カウントシープ
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2006年02月21日(火) 明日に繋ぐ

気持ちが重くなると、何もしたくなくなってしまう。体も重たくなって、何もしないままベッドに入って、何をするでもなくぼーっとしている。

しかし現実はそうはいかず、仕事にも行かねばならず散歩もしなければならず、ヴァイオリンもレッスンしなければならない。職場では普通の顔をして、何事も無かったかのように振舞わねばならないし、気持ちは押し殺してしまわなければいけない。
逆に、することが沢山あるから、また明日に繋がっていくともいえるから、こうして仕事やら散歩があることを歓迎したほうがいいのかもしれない。

以前、癌になったばかりの頃は、季節ひとつ分くらいは、今思うと落ち込んで何もできなかったけれど、今回はもうここまでにして、明日からはちゃんとしよう、と思って、夜になってから弱音機を取り付けて、ヴァイオリンを弾いた。

弱音機をつけた音はいまいち美しくないけれど、今日レッスンをすれば、明日も明後日も、気持ちに負けないでやるべきことをやりつづけられると思ったから。


2006年02月20日(月) 悪い知らせ

今日で癌の再発の検査が全部終了、二人して聞きに行った。病院の待合室は、午後の特殊外来だけあって、其処にいる人が全員同じ癌の患者だった。以前もそう思ったけれど、この待合室は必ずペアでいて、たいていは男女、つまり夫婦で座っている。癌になる年齢を考えると、40代50代頃の夫婦が、悲痛な面持ちで座っているのだ。
其処にボク達が入っていくと凄く浮いている。なんていうか、睨まれているような感じがするくらいで、ごめんなさいボク達も仲間に入れてください、と思いながら端のソファに座った。

先生の診察を待つこと50分、その間にボクは眠くなって、少しうとうと眠ってしまった。この時間までにめいいっぱい働いていたし、検査の結果もいいものだと期待していたからだ。

診察は、ほかの人に譲っていたら1番最後になってしまった。最後に入っていくと先生も疲れているようだった。

結果は、現在のところは再発も転移も、画像に写るレベルでは見当たらないとのことだった(しかし、手術の時には4つの小豆大の転移が見落とされている)。この段階では転移はない、とボクもふんでいたのだが、その後の話は少しシビアだった。

遺伝子レベルで調べた結果、このタイプの癌はたいていは二年以内に再発すると宣告された。その確率がどのくらいかわからないが、先生の手ごたえではかなりの率で再発するらしい。ボクはこの先生とは知り合いなので、淡々と聞いていたけれど、気持ちは動揺していた。かなり筋をあたって主治医に選んだ腕のいい先生なのだ、言っていることは間違いではないだろう。

どうしても転移をとめたいからと、再発を防ぐための薬を注射で投与するため、来週は入院をすることになった。薬の副作用を心配しての入院だから、それ自体はたいしたことではないのだけれど、これから先どうなっていくのか、現実感がなかった。


2006年02月19日(日) ベトナム料理

東京から友人が遊びに来てくれて、一緒に近所のベトナム料理屋に出かけた。ボクはアジアの食べ物では、自国を除けば、1番美味しいのは韓国のご飯で、次がベトナムだと思っている。(しかしほかにはタイ料理しか食べたことがないか)
ベトナム料理といえば生春巻きで、以前ボク達はこれにこって、家でもライスペーパーを買ってきて、生春巻きもどきを作って食べた。なぜもどきかというと、香草がないので、代わりにシソの葉を使っているからだ(こちらも美味しい)。ライスペーパーにつけるタレだって売っているのに、なぜか普通のスーパーには香草を置いていないのは不思議だ。

この店はどうやら店員さんもベトナムの人のようで、何人かのベトナムの人を見ていると、みんなどこか似ていた。単独で一緒にいたら、日本人とそう変わらないような気がするけれど、ちゃんとネイティブな特徴ってあるものだな、と思った。この店の女の人は綺麗な人で、ちょっとアムロナミエっぽい顔立ちだった。

ボクは相方を見ていても、常々アムロナミエは沖縄っぽい顔じゃないなぁと思っていたが(Coccoとかが正統派か)、案外もっと南のほうの人に近いかも知れない。南にいけば行くほど濃いわけでもないのだ。沖縄のルーツとか、相方に聞いてみたけれど知らないらしい。文化的には、中国との交流が深かったようだが、その血はどこから来たのだろう。


ロビン