カウントシープ
indexpastwill


2006年02月18日(土) テーブルウェア

先日注文したスープ皿とプレートを取りに、コンランショップに出かけた。コンラン卿が作った雑貨のセレクトショップだが、とても面白い品が沢山で、見ていて本当に飽きない。

今の家に住んでから、初めて、お皿を一式大量に買ったのだが、早速新しいお皿に食べ物を載せてみたら、それだけでテーブルの雰囲気が変わった。皿が違えば味までランプアップするようだ。

ショップにも沢山のお皿や、それ以上に沢山のグラスやコップが並んでいたのだけれど、テーブルを飾るという文化も、古今東西普遍的なものだ。人間以外の生き物は、食事を飾ることはしない。味や匂いは味わっていても、見た目の美しさや、まして食べ物を載せる器のことを気にするなんて、人間はなんて不思議な生き物だろう、と他の動物からは思われているかもしれない。

人間は、食事や眠ること、そういった様々な行為を装飾して楽しむ種族なのであり、その性質を持って文化を発展させてきた。それが他の生物にとっては害でしかないと解っていても、それをやめることはできない。人間にとってそれは、食べることと同じように生きていくのに必要な部分なのだろう。


2006年02月17日(金) 影なくしては

全体的にボクの日記は暗い。

ということはよく解っているつもりだ。ボクは仕事柄、人間の心とは何か、その仕組み、やりとり、そういったものを常に考えることを要求されているので、どうしてもこうなってしまうのだが、時々、ふとわれに返る時がある。
強迫的に心を解析して、自分の中の闇をすべて照らし出してしまおうという気持ち、そうして安心したいのだろう。もちろん、そんなことができるわけはない、できないからこそ人間なのだけれど、知り尽くしてしまわないと、恐ろしくて仕方が無いように思うのだ。

その闇の部分を心において置けないならば、代わりに何かを犠牲にしなければならない。それが強迫的な行為を呼んでくるのだ。

ボクは、自分が怖い。自分の中にあるものの醜さがもれ出てくることが怖い。醜いものなど誰にでもあるもので、それと折り合いをどうつけるかが大雪なのであって、醜さを拭い去ろうとしているときは、それと向かい合っていない。背中を向けて逃げ去っても、影は必ず付きまとう。

もし影を失ってしまったら、もう人は2人になってしまう。昔、小学生のときに見たドラえもんの話に、のび太が自分の影を切り離して、手伝いなどをやらせているうちに、影と自分が逆転して、影が自分に、自分は影になってしまいそうになるという話があった。とても怖くて、知っているドラえもんの中で1番怖いと思っていたのだけれど、大人になってからある日この話題になったとき、結構何人かがこの話が怖かったことを覚えていた。

小さな子供だって、何が恐ろしいことかはちゃんとわかっているのだ。


2006年02月16日(木) 空想の子供達 2

ボクと相方が出会って何年かした頃、ボクは家を建てた。安心して住めるような家。親の決めた職業は皮肉にもボクにある程度のお金を作った。親は今でも、ボクを正しく導いたことに満足しているだろうし、ボクのジレンマは一生消えない。

“いい子じゃなくても、愛してくれただろうか?”

多分愛してくれたのかもしれない。言いつけを守らなかったら、発狂するのじゃないかと思うと(ボクの家系は精神病者だらけだ)、とても勇気が無かったし、低いパーセンテージだって、部分的に愛してくれれば十分だった。

相方が癌になってから、ボク達のシェルターに影が差した。ここにいれば安全だと思っていたのに、内側から攻撃を受けるなんて侵害だった。これは親を裏切っている罰かとさえ思ったし、今でも少々は思っている。

相方はいつも、親の言うことに適当に返事をしていた。
『どうせうるさいからさ、はいはいって言っておけばいいから。』
そういって、沢山の言葉を飲み込む相方のことを、歯がゆく思ったけれど、ボクだって同じことだった。違うのは、ボクの親はボクには何も言わなくなっていて、相方の親は未だに連れ戻そうと必死なことだ。

ボクの親は、あまり子供に興味がないのだろう。ボクの妹の赤ちゃんにも、それほど興味を示さなくて、妹はとても傷ついた。ボク達は母親に関心を持って欲しくて、心に穴が開いた寂しがりだった。相方は、自分が1人の人間としてきちんと認めてもらえることに諦めている人間だった。




あの夜、相方は親に怒る夢を見て、隣でボクは血まみれの子供を抱き上げる夢を見た。一年前に相方は癌になって、それからいろいろなことがあって、本気で親に怒れるようになってきた。相方の親は、心配だ心配だというばかりで、『大丈夫だよ』とは一度も言ってくれなかった。
かわりに、ボク達の友達が、沢山手紙やメールをくれて、みんな『大丈夫だよ』と祈ってくれた。ボクの両親さえもが大丈夫だと励ましに来てくれた。周囲にとても救われたけれど、1番支えて欲しかった存在に大丈夫だと言ってもらえなくて、相方はとても傷ついたのだ。


夢とはいえ、相方は初めて本気で怒った。だからボクはもう、相方の変わりに怒る気持ちはうせた。今まで、お人よしで飲み込まれていく相方にイライラしたりしていた(ボクの問題が其処にはある)のに、今は、相方の母親のことも客観的に考えられるようになりつつある。

ボクの中から生まれたのは、相方の代わりに怒っていたボクであり、相方の心の中にあるはずだった感情だ。ボクは相方の代わりにボクの中にその感情をとどめ続け、今相方の体に戻っていった。正しく怒ることができれば、その先にまた次のプロセスがやってくるだろう。

きちんと扱われなかった時代に、無理やり忘れていたものを取り戻し続けて、人は自分を取り戻していくのだ。


ロビン