カウントシープ
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2006年02月06日(月) 剣の舞

ハチャトゥリアンの『剣の舞』は、一度聞いたら忘れ得ないくらい印象的な音楽だ。剣という言葉に相当するような激しい、テンポの良い曲なのだが、ボクはこの曲を子供の頃に聴いたのだが、子供の頃こそはこうした印象的な曲に魅力を感じてしまうものだろう。

考えるに、剣という鋭いもの、男性的な武器と、舞という女性的なやわらかいものとがともにある、そのことがまず魅力的なのだと思う。鋭い剣を盛ったまま踊る、アラビアのイメージを色濃く思わせるこの曲だが、作者のハチャトゥリアンが、グルジアで生まれ、あの国境地帯の出身だと知れば納得できる。いまだ民族紛争のさなかにあり、安定しない国だが、それだけに様々な民族の音楽を聴いて覚えていたという。

アラビアの、あの三日月のような鋭い刀(シミターという)を指の延長に携えて激しく踊る様は、想像するととても心が高揚する。命を懸けて何かに陶酔するようなニュアンスはやはり格別魅力的だ。


2006年02月05日(日) 美しさとは

中原淳一という画家がいて、それはそれは素敵な美しい女の人を描く人だ。ボクも大好きだけれど、彼には沢山のファンがいて、最近の有名な人だと、美輪明宏氏が彼の絵を著書の表紙に使っている。

美しい人が大好きで、それは男性でも女性でもそうなのだけれど、ボクは美しい女の人には、その中に潜むきりりとした男性のような清潔さが好きだし、美しい男の人には、やわらかい羽毛のような感触を備えているならば良いと思う。

何を持って美しいというかは人それぞれだが、美しいものとは見目の丹精さだけではもちろんないだろう。人は生まれてすぐにはその外見は、神様から与えられた造形だけが呈示されているだろうが、年月を重ね、いくつもの体験をし、もしくは体験をしないでいるうちに、その生き様が外見に表れてくることは必然である。

心動かすことが少ない人生を送ってきた老婆に会ったことがあるが、真っ白の白髪に、皺のきわめて少ない顔はとてもアンバランスで、どこか恐ろしい人に見えた。よく笑えば笑った皺が、怒った顔をしていれば怒った皺が、どんどん刻み込まれていくのだろう。

世の中を睨み付けて生きていけば、目つきはそのように変化していくだろうし、恐ろしいものばかり見ていた瞳は、何も映し出すことがなくなっていくだろう。

顕されている外見と、その中にある心とが、寄り添うようにあっているならば、それはその人そのもので、それだけで安心できるような存在だろう。
外見と心が著しく不一致なら、おそらく動物達のようにカンのいいものは、警戒して側に寄らないだろう。


2006年02月04日(土) 死者では足りない

ボクは一日の大半を、ニュートラルな心に保つ必要がある。目の前のものを相手に、それに流されること無く、しかしきちんとかかわること・・・
そうすることには随分慣れてきているので、得に混乱することもなくやれていると思う。

しかし、そう振舞いすぎて逆に自分自身がどこかに行ってしまっていると感じる時がある。それはまるで、自分の心がどこにもいないような感じで、そういう時は自分の中に空洞を見るような気がする。

それでは本当の意味できちんとした対象に慣れていない。ボクは空虚な存在として相手の前に提示されるものではなく、ボクという人間があって、其処に1人の人間としての様々なものが漂っていて、その上でニュートラルでなくてはならないのだ。

ボクが死んだままでは、相手は死者を相手にするだけだ。相手が欲しているのは魂を持った対象なのだから、ボクは生きていなくてはならない。生きて生きて生きてそして其処に在り続けることを、続けていく力を、ゆっくりとでいいから養って生きたい。


ロビン