カウントシープ
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2006年04月15日(土) 鳥人間

鳥などみな不気味だという人がいて、どこが不気味か尋ねてみると、大抵あの丸い目と、鱗で覆われた足が嫌だという。

確かに手塚治虫の漫画を読んでいると時々遭遇する鳥人間は、どことなく不気味で、鳥人間に囲まれ人に飢え、ついには鳥の一族を皆殺しにしてしまった青年の気持ちもわからなくもない(火の鳥・宇宙編?)。

ハーピー(※頭部のみ女性の、怪しい生き物)のような姿になるとはっきりと不愉快さが沸き、それを好きか嫌いかはともかく、側にいつもおいておいて愛でるには、あまりに奇怪すぎるだろう。

かようのように鳥類の要素を部分的に取り入れることの不気味さを語ってみたが、我々は天使の存在を忘れてはならない。
鳥の要素のうちもっとも象徴的で、鳥がとりで有らしめるものであるところの翼、これを人の背に括り付けると、どうだろう。とたんにその存在は人を超えた神に近い存在になるのだ。

翼以外を融合した鳥人間が妖怪の類とされるのに、翼を背にした鳥人間は、もはや鳥人間などと誰も呼ばない。
なぜ翼だけが1人歩きするかといえば、そこには人が単独では成し遂げない、「飛ぶ」という力を備えることにある。あのダヴィンチも、空を飛ぶことを考えたが、我々は単独では平面の移動しかできない生き物でしかない。
空に憧れ飛行物体を作り上げたが、歩くのとはわけが違う。頼りない金属の塊に身をゆだね、落ちないように祈りながら座っているのでは、飛んでいるというよりただ移動しているだけで、どこか間が抜けてさえいる。

空を飛べるということは、とてもわかりやすい超人の能力であり、それゆえ天使という存在は特別であり、人を超え、神に近いものとして、神の使いとなったと考えてもいいだろう。


2006年04月14日(金) フラミンゴ イン ドリーム



ボクの偏愛する生き物のひとつがフラミンゴだが、この鳥の写真をまじまじと見れば見るほど、愛らしいところが見つけられない。
接近した写真になるともう、どちらかといえば不気味な鳥に見えてくる。

目が大きくてくりりとしているわけでもなく、嘴はむしろ不恰好に長く曲がっている。長くて折れそうな足は象徴的だが、曲がる関節の節目は、哺乳類とは程遠くむしろ節足動物的であり、どんな声で鳴くのかは聞いたことがないが、玉のように美しい声でなくとは予測しがたい。

それでもフラミンゴが人気なのは、そのユーモラスな雰囲気と、やはり、動物にあるまじき目の覚めるようなピンク色のおかげだろう。

ボクがフラミンゴをどこで認識したのかはもう定かではないが、自分の記憶としては、「不思議の国のアリス」の、女王陛下の取り仕切るクロケット場で、クラブの替りにアリスに抱きこまれている、首の長い妙な生き物としてのフラミンゴだ。

子供の頃に、不思議の国のアリスが最高に不快だったのは、殆ど誰もアリスを助けてくれない勝手な奴らばかりなことで、最高に愉快だったのは、それが夢の世界だったことだ。

いったいアリスの世界ほど、夢でよかったと夢落ちであることを喜べるものなどないと思うくらい、是非1人では迷い込みたくない。アリスほどの勇気も好奇心も自尊心も持ち合わせていない臆病な子供ならば、あんな世界に迷い込んだら、きっと二度と戻ってこれなくなりそうだから―


2006年04月13日(木) クローン桜




今年もまた桜が咲いた。
ボクの住んでいる町では街路樹の桜を植え替えるということで、長年美しい姿を見せてくれた桜たちに代わって、今年は苗のような細い桜が登場した。
その頼りない姿と、切り倒された桜の残像でもって寂しかったが、切り倒されなかった桜が残っていて、そちらは去年までと同じように、見事に咲き誇っていた。

いったい桜の木が何年生きるのか解らないが、ソメイヨシノは成長も早い代わりに、寿命も短いと広辞苑には記載されている。ソメイヨシノはクローンだから短いとも聞いたことがあるが、木の寿命っていったいどれくらいなんだろう。

現在食物にはクローンが使われているが、こちらはそれほど寿命を長くすることには重きをおいていないだろう。(寿命が来る前に収獲して食べてしまう)クローン羊のドリーは(このサイトのタイトルでもある)短い時間しか生きられなかったけれど、クローンは本体よりも長くは生きられないということか?

だとしたら、同じ遺伝子同じ細胞でもってして、なぜ長く生きられないのだろう。やっぱり、神様が許さないのかな。


ロビン