カウントシープ
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昨日のショックを引きずったまま、相方とボクは夢を見た。相方は、今までに言えなかった家族への不満をぶちまけている夢だったらしい。今まで諦めていた思いに火がついたのか、どちらにしても、怒るというプロセスまでたどり着いたのは、夢とはいえ1つの進歩だろう。
同じ日、ボクが見た夢。
夢の中で、ボクは学校のような建物に居る。校舎を結ぶ渡り廊下、鍵のかかった窓、寂れた下駄箱・・・そんな中を潜り抜け、ボクは病院に向かっている。病院から電話がかかってきて、ボクはまだ見ぬ患者の元へたどり着こうと必死になるのだが、学校はどこか迷路めいていて、行く先がおぼろげになってしまう。
気がつくと病院の裏口まで来ていて、ボクは集中治療室に入っていく。其処には、まだ5、6歳と思われる少女が横たわっている。子供の体はうっすらと血がにじんでいて、腹には包帯が巻いてある。子供は、自分で自分の腹を割いて、腸を切り取ってしまったのだという。子供の瞳は鉛色で、ボクは其処に生きる価値を見出せない、孤独を見ている。ああ、またこういう子供だと、この惨状を前にボクは妙に冷静だ。
子供はすでに手術を終えていて、側では医師が、子供の親に対して怒っている(その場に親は居ない)。親に愛されない子供は、世の中に絶望し、腹を切った痛みさえ感じていない。
ボクは子供を抱き上げる。そのときボクの皮膚にも子供の血がにじむ。ボクは、感染症のことがちらりと頭をよぎり、手袋をしないなんて危険だな、と思いながらも、そんな手袋をして抱いても、この子には伝わらないだろうな、とも思う。
無表情のまま、子供はボクの腕の中にいる。抵抗もしないが、しがみつきもしない。ただ、包帯だらけの子供の手が、ボクのほうに伸びてくる・・・
目が覚めても、血の匂いが漂うような夢だった。
2006年02月11日(土) |
恐れていては何もできない |
ここ数日、相方は検査を受けていた。癌の手術をしたのが2月、ちょうど一年になり、先日の放射線治療が終わって、一通りの癌の治療が終わってから3ヶ月が経過していた。
検査の結果を10日に聴きに言ったとき、新しく検査が1つ追加されたので、すべての検査の結果はまた後日になったわけだが、そのとき先生からは、再発する確立が高いことを再度宣告された。
若い年齢であること、すでに転移が始まっていたこと、治療に対して幾つか不利な条件を重ねていること。解ってはいたけれど、改めて言われると重たく感じる。先生は、『何としても再発を防ぎたい』と言ってくれたのだが、逆に、どうしても再発する運命だといわれたように思えてしまって、金曜日は二人とてもブルーだった。
ボクはもしかしたらやっぱり、一人ぼっちになってしまうのかも知れない、と不謹慎ながら思ってしまった。もし癌が再発しても、とことん一緒に付き合う覚悟はしているつもりだし、死んでしまうならその瞬間まで手を離さないで一緒にいようと思う。けれど、そのあとどうやってボクは生きていくのか、ちょっと想像が付かない。
しばらく時間がたってみたら、随分考えが先走りしているものだ、と思えてきた。現在治療は上手くいっていて、もしかしたらの確率の話をしているだけなのだ。交通事故にあう確率だって、なんだって、世の中には同等の危険が潜んでいるのだから、このことに特別な考えを持ち過ぎるのは、やめたほうがいいだろう。
3泊4日の仕事を終えて、ようやく家に帰ってきた。何かお土産をと思うけれど、特に東京でなくてはないようなものも思いつかず、雑貨屋でチョコレートを買って帰ることにしたけれど、ヴァレンタインデーを目前に控えて、どこのデパートもチョコ売り場に人が殺到していた。
いろんなメーカーのいろんな種類のチョコが並んでいて、いったいこの中からどれを選んだら良いのか、選んでいる女の子達はどうやって選んでいるのか、不思議になる。 以前に食べたことがあるゴディバとか、三越のサティー、北海道のロイスチョコくらいしか知らないけれど、きっとチョコレートにも好みがあって、そうして沢山の種類が必然的に生まれたのだろう。そうでなければ、1番美味しいメーカーを残して、つぶれてしまうものね。
ボクはヴァレンタインデーはどのみち泊まり込みの仕事で家にいないし、同性愛者なので、どちらがどちらにあげるという法則もない。別にもともとチョコを贈る日ではなくて、恋人にプレゼントをする日だったみたいだけれど、その頃にはチョコレートってもう少し特別なものだったのかも。
チョコレートって甘くて美味しくて、ちょっと忘れがたい味。毎日腹ペコで食べ物を欲しがっている頃に、米軍さんが配ったチョコレートって、ちょっと想像できないくらいの食べ物だなと思う。
ロビン
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