして誉められることほど嬉しいことったらないから、やっぱり頑張りたい。
頑張った先に実ることってすごい喜びだ。 頑張らなくてできちゃうことよりも、きっと嬉しいことで、 世の中には頑張ったってできないことも山ほどあって、その度に自尊心もプライドも傷つくのだけれど、 だからこそ、ボクは、手ごたえを感じるヴァイオリンを、とてもよき相手として楽しんでいるのだ。
ロビン
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