カウントシープ
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桜の木は、昨日よりも沢山切られることが解った。最初は全体の3分の1くらいだと思っていたから、半分は無くなってしまうことに、もうすっかりしょげしてしまって、毎日毎日通っていた散歩コースも少し変化してしまった。
ついでに言うなら、駅前にずっとあった“おばちゃんの居酒屋”も年明けから閉店の張り紙が出ていたし、その数件隣の居酒屋は、やっぱり年明け早々不審火が出たので、やっぱり休業中。どちらも春になる頃には再開しそうだ。
桜は最初、上をちょんぎられて、地上から一メートルくらいの部分だけが無残に残っていた。引っ掛けられているプレートに『この桜はウッドチップになってリサイクルされます』なんて書いてあって、それがますます悲しくなった。粉々になって最後は消費されていくようなものになってしまうのだ、それはまったく仕方ないことで個人的な感傷以外の何者でもないけれど。
今は穴ぼこだらけになった元・桜並木も、時期に若木が植えられ、春には小ぶりの桜が咲くだろう。どこかの山の中で、この町に引っ越してくるために植えられている桜たちが、すでに枝を伸ばしているだろうから。
日曜日から今日まで、仕事がとても忙しくて、今現在夜の9時半過ぎだけれど、やっとひと段落着いた。といっても、明日も明後日も仕事だし、土日も仕事のための勉強会をいれてしまったので、遠方に泊まり込みで出かけなくてはならない。
こういうときは、やり遂げてからどっと疲れがでてくるものだろうけれど、次から次に仕事が追いかけてくるので、いったい何時がやり遂げたときなのかしらと思う。やり遂げた喜びもまた精神的な原動力となるのだから、こういう状態がいけないとは思わないけれど、余裕がないのは確かだ。
そういう頭でふらふらと散歩に出たら、散歩コースの駅前の桜並木がばっさりとなくなっていた。一メートルくらいの切り株?を残して切り落とされていたそれは、『年をとって倒木の危険が出てきたためやむなく切りました ここにはまた新しい若木を植えます』という内容の張り紙がしてあったけれど、こういう光景は誰にだってやっぱりショックだろう。みんなが大好きな見事な桜並木だった。
ボクも相方もしばらくしょげて、寂しいね、と言い合った。切る立場の樹木のお医者さんなる人達はもっともっと辛かったろう。
しばらくはショックから立ち直れなかったけれど、やがて植えられる新しい若い桜のこと、その成長を毎年見ていく楽しみや、いつかまた咲き誇る花を想像した。
2006年01月17日(火) |
ミュージック・クーポン |
ボク達はVAIOユーザーで、最近2人揃ってVAIOを新しくしたので、その特典としてミュージッククーポンがもらえる。一台に付き20曲、二人合わせて40曲というわけだが、さて、40曲の曲をどうしようかしら?
好きなアーティストの曲はすでにアルバムで持っていたりするし、大体最近ボク達はクラシックばかり聞いていて、最近のミュージックシーンをまったく知らないのだ。例えば先日YAHOOのTOPに出ていた『青春アミーゴ』が何者なのか、この単語が歌なのかユニット名なのかも知らない。
こんな状態は何時からだっけ?と考えてみたら、今の家に引っ越してきてからだと気がついた。今の家にしてからテレビをますます見なくなり、以前は漠然と流していたMTVとかも見なくなったこと。 もうひとつ、やはり相方が病気になったこと。あれからしばらくはやっぱりどこかで欝っぽくなっていたのだろう、とにかく人の声を聴きたくなかった。 そしてヴァイオリン。ヴァイオリンをやりたいと言い出した前後から、ボク達は好んでクラシックを聞くようになった。それまでによく聞いていたサラ・ブライトマンやクレモンティーヌに変わって、CDプレーヤーの中にはヴァイオリンの小曲集がいつも入っているようになった。 何をしたら癌が治るという保障もないなかで、ヴァイオリンをがんばることは、癌を治す力になると信じていた。とにかくすべてが必死だったのだ。
そうして、一年があっという間に過ぎたわけだ。もうそろそろ誰かの声を聞いてもいい頃じゃないかしら?という思いに駆られながら、さて、40曲のクーポンで何をとろうかしら?
ロビン
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