カウントシープ
indexpastwill


2006年01月28日(土) 作られた思い出だとしても

随分ネガティブな話ばかりが続いていてどうしてことか、って感じだけれど、こうした精神とは別に、日常はきちんと生活している。きちんと、っていうか、何を持ってきちんとしているというのかよく解らないけれど、社会的に自分に求められていることをこなしているという感じかな。

そう思うと社会的な物事のせいでおちおちゆっくりしていられないのと同時に、社会的な物事が引っ張りだしてくれるともいえるだろう。以前1ヵ月肺炎で仕事を休んだときには、凄く気持ちが沈んだのだけれど、やっぱり何か成すべきことがあるほうが、精神衛生上良いようだ。

できればみんなが、生きている実感、何か手ごたえとなるものを感じていられたなら、それは幸いなことだろう。家にこもっている人たちは、何かを感じる土台が、後ろ盾が感じられないのだろう。振り返ったときに思い出してよかったと思えるような良いものが沢山迎えてくれるなら、勇気を持って踏み出せるだろう。

たとえ思い出がすべては真実でなかったとしても、そこに欠片の真実が埋もれているし、思い出とはそうしたいろいろな付加によって作られていくものだから、思い出を良い物に作り変える力は、生きていく力にもなりうるだろう。


2006年01月27日(金) 夜にいてくれる存在

すべてを任せられる妻を前にして、夫はその存在意義を見出せず、家庭を捨てて旅に出た。

そうしてムーミンパパの家出が始まるのだが、日本に限らずどこの国でも、家庭における男性の意義は薄いものなのか?家庭が子供を育む場所になったときから、夫の存在は薄らいでしまうものだろうか?

ボクの父親は、ボク達にとって母親的な存在であった。あまりに感情にむらがあるため、母親といるときは少しも心が落ち着かない。そのような状況において、父親が家に帰ってくる瞬間とは、ようやく安全が保障される時間だった。

ボクの父親は毎晩帰る時間が遅かった。平均して10時か11時、子供が起きているには十分に夜更かしだったが、ボクは父親の帰りをずっと待っていた。父親が守ってくれる環境が提供されてやっと、ボクは眠ることができるのだった。

ボクは眠れない子供だった。今で言うなら不眠症で、夜眠るのが怖く、眠ってから見る夢が怖くてまた眠れなかった。眠れないボクのために父親は本を読んでくれた。本が手元に無ければ「白雪姫」と「こぶとりじいさん」と「井伊直弼の桜田門外の変」のどれかを話してくれた。母親が『お父さんは疲れているのに・・・』と文句を後ろで言っていたけれど、けして母親が代わりに読んでくれることは無かったし、ボクも期待していなかった。

父親が帰ってこない夜は、とても恐ろしい夜だった。ボクがちゃんと眠ったかどうか、母親が見回りにくる、その瞬間は恐ろしくて身動きできなかった。見つかると酷く叱られるので、ますます眠れなくなった。

父親が不在で、どうしても眠れない夜、夜中の3時頃に、隣の部屋で眠っていた母親を起こして、眠れないと泣いて訴えた。母親は不機嫌そうに向こうに行って寝ろといい、ボクは布団の中で泣いた。

今思えば母親は不眠症で苦しんでいた。自分が眠れなくてイライラしているときに、眠れないと付きまとう子供など、とても受け付けなかったのだ。それをもっと早く知れたなら、双方にとって幸いだったろうけれど、ボクは理解力を持たず、母親は余裕を持たず、父親は伝える言葉を持たなかった。

それでも、ただいてくれるだけで、幸せを齎してくれた。


2006年01月26日(木) 心の旅

誰かを愛さなくては生きていけないと思う。だけれど、強さを胸に秘めていなくては、愛することなどできないとも思う。そして強さとは培われるものであり、最初から備わっているものではない。

かなりの劣悪な環境でもってしても、僅かな良いものを拾い集めて人はしたたかに生きていく。そのために記憶は改竄され、付け加えられ、強調と消去を持ってして、生きていけるだけの世界を作り上げるのだ。

そしてようよう生きていくなかで、すっかり疲れ果ててしまう。そのタイムリミットは個人差があるし、その環境にもよるだろうけれど、いずれ人は生きていけないことに気がついてしまう、自分の外側に世界が広がっていることに。

そうなる前に、そうなる頃までに、人は旅立つだけの準備をしておかなければならない。これから広い世界に、ただ1人で踏み出さなくてはならないのだから、それ相応の準備をして、自分を見失わないように、きちんとした鏡を一枚ポケットにしまいこんで、そうして誰もが旅立つのだ。

愛するものを探しに旅立つものには、神のご加護があるよう。本当の愛を見つけられたなら、すべての自分を取り戻すことだって可能かもしれない。


ロビン