読書日記

2001年08月11日(土) 岡井隆「短歌の世界」を読む。「エイリアン4」をテレビで見る。

「短歌の世界」岡井隆(岩波新書、1995.11)は核心に迫る短歌の入門書である。短歌を作る上でも読む上でも考えるヒントが多い必読書。内容が整理されていて読みやすい好著である。
 近くのブックオフに出かけて読む当てのないまま次のような本を買ってしまった。
 吉村昭「旅行鞄のなか」(文春文庫、1992.8)
 トム・ホランド「真紅の呪縛」(早川文庫、1997.9)
 網野善彦「日本社会の歴史(上)」(岩波新書、1997.4)
 高木仁三郎「市民科学者として生きる」(岩波新書、1999.9)
 松本健一「『日の丸・君が代』の話」(PHP新書、1999.12)
 船橋洋一「あえて英語公用語論」(文春新書、2000.8)
 夢枕獏「餓狼伝�勝廖柄侏侫離戰襯后�1998.2)

 夜は、テレビで「エイリアン4」を見たのでかすみ目で小さな文字は読めない。
 今、7年ほど前のパソコン富士通のデスクパワーS(ペンティアム100)付属のモニターを使っているせいか長い時間パソコンに向かっていると目が痛くなってくるので液晶のモニターに替えようと思っているのだが、高い買い物なのでおいそれとは実行できない。液晶が目にやさしいというのが本当かどうかも怪しくも思えるし、でため息をつくばかり。 いずれにしろ目を使うバランスを考慮しないとそのうち本を読むことができなくなりそうで実に怖い



2001年08月10日(金) 「不思議の国の悪意」(ルーファス・キング)「<骨牌使い>の鏡」(五代ゆう)を読む。

「不思議の国の悪意」(ルーファス・キング)「<骨牌使い>の鏡」(五代ゆう)を読む。
 「不思議の国の悪意」(東京創元社、1999)は短編集。エラリー・クイーン推奨の作品集である。冒頭の表題作をまず読んでみた。ある少女の幼い日に起きた親友の女の子の迷宮入りした誘拐事件。女の子は発見されないまま長の年月が過ぎ、少女は成長しロマンスを手に入れる。その幼なじみとの恋愛に呼応するかのように殺人事件が起きて過去の事件の謎がよみがえる。その事件の謎を解く鍵はずっと手近なところにあった。
 このミステリー大繁盛の日本の今となっては目新しさはないが、正確に組み立てられた模型のような神経の行き届いた見事な作品。
 
「<骨牌使い>の鏡」(富士見書房、2000.12)はファンタジーの長編である。まだ4ページしか読んでいない。3年前に死んだ母親の仕事<骨牌使い>を継いだ17歳の少女アトリが主人公のようである。
 
 今日は野暮用が多いのと体力不足のせいでまたまた本をまともに読むことができないで一日が終わろうとしている。本当に読みたい本がなぜか後回しになってゆく。読まねばならない筆頭の久世光彦や幸田文、多岐川恭などがどんどんあとになる。



2001年08月09日(木) 「ミッシング・イン・アクション」(P・ロビンスン)「石になった人形」(泡坂)「麗子は微笑う」(久世)を読んだ。

「ミッシング・イン・アクション」(ピーター・ロビンスン)「石になった人形」(泡坂妻夫)「麗子は微笑う」(久世光彦)

「ミッシング・イン・アクション」の時代は1939年、場所はイギリス。ジョニーという九才の男の子が行方不明になり、変わり者と評判の四十代の男コリンが疑われる。教師でもある特別警察吏バスコムがアクシャムという町でジョニーを探し出して連れ帰ったとき、悲惨な結末が待っていた。バスコムの一人称による人探し探偵物。非常に渋い「文学的」作品。今年のアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀短編賞受賞作。(早川書房「ミステリマガジン」2001年9月号所収)

「石になった人形」は1983年「小説現代」8月号掲載の曾我佳城もの。腹話術師の小榎麗那が毒殺され、人形のマイクロコン太が入っているはずのトランクケースの中には石が詰まっていた。発声で腹話術師の一番困るマ行、バ行、パ行についてが推理の要点になっているので、今はそれらを克服したいっこく堂がいるなと思った。(講談社ノベルス「花火と銃声」1988.6所収)

「麗子は微笑う」は「蕭々館日録」(中央公論新社、2001.5)の第一章で、時代は1926年、場所は東京本郷弥生町の小説家児島蕭々の家。その蕭々館と称する家にやってくる<澄江堂>九鬼、帝大美学講師の迷々、出版社の社長兼作家の蒲池、詩人でもある精神科医師の並川たちの言動が五才の娘、麗子を通して語られる。夏目漱石の「我輩は猫である」に通じるような秀逸な会話物語である。この第一章はコメディであると同時にホラー小説である。
 1935年東京生まれのこの演出家・作家はもう見逃せない。

 ルーファス・キングの文庫本はなかなか古本屋に出なかったが、「不変の神の事件」と「不思議の国の悪意」がやっと出た。スティーブン・マーロウという人の「幻夢 エドガー・ポー最後の5日間」を一緒に購入。いずれも新刊のときに買うか買わないかで相当迷った本である。特に創元推理文庫の新刊は見た目がいつも魅力的なので我慢するのが大変で衝動買いを誘う。
「ミッシング・イン・アクション」の時代は1939年、場所はイギリス。ジョニーという九才の男の子が行方不明になり、変わり者と評判の四十代の男コリンが疑われる。教師でもある特別警察吏バスコムがアクシャムという町でジョニーを探し出して連れ帰ったとき、悲惨な結末が待っていた。バスコムの一人称による人探し探偵物。非常に渋い「文学的」作品。今年のアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀短編賞受賞作。(早川書房「ミステリマガジン」2001年9月号所収)

「石になった人形」は1983年「小説現代」8月号掲載の曾我佳城もの。腹話術師の小榎麗那が毒殺され、人形のマイクロコン太が入っているはずのトランクケースの中には石が詰まっていた。発声で腹話術師の一番困るマ行、バ行、パ行についてが推理の要点になっているので、今はそれらを克服したいっこく堂がいるなと思った。(講談社ノベルス「花火と銃声」1988.6所収)

「麗子は微笑う」は「蕭々館日録」(中央公論新社、2001.5)の第一章で、時代は1926年、場所は東京本郷弥生町の小説家児島蕭々の家。その蕭々館と称する家にやってくる<澄江堂>九鬼、帝大美学講師の迷々、出版社の社長兼作家の蒲池、詩人でもある精神科医師の並川たちの言動が五才の娘、麗子を通して語られる。夏目漱石の「我輩は猫である」に通じるような秀逸な会話物語である。この第一章はコメディであると同時にホラー小説である。
 1935年東京生まれのこの演出家・作家はもう見逃せない。

 ルーファス・キングの文庫本はなかなか古本屋に出なかったが、「不変の神の事件」と「不思議の国の悪意」がやっと出た。スティーブン・マーロウという人の「幻夢 エドガー・ポー最後の5日間」を一緒に購入。いずれも新刊のときに買うか買わないかで相当迷った本である。特に創元推理文庫の新刊は見た目がいつも魅力的なので我慢するのが大変で衝動買いを誘う。



2001年08月08日(水) 「パソコン徹底指南」(林望)「歩くひとりもの」(津野海太郎)を読んだ。

「パソコン徹底指南」 林望(文春新書、2001.2)「歩くひとりもの」津野海太郎(ちくま文庫、1998.3)を読む。
 「パソコン徹底指南」の筆者はマック派である。このウインドウズ全盛期の現代にマック信奉者の書いたパソコン入門書はいかがというところだが、非常に常識的かつ基本的で全く問題がない。初期のワープロ専用機やNECの98(エプソンの互換機)を使い倒していただけにパソコンについては詳しいようだ。奇抜または独創的な提案や意見はない分実践的である。マックに限らず有益な指南書といってよい。その中の「累積バックアップ法」は別段目新しいアイデアではないが、自分が漠然と考えていたことをわかりやすく説明してくれた感じで納得した。これからは実行してみようと思った。
「創造的作業にはパソコンが最適」にも得心した。
 いろいろなことでパソコンを使いこなせないでいる人にとって自信をつけるためのよい参考書である。
「歩くひとりもの」は独身の男性への贈り物である。独り者でいることの「哲学」を表した書である。暴騰の「自分用の応援歌」「ひとりもの、年を越す」「コーヒーを入れる老人」「妹の力」3つ飛んで「わが愚行」が軽妙かつ簡明な文章で読ませる。思いがけず楽しい読書をした。
 76ページから77ページにかけてレイ・ブラッドベリの名前が出ているが、これはフレドリック・ブラウンの間違い。この誤記については2、3年前に何かの本で指摘されていた記憶がある。その時は何のことかわかっていなかった。
 懐かしかったのは大判の雑誌「ワンダーランド」と植草甚一さんのこと。あの頃SF雑誌「奇想天外」と一緒に定期購読していたのが「ワンダーランド」。その後確か「宝島」と名前が変わってしまった幻の雑誌である。植草甚一さんへの強いあこがれや長谷川四郎が知る人ぞ知る文豪だという思い込みもこの頃の記憶である。
 わずか251ページの薄い文庫本でさらに1993年出版の単行本が元になっている古さだが、「神は細部に宿る」で読み直したくなるような気になるエピソードが結構ある。


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